第12話 如月由芽と柊彩香の第一歩

「………わたしはもう、この演技をすることはありません」


 ごめんなさい、せなお姉ちゃん。ごめんね、ひなの。


 でも、わたしが出した結論は結局これだったの。中学生の時と変わらない変えられない、臆病で弱虫なわたしの意思。


「そ、それはどういう事?」

「そのままの意味です。今まで通り演技は続けていくけど、それも高校生……ううん、彩香先輩が大丈夫になるまで。そうなったら、わたしは演技を辞めます」

「そ、それじゃあ、あの日に好きから逃げないって言ったのは………!?」

「本当ですよ。ただ、向き合い方が彩香先輩とは違うってだけです。わたしはもう、彩香先輩みたいに女優になりたいとは思いません」


 愕然とした顔で、先輩は言葉に詰まる。

 それもそうだ。デートと言って連れ出して、せんせの家に連れてこられて。そこで聞かされたのが、生意気な後輩のバカみたいな話で。


「由芽。それが、あの日の答えなの?」


【由芽。貴女はもう、役者の道を歩まないの?……ひなのと一緒に、せなのやりたかったことを目指さないのね?】


 中学最後の公演。

 精神状態も体の不調も何もかもを押して終えた後、わたしはせんせにそう問われた。


 ひなのはとうに事務所が決まっていて、高校から本格的に芸能活動を開始すると聞いていた。わたしも、1年生の頃から大手や弱小問わず声はかけられていて。


 生前、せなお姉ちゃんは言っていた。いつか自分が主演の映画で、ひなのとわたしと共演することが夢だと。


 事実、せなお姉ちゃんはとっくに有名女優になっていて。わたしもひなのも、漠然とせなお姉ちゃんの後を追っていくものだと思っていた。わたしとしては、そこに演出家としてかなみちゃんが居たらいいなって。


 そう、思っていた。


「うん。…………だって、せなお姉ちゃんはもういないんだから」


 せなお姉ちゃんが死んで、わたしの生きる意味はなくなった。


 今のわたしは、[如月由芽]だけど〚如月由芽〛じゃない。

 きっとあのお葬式で、〚如月由芽〛はせなお姉ちゃんと一緒に死んだんだ。


「せんせには今日、これを言いたかったの。彩香先輩にも、これからのわたしを知って欲しかった。先輩は、わたしを演技にとどめてくれてる人だから」


 暗い表情はもう見せない。だって、せなお姉ちゃんが悲しむから。そんなわたしは、誰にも求められていないから。


『だから、2人ともありがとう!わたしと演技を、繋いでくれて!』


 ここにいないせなお姉ちゃんにも向けた言葉。

 わたしの大好きな演技を教えてくれたせんせと、わたしに演技から逃げないでと言ってくれた彩香先輩に。とびっきりの笑顔で、感謝の言葉を言った。


「………どうして急にそんな事を?あの日以来、由芽は私に相談してくれてなかったじゃない?」

「この前、ひなのに言われたんです。もう一度、私と演技しないかって」

「そう、ひなのが……」


 改めてひなのにそう言われて、考えに考え抜いた答え。


 わたしはひなのみたいに、せなお姉ちゃんの死を乗り越えられない。ひなのみたいに、背負う事なんて出来ない。


 だってわたしが役者になるってことは、せなお姉ちゃんの遺志を継ぐことだと思うから。大きすぎて重すぎて、わたしはその想いに押しつぶされる。

 だから如月由芽という役者は、これ以上進めない。全力の演技をするのすら無意識に出来なくなったわたしは、役者としても死んだんだ。


「柊ちゃんは、どう思う?」

「………わ、私は」


 彩香先輩は、視線を自分の足元に落としている。今にも泣きそうな顔で、拳をずっと握りしめながら。


「私はただの、由芽ちゃんのファンです。……だから、私が、口出しなんて」


 苦しそうに、その言葉を振り絞ってくれた。



「やー、パスタ美味しかったね彩香先輩。ありがとうございます、調べていただいていて」

「う、ううん、折角のデートだし。年上の私が調べとかなきゃって、思ってたから」

「ほんと、今日は色々ありがとうございます。今度また、わたしのおすすめに連れていきますねっ!」

「………うん、楽しみにしてるね」


 せんせの家を出て、カフェでディナーを食べて。

 時間は20時過ぎ。わたし達は今はお店から出て、近場の海浜公園のベンチで談笑をしていた。


 街灯の明かりに照らされて、そこらにカップルがいるのが横目に見える。うっわ、あの人たちめっちゃ外でキスするじゃん。これはそうそうに、ここから離れた方がいいね。


「それじゃ、帰りましょうか。もう遅くなってきましたし──」

「ま、待って!」


 わたしが腰を浮かすと、座っていた先輩に腕を掴まれた。

 わたし達が初めて会った日もこんなやり取りがあったなって思い出して、くすりと心の中で笑ってしまった。


「どうかしましたか先輩?」

「えっと、聞きにくい事なら、無理にとは言わないんだけど………」

「はい」

「その……。せなって人について知りたくて」


 なるほど、せなお姉ちゃんについて。

 …………まぁ、せんせとの会話で何回も名前を出してたし。それ以上に彩香先輩に対しては、今日の事の負い目もあるしね。どういう人かって事くらいは、いいかな。


「わたしの姉弟子みたいな人ですよ。せんせの弟子になった順番だと、せなお姉ちゃんが最初で次にわたし。その次にひなのなんです。せんせはあんな風に温厚ですけど、弟子はわたし達しか取りませんでしたから」


 確か、小学校の時の課外ワークショップがきっかけだったっけ。そこでせんせの演技を見て、初めて演技を知って。

 ふふっ、なんだか懐かしいな。


「………もしかしてだけど、笹森せな?確か、CMに出てたあの?」

「はい、その笹森せなです。ちなみに、彩香先輩が前会ったひなのの姉でもあります」

「……笹森せなさんって、えっと」

「………………はい。去年、交通事故で」


 本当の原因は演技による精神不安定。なんて、そんなの彩香先輩に言ったって仕方がない。先輩とせなお姉ちゃんが同じ種類の天才だからこそ、言ったって不安にさせるだけ。


「せなさんは、由芽ちゃんにとって大切な人だったんだね」

「え?」

「だって由芽ちゃん、彼女の名前を呼ぶ時は愛おしそうに呼んでたから」

「………あはは、先輩ってわたしの事よく見てますね」


 自分では至ってフラットに呼んでたつもりなんだけど、やっぱりせなお姉ちゃんの事はそうできないか。

 というか、先輩はわたしの事よく見てるなー。やっぱりマンツーマンで演技すると、隅々まで観察されちゃうなぁ。


「そうですね。わたしは、せなお姉ちゃんの演技が何より好きでした。本人も、とても、や、優しくて………。好き、で……」

「ゆ、由芽ちゃん!?」


 あ、あれ?せなお姉ちゃんの事を思い出して、考えるだけで、こんな。

 

 あはっ、ほんとやばいなわたし。なんでこんな、いつのまにこんな涙脆くなっちゃったんだっけ………。やば、かんじょう、制御しないと……!


「ご、ごめんなさい。少しすれば、落ち着きますから」

「…………じゃあ、私にその手助けをさせて」

「えっ……」


 そう言うと、先輩はわたしの事を抱きしめてくれる。


 最初はわたしに触れられるだけでテンパっていたのに、いつの間にか彩香先輩は自分からハグをできるくらいにはなっていた。

 ………なんかこうやってハグされるの、最近多いなぁ。お母さんに、かなみちゃんに、彩香先輩に。わたし、頼りないんだなぁ。


「………私じゃ、せなさんの代わりにはなれないだろうけど。でも、由芽ちゃんが泣いてるのを見るのは嫌だから」

「せなお姉ちゃんと、彩香先輩は別人ですよ。だから、代わりがどうとか言わないで下さい」

「…………そうだね。ごめん、二度と言わない」


 せなお姉ちゃんは、彩香先輩とは違う。


 喋り方や雰囲気が似通う所はあっても、やっぱり決定的に全部が違う。2人を重ねてみるなんて、きっとどっちにも失礼だ。

 そう、2人は違う。だけど、演技の才能はまったく同じだ。だから、わたしが気を付けていないといけないんだ。先輩を、せなお姉ちゃんと同じ結末にはさせない。


 ………そうして、ちゃんと彩香先輩を導けたら。過去の、どうしようもなく馬鹿な自分を越えられたなら。


「よし、もう大丈夫です」

「ほ、本当に?」

「はい、ハグもありがとうございます。ふふっ、彩香先輩には沢山借りができましたね」

「そ、そんなことないよっ!私こそ、由芽ちゃんには貰ってばかりだし!」

「そう言ってくれるなら、嬉しいです」


 せなお姉ちゃんと同じ場所に、わたしは行けるのかな。

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