第8話 柊彩香と葛城かなみ
「ごめん、かなみちゃん!教室に荷物忘れてきたから、ちょっと待ってて!柊先輩は、今日はゆっくり休んでくださいね!」
そう言い残して、由芽ちゃんは部室を急いで飛び出していった。
「まったく、本当にあたしがいないとダメだなー由芽は……。柊さんはどうしますか?アレだったら、あたしが部室のカギ閉めときますよ?」
「ううん、大丈夫だよ。こんなでも部長だし、それくらいは私にやるよ」
そんなこんなで、私と葛城ちゃんは部室に残ることになった。
黒板に書かれた、由芽ちゃんの授業の跡を見る。由芽ちゃんの授業は難しくて、でも分かりやすくて。由芽ちゃんの演劇論のようなものを見れて、私は幸せ者だ。
由芽ちゃんが認めてくれた、私の演技の才能。私の憧れで“推し”の由芽ちゃんに褒められたのはとても嬉しかったけど、その才能が危険だというのもよくわかった。“憑依型役者”の事例は私も聞いたことがあったけど、いざ自分がそうだと分かると……。
「………私、エチュードの途中から意識が曖昧だった」
演技をしているはずなのにどこかふわふわしていて、セレナとして振舞っているのがごく自然になりかけていた気がする。
あの状態が続けば、私はきっと消えていた。由芽ちゃんが危険と判断した理由は、私の状態をきちんと感じ取っていたんだろう。
「傍から見てて、柊さんの演技は自然でしたよ。おおよそ、演技初心者だとは思えないくらいに」
「葛城ちゃんは、私の演技を見てどう思った?」
「危ないな~って思ってました。あたしも一応、演技に携わってきたのでそのくらいは」
葛城ちゃんの意見は、確かに由芽ちゃんと同じだったよね。聞けば演技じゃなく演出や脚本側の人らしいけど、由芽ちゃんの幼馴染だもんね。
………幼馴染かぁ。私の知らない由芽ちゃんを、沢山知ってるんだろうなぁ。
例えば、私を通して誰かを見ている由芽ちゃんも、かなみちゃんは知ってるのかな。
「柊さん。由芽をここに誘ってくれて、ありがとうございます」
「えっ!?ど、どうしたの急に!?」
「あの子、もう二度と演技には触れないって。そう言って、中学の最後の公演を終えたんですよ。大好きなはずなのに、それを心の奥に仕舞って」
そう言って葛城ちゃんは、黒板の文字を愛おし気に見つめる。過去を思い出すように、由芽ちゃんの事を考えるように。
「だから、嬉しいんです。由芽がまた、楽しそうに演技をしてるの」
「そ、そんな!……私はただ、由芽ちゃんと一緒に演技が出来たらって。だから、これも結局私の為なんだよ」
私は偶然、由芽ちゃんを見つけられただけ。私の説得も効果があったのかは分からないけど、由芽ちゃんは自力で立ち直ったように見えたし。
演技指導や諸々含めて、私は由芽ちゃんに何も返せていないんだ。
「……実は今日ですね。もし由芽が悪い先輩に無理やり演技をさせられてるなら、本気でぶん殴ってやろうと思ってきたんですよ♪」
「ええっ!?」
「……でも、由芽があんなに懐いてるんですもん。ちょっと嫉妬するくらいで、それはそれで悔しいと思っちゃいましたけどね♪」
そ、そんな理由で一緒に来たの!?よ、よかったぁ!由芽ちゃんに懐かれている自覚は少しはあったけど、殴られなくて良かったぁ!
「だから、ありがとう彩香さん。それと、これからもよろしくです!」
にこっとはにかんだ綺麗な笑顔で……、かなみちゃんが手を差し出してくれた。由芽ちゃんの為に一生懸命なこの子は、一歩引いて物事を見れる子なんだ。
差し出された手を握る。それに応えたいから、私もかなみちゃんにとびっきりの笑顔で!
「うん、よろしくかなみちゃん!そしてようこそ!演劇同好会に!」
△
「それじゃ!演劇同好会の新入部員達に、乾杯!」
「かんぱ~い!」
「………何がどうなって、こうなった」
困惑顔の由芽ちゃんと、いちごミルクを持って乾杯する私たち!ふふっ、由芽ちゃんの困惑顔ってなんだか珍しいね。
「柊先輩、先に帰ってたんじゃ……」
「えへへ、なんかかなみちゃんと話が弾んじゃって!はい、いちごミルク!由芽ちゃんが教室から戻ってくるのを待つ間に、私とかなみちゃんで買ってきたんだよ!」
「由芽の大好物だもんね、いちごミルク!」
「あ、ありがと………」
部室の前で皆で乾杯をすると、それだけで心が弾む。そのまま、なんでもない会話をしながら歩きだした。
2人とも一年生で年下だけど、演技に関しては私と比べるまでもない程年季は上だし。なんだか、後輩じゃなくて仲間って感じがするなぁ。
【本当にいいの?貴女1人だと、同好会としても活動出来ないんじゃ……】
この同好会を申請しに行ったとき、先生からそんな風に言われたのを思い出す。
結果的に、奇跡ではあるけれど。この2人が所属をしてくれて、わたしは本当に幸せ者だなぁ。
そうだ、2人に聞きたいことがあったんだ!
「ねぇ、さっきの授業の続きなんだけど。私は“憑依型役者”として、由芽ちゃんはどういうタイプの役者なの?」
「わたしですか?………そうですね、わたしは──」
「基本は自分を俯瞰して演技する、いわば“演出家型役者”ですかね。それにプラスして、外側から感情を持ってきて役作りができる天才なんです!彩香さんとは対極ですね」
「て、天才はともかく、おおむねその通りです……」
私と対極の、周りを見て演技ができる天才。
私の才能が“憑依”で前しか見れないとしたら、由芽ちゃんは自分も他人も見ることができる。それができるから、今日みたいに私が危険だと判断して他人の演技を導くことができる。
「……やっぱりすごいなぁ、由芽ちゃんは」
きっとそれは、由芽ちゃんの技術と経験の賜物。
自分の才能と向き合って磨き、沢山の座長経験をこなして。生来のカリスマ性すらも自分の技術で制御して、舞台をよりよいものに仕上げる。
そんな由芽ちゃんがいてくれて、私は本当に幸せなんだ!
「柊先輩、少しいいですか?」
「うん……っ!?ひょえっ!?」
な、なにおう!?きゅ、急に由芽ちゃんが手を握ってくれてるっ!?ていうか、顔が近いっ!?や、ヤバすぎないっ!?あ~、顔が良すぎる!!
「わたしに遠慮はいりません。柊先輩がわたしに憧れてくれてるみたいに、わたしも確かに柊先輩に救われたんです。だから、もっと普通の後輩みたく接してください」
真剣な目で、由芽ちゃんは私にそうやって伝えてくれる。
きっと、私は必要以上に由芽ちゃんを持ち上げてたんだろうな。過去に重い期待を乗せられて嫌になった由芽ちゃんにとって、私の反応は嫌だったんだね。由芽ちゃんはこんな私でも、対等でいて欲しいと思ってくれてるんだ。
「それなら、由芽ちゃんには名前で呼んでほしいなっ♪」
私も由芽ちゃんも、お互いに救われたって理解できた。私はもっと前から知っていたけど、実際は会って3日目の先輩後輩。だけど由芽ちゃんが歩み寄ってくれるなら、私ももっと求めてみてもいいんだよね!
「えと………、柊先輩の名前って何でしたっけ?」
「ええ!?お、覚えてないの!?」
うう、確かに最初に自己紹介したっきりだけど!だけど、なんか寂しい──
「──冗談です。覚えてますよ、彩香先輩」
「ひゅっ……!?」
み、耳元でそんなっ……!?声に艶があるっ!というか、語尾に♡が付いてる気がするっ!あっ、これ多分まずいっ……。
「鼻血垂れてきた………。あ、ティッシュありがとかなみちゃん」
「ええっ!?な、なんでですか!?」
「もー、だから言ったじゃん!由芽は鈍感すぎるんだよ!」
は、恥ずかしながら、かなみちゃんの言う通りだよぉ……。国宝級の顔と声が間近にあったら、誰だってこうなっちゃうんだよ!ほんっとそういう所は無自覚なんだから、由芽ちゃんは私とかなみちゃんで守ってあげないと……!
「………………ゆーちゃん」
そうやって校門前でわちゃわちゃしていた私たちに、そんな声が聞こえた。
由芽ちゃんが真っ先にその方向を見て、次いでかなみちゃんも見る。私は2人の驚きに塗れた顔を見て、反射的に振り返る。そこにいたのは、黒い帽子を深く被った女の子だった。
「えっと、2人とも知り合い?」
「は、はい。そうなんですけど………」
はきはきさっぱりと喋るかなみちゃんが、珍しく歯切れが悪い返答で。それに戸惑っていると、目の前にいる女の子が由芽ちゃんに抱き着いて。
「ゆーちゃん、ゆーちゃんだ……!」
「……久しぶりだね、ひなの」
私の胸は、激しくざわついたんだ。
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