第4話 柊彩香とガチ恋な“推し”

 私はきっと、どこにでもいるような人間だ。


 ううん、それも少し違う。他の人が“推し”や“趣味”を持っているなか、私にはそれといったものもない。どこまでも灰色な、空っぽの人間。


「柊さん、部活とか決めた?バスケとかどう!?」「いやいや、柊さんの身長ならバレーとかもいいんじゃない?」


「あはは、今は決まってないかな~。私、運動は得意じゃないし~」


 長浜高校に入学したのは、家から徒歩で行ける距離だったから。それと、そこそこ勉強のレベルが高かったから。特に進学校ではないけど、それで十分だと思った。


 そこから5ヶ月くらい、私は何不自由なく高校生活を過ごしてきた。勉強に躓くこともなく、人間関係は良好。部活こそ入らなかったけど、それで苦しくなることもなく。ただただ、灰色で空虚な時間だけが過ぎていく。


 そして、唐突に私の世界に色がついた。


 暇つぶしで見ていた動画アプリで流れてきた、同じ都内の中学の演劇の動画。気まぐれで再生したその動画で、私は初めて“推し”に出会った。


『お前が!わたしの父と母を殺した!だから、貴様もわたしに殺されるのだ!』


 素人目線で見ても、その中学生たちの演劇は上手だった。きっと、プロの人たちと比べてもわずかに劣る程度の演技能力。プロを100とすれば、75くらいの演技力。

 だけど私の世界に色を付けた推しは、きっと200はある演技力。


『どうして……!わたしの復讐は完遂したのに、どうしてわたしは悲しいの!?』


 その舞台において主役を演じていた彼女は正に別格で、誰よりも輝いていた。


 彼女の名前は如月由芽。画面越しですら圧倒される彼女の演技は、いともたやすく私のやりたい事と将来の夢を作った。そして彼女の演劇動画を見まくって、自分なりに研究をして一月が過ぎて。


 如月ちゃんの、中学での最後の演劇舞台を見に行った。


 その日の公演は特に異常で、明らかに業界の人が沢山来ていて。雰囲気も異様な中始まった公演は、それでも一息で如月ちゃんの演技に飲み込まれた。


『ふふっ、ありがとうお姉さま♪でしたら、リリエットのお茶会に参加してくださいませ!きっと、お姉さまも楽しいと思いますわ♪』


 その一言で、会場の全員が息を飲んだのが分かる。


 遠くても分かる、魔性のような顔の良さ。場面1つ、演技1つで、魅せる貌が変わり続けて。仕草1つから指先に至るまで、観客の全員を魅了する演技力。舞台に立っている人間ですら、明確に彼女の演技に引っ張られて舞台の質が上がり続ける。


 ああ、これがカリスマ性なんだと。恋すらも含んだ、鮮烈な憧れ。これが主演なのだと、心の底に刻み込まれた。



 季節は流れて、私は二年生になった。


 あれから演劇同好会をなんとか作って、そこで如月ちゃんの動画を見ながら演技の勉強を続けてきた。それでもやっぱり私の理想には届かなくて、個人では伸びるのは難しいんだと改めて感じた。


 だからこそ、同好会の部室の前に女の子がいてとても嬉しかったんだよ!


「もしかして入部希望者!?」

「うひゃぁあ!?」


 見たことのない後姿だったから、1年生なのは分かってた。だけど振り向いた顔を見て、人生で二度目の衝撃を受けることになった。


 右目元の泣きぼくろが特徴的な、やや吊り目の目尻が綺麗な瞳。近寄りがたいほどの美人なのに、それを覆い隠すようなふわりとした雰囲気。おおよそ高校1年生とは思えないほどの、低身長ながら完成されたプロポーション。


 髪色こそ黒から淡い茶に変わってるけど、私が見間違うはずなんてない。私の人生における“推し”の、如月由芽ちゃんがそこにいた。


 それから由芽ちゃんの今を知って、同好会にも入ってくれて!きっと、これからどんどん楽しくなるんだ!“推し”が後輩になって、一緒に同好会活動が出来るなんて私は恵まれているなんてものじゃない!


 と、ここまでが走馬灯。今の私は、幸運の絶頂期にいます!


『お姉さまっ♪あんまり袖にされると、リリエットも悲しいです』


 突如として始まった由芽ちゃんとのエチュード。


 配役は、女学院に通う2年生のセレナが私。1年生のリリエットが由芽ちゃん。由芽ちゃんが中学最後の公演で演じたそれを、名前と多少の設定だけ借りたエチュードとして二人で演じることになった。


 そう、ここで何よりの問題なのが!この2人は、恋人の役柄だということ!


『………お姉さま?どうかしましたか?』

『い、いいえ、何でもないわ!』


 やばいの!何がやばいって、由芽ちゃんが可愛すぎるの!


 いつもはクールなくらいの由芽ちゃんが、可愛い可愛い1つ年下の恋人役を演じてくれている!美人な表情も鳴りを潜めて、完全に可愛い系の極致の表情が表面に現れてくれている!

 というか、いちいち仕草が可愛いのよ!一動作に、きゅるん♡って感じの音が付いてる気がする!


『む~!お姉さまっ!』

『え、ええ。どうしたのリリエット?』

『……今はリリエットだけを見てくださいませ。そうでないと、リリエットは悲しいです』

「わひゅ………!?」


 こ、ここでハグ!?ああ、いい香りがするというか柔らかい感触が私の右手に寄り添ってきてる!

 というか顔が近い!顔が良すぎる!こ、こんなの国宝じゃないかな!?


「……柊先輩?なんか、視線がやらしいんですけど」

「えっ、そっ、ご、ごめんなさい……」


 あ、あれ?さっきまでのリリエットじゃなくて、いつの間にか由芽ちゃんに戻っちゃってる……?というか、私の視線ばれてる~!?


「エチュードなんですから、真面目に演技してください。柊先輩、下手とか以前に上の空じゃないですか」

「そ、それは……。えっと、えへへ…………」

「もしかして、熱とかあるんですか?」


 そう言いながら、由芽ちゃんは背伸びをして私の額に手を当てる。それのせいでより近くなった由芽ちゃんの顔のせいで、自分の鼓動と体温が上がるのが分かってしまう。


「わっ、あっつ!柊先輩、ホントに熱あるじゃないですか!?それならそうと、早く言ってくださいよ!」

「えと、その、これは病気とかじゃなくて……」


 あ~、近い近い近い!私の“推し”が、私の大好きな憧れが!こんな近づいてくるなんて、そりゃあ顔も真っ赤になるし演技なんて出来ないよう!


 というか、由芽ちゃんて割と鈍感かぁ!?さっきまでなんともなかったんだから、簡単に分かるでしょうに!私が、由芽ちゃんにがっつり惚れてること!


「ゆ、由芽ちゃんが近いから……。そ、その、恥ずかしくって……」

「ええ……。演技なんて、恥ずかしがってたらできませんよ?設定は恋人同士ですけど、そこまで過剰なスキンシップはとってないし……」

「そ、そういう問題じゃないんだよぅ!」

「そ、そうですか……。でも、とりあえず今日は10分経ったので終わりですね。明日も今日の役でエチュードをするので、しっかり準備してくださいね」


 うそ!?もう10分経っちゃったの!?ん?というか──


「エチュードって即興劇だよね?同じお題でしたら、あんまり意味ないんじゃ……?」

『リリエットとの恋人は、迷惑ですか?』

「そ、そんな事あるわけないよっ!」

「……ふふふっ、可愛いですね先輩♪」


 うう、完全に掌の上だぁ。先輩の威厳とか、これじゃあ全然ないよぉ……。でも由芽ちゃん楽しそうだしいいっか。それに、さっきの表情すんごく可愛かったし!


「柊先輩の言う通りです。でも、これから毎日活動の最後にするエチュードは違います。わたしが少しずつアプローチや関係性を変えて、柊先輩の対応力を磨きます。演技の基礎は、対応力とそれに付随する度胸ですから。度胸に関しては、柊先輩はわたしとの恋人設定が一番伸びるとも思いましたし」

「お、おお……!流石由芽ちゃん!」

「……経験と、ただの受け売りです。わたしの、一番尊敬してる演技の先生からの」


 そうやって、由芽ちゃんは悲しそうに目を伏せる。


 私は、きっと由芽ちゃんの事を何も知らない。会って2日目だから仕方ないけど、それでもまだ何も知れていない。私がすることは、私の大好きなこの子にそんな悲しい目をさせないこと。とりあえずは、感謝を伝えたいなぁ。


 由芽ちゃんは私の演技の先生で、学校の後輩で、何よりも大切な人だから。


「そっか!それじゃあ、由芽ちゃんの先生も一緒にありがとう。私は、由芽ちゃんの事大好きだよっ!」

「そ、そうですか。……わたしも、先輩には感謝してますし」


 ぷいっとそっぽを向く由芽ちゃんは、なんともかわいい猫ちゃんみたいで。それが私の知らない、由芽ちゃんの可愛い部分を見ることが出来て。


「んふふ、可愛いね由芽ちゃん♪」

「むー、意地悪な先輩は好きじゃないですっ」


 私の憧れに、一歩近づけた気がした。

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