第2話 コーポ工房101号室

 久しぶりにコーポ工房に帰ってきていた。やっぱり落ち着く。私はオーナーをやりながらコポコボの101号室にも暮らしているのだが、住人はその事に気付いていない。アパート経営に関しては管理会社に一任しているからだ。今日は友人の富良野マンロウを部屋に呼んで、芝居の稽古を付けて貰うことにしたのだ。富良野は大学時代の演劇部の部長で、卒業後は小劇団を主催している。大学時代から社交的な富良野と人見りな私は仲が良く、進む道が別れた今でもその関係は途切れることはなかった。

「と言う訳でさ、一人芝居をやらなきゃいけないんだよ。参っちゃうよ」

「何でそんな事しなくちゃいけないんだ?」

富良野は冷静な物言いだった。

「何でって、いかれた住人に言われたからだよ」

「だから、いかれた住人に言われたくらいで、何で一人芝居をやるんだよ?」

「入居テストかもしれないじゃないか」

富良野は首から頭をだらんと下げ、大きなため息をついた。そしていかにも呆れた表情を作って、いつもの芯を食った指摘をしてくる。

「そもそもコーポエリーゼに住む必要があるのか?お前の仕事はコポコボを住み心地のいいアパートにすることだろ?

だったらまずはコポコボを見つめ直すべきなんじゃないか?」

 ぐうの音も出ないとはこのことだ。頭をトンカチでぶん殴られた気分だった。トンカチは頭を殴った後、そのままクルクルと落下して足の小指にもぶつかった。

「確かにお前の言う通りだな。コーポエリーゼからは足を洗うよ」

「それはダメだ」

富良野はきっぱりと言った。

「え?どう言うこと?」

富良野の真意を理解出来ず聞き返した。富良野は熱く、だけど静かに話始めた。

「途中で物事を投げ出してしまうのがお前の悪いクセだ。もう直ぐ30歳だろ?そろそろ人生の歯車の回し方を変えてみないか?とりあえずやってみろ。俺はお前の1人芝居を見てみたいんだ」

「なんだよ、俺の下手くそな演技を見て笑いたいのか?」

私は苦手笑いを浮かべて、視線を富良野から窓の外に向けた。私は大学4年時に自分の下手さに嫌気が差して演劇サークルを抜けた過去がある。以来、演劇を続けている富良野や、昔のサークル仲間に会うと劣等感を感じてしまう。私はかつて演劇サークルに所属していたことを秘密にしている。私に演技を語る資格などないからだ。ドラマなどで演技力を批判されている俳優さんを見ると悲しくなる。人前で堂々と演技をしている。それだけで素晴らしいではないか。それだけで俳優ではないか。

「なぁ、怪々夢」富良野の声のトーンは優しい物に変化していた。「俺はお前の演技を下手だなんて思ったことはないよ。だけど芝居には共演者がいて、脚本があって、演出家がいる。お前は頑固過ぎるよ。それで協調性が無くて自滅して行ったんだ」

富良野はいつも痛いところを突く。あまりにも正しい事を言うので反発したこともあった。でも今は、富良野の言葉は俺の心の奥深くにまで染み込んでくる。富良野はこんな提案をしてきた。

「怪々夢が良かったら、俺の知り合いの演出家がやっているワークショップに参加してみないか?初心者向けのワークショップだけど、その方が今のお前には感じる物があるんじゃないか?」

私は何も言わずに頷いた。

 この日の稽古は夜通し続いた。大学生に戻った気がした。


 翌日、富良野を見送った後、コポコボに何か不具合がないか、一つ一つチェックしてみた。すると駐輪場の波板がひび割れて割れそうな箇所がある事を発見した。

『先日降った雹のせいだな。あの雹凄かったもんなぁ。』

私はホームセンターで波板を買ってくると、交換を始めた。私は趣味でDIYをやっているのでこう言うのは得意だ。私が住んでいるコーポ工房101号室は1LDKの特別仕様だ。私はそのリビング部分をDIYで自分なりにカスタマイズしている。収納を増やしたり、壁に花瓶を置くための棚を作ったりしている。採算繰り返すが私はオーナーなので現状復帰など気にする必要ないのだ。

 私が電動ドリルを使って波板を取り付けているとコポコボの住人の方が話しかけてきた。203号室の高橋さんだったかな?あまり化粧っ気のない、素朴な女の子だった。

「何をされているんですか?」

「波板が割れていたので交換しているんですよ」

「それは管理会社に任せた方がよろしいのでは?」

「ああ、そうですね。後で管理会社に伝えておきますよ」

高橋さんは学生の時に越してきて、就職しても住み続けてくれている。今日は平日だけど会社は休みかな?就職してからはスーツ姿しか見かけなかったから、久しぶりに私服を見た。ワンピースの裾をヒラヒラさせながら2階への階段を登って行く。

「ふぅー。こんなもんかな」

自分の仕事に満足した。住人は感謝してくれるだろうか?住人の満足度が知りたくなった。ツィッターみたいにコメントが欲しいな。そこで目安箱を設置する事にしてみた。ついでにリフォームして欲しい所は何かと言うアンケートも取る。使われていないポストを目安箱にし、アンケート用紙とペンも用意した。私は自身へのポイントを上げるためゴミ捨て場の清掃も行うことにした。金曜日は生ゴミの日じゃないのに出してる住人がいる。私はゴミ捨て場の扉に注意書きを貼ると、デッキブラシ片手に掃除を始めた。ツンとくる汚臭を鼻腔に入れてしまい、胃液が刺激され、えずきが逆流してくる。そしてまたしても住人に話しかけられた。田中さんだったかな?田中さんは40代男性で東京に奥さんと子供を残して大須に越して来たのだそうだ。

「お掃除されているんですか?」

「そうですね、ちょっと汚れていたので」

「でも住人の方ですよね?」

そうなのだ。私は住人名簿を見ているから田中さんのことを知っているが、こうして話すのは初めてなのだ。

「ええ、直ぐそこの部屋に住んでる者です。管理会社の人間ではないのですが、掃除が好きなので」

「お好きなんですね?」

「はい」

「コーポ工房が」

「え?」

田中さんはドラマのセリフみたいなことを言って立ち去って行った。

 しばらくデッキブラシをゴシゴシやっていたが染み付いた匂いは取れない。が、まぁ、十分綺麗になったのではないか?明日は土曜日、富良野が紹介したワークショップがある日だ。私は演劇を嗜んだことはあるが基本的に人前が苦手だ。足が震える。今夜は一杯やってから寝よう。シャワーを浴びてから買い出しに向かった。


 「では、みなさん、輪になって牛タンゲームを始めましょう」

土曜日になり、私はワークショップに参加していた。お互いの挨拶を済ませると協調性を高めるための牛タンゲームが行われた。このワークショップは公民館で行われるカルチャースクールの一つして開催されている。参加者には、定年で仕事を辞め、第二の人生に演劇の世界を選んだ元会社役員とか、高校の演劇部に所属しながらオーディションに繋げるためにワークショップに通っている本格派など、老若男女、色々なバックグラウンドを持った10名程の人間が集まっていた。

 「今からやって貰うのは、体の部位を使って感情表現を行うことです。例えば、悲しみ、腕、と言ったら、腕を使って悲しみを表現して下さい。私が頭、喜び、と言ったら頭を使って喜びを表現して下さい。みなさん理解出来ましたか?」

演劇講師は流石の滑舌でハキハキと説明した。実は私はこの手の練習が嫌いだ。格好悪いからだ。私は役者は格好良くなければならないと思っていた。何故なら私が好きな役者は一様に格好いいからだ。こう言う練習を続けているとダサさが染み付きそうで嫌なのだ。イヤ、嫌だったのだ。私は現在役者でもなんでもないし、社会に出たからには嫌なことも受け入れなければならないと言うことも知っている。私は講師が肩で怒りを表現して下さい。と言い終わる前から全力で怒りを表現した。全力だけど静かな怒りだ。富良野、これでいいんだよな?

 ワークショップは終了の時刻を迎え、仲良くなった元会社役員と高校で演劇部の部長をやっている女の子とLINEを交換した。講師の方には…嫌われたかもしれない。

 アドレナリンが出たまま帰宅すると目安箱に早速投函された形跡があった。どんな事が書いてあるのか、緊張とワクワクが交互に押し寄せる。それはこんな書き出しから始まっていた。

『大家さん、こんにちは。リフォーム案を募集中との事ですが私は現在のコーポ工房に満足しております。どうしてもリフォームが必要なのでしたら受け入れますが、無理してお金をかけてなくてもコーポ工房の魅力は伝わると思います。ただ一つお願いがあるとしたら住人のフリをするのをやめて頂けませんか?こちらも気付かないフリをするのが大変なので』

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