第2話 如月由芽と演劇同好会

「もしかして、美浜中学の如月由芽ちゃん!?」

「………多分、人違いだと思いますよ」


 目の前にいる柊さんに言えたのは、ぶっきらぼうな否定だけ。視線は横に逸れて、体の末端が少しづつ冷えていく感覚が伝わってくる。


 高校に入学するとき、かなみちゃんに言われた。本当に演技がイヤになったのなら、演劇部時代のわたしを知る人がいない高校へ。絶対条件で、演劇部がないところへ。ついでに髪も黒から淡い茶色に染めて、より気づかれないようにって。


 大げさだと思っていたけど、その忠告は正しかった。

 そこそこに演劇を齧っている人からしたらわたしは有名人みたいで、知られれば演劇部に入ることを強制される。だから距離をとっていたのに、わたしの僅かな未練がこんな状況を引き寄せた。


「……如月さん?」

「すみません。わたし友達と約束があって、早く行かなきゃ」


 手を解いて、傍に置いていた鞄を手に取る。


 きっと失礼だよね。でも、中学時代のわたしを知っている人に言われることなんて決まってる。わたしはもう、演技から離れるって決めたんだから。


「ま、待って!」


 焦った声が聞こえて、それから腕を掴まれる。


「なんですか?」

「嘘だよね、友達との約束って」

「ええ………。それ、面と向かって言いますか?」

「最初は髪色が変わってて気づかなかったけど、ちゃんと正面から見て分かった!私は、その、如月ちゃんに憧れて演劇をやり始めたの!だから如月ちゃんに、この同好会に入ってほしくて……」


 そう言う柊さんの表情はとても綺麗で、その瞳はまっすぐわたしを見抜いてくる。柊さんのその強い意志に、わたしは根負けしてしまう。先輩後輩なんて関係なく、一人の人間として向き合わなくちゃって。


 …………あんまり、人に言いたくないんだけどな。


「嘘をついてすみません。でもわたし、演技はもう辞めたんです」

「えっ…………?ど、どうして?」

「周りの人に、見知らぬ人に期待されて。演技が楽しくなくなったからです」

「期待をされるのが……」

「ですので、わたしは演劇同好会に入りません。……期待を裏切るようで、ごめんなさい」


 断る理由は、すらすらとわたしの中から流れてくる。


【本当に演劇は続けないの?如月さんなら、きっと女優になるのだって難しくないんじゃない?】【如月さんだったらできるよ!だって、天才なんだもん!】【いいなぁ、如月先輩は天才で。なんか、やる気なくなっちゃうよね】


【如月ちゃんは、天才なんだから!】


 中学の時散々言われた、期待と妬みと浅い誉め言葉たち。


 飽きるくらい言われたそれらが、今でもわたしの足首にずっと絡まって離れない。演技から離れたくても邪魔をする。だからわたしは、自分の足を切ってでも逃げたいと思うようになったんだ。


「………そうなんだ」

「あはは、理由はちょっと傲慢ですけどね」


 うん、これで終われる。きっと、これでもう2度と演技とは関わらない。足を切って、呪縛も何もかも終わりに出来る。

 ありがとう、柊さん。ようやく、踏ん切りがつけられる──


「……さ、っきも言ったけど!」

「えっ」


 な、なに!?急に柊さんがわたしの手を握ってきたというか、近い近い!


「わたしは如月ちゃんの演技に憧れたの!憧れて、この学校に演劇同好会を作って!心が死んでいた時に、私は貴女に何度も救われた!演者とお客さんという立場を越えて、貴女を好きになったの!」

「ひ、柊さん?」


 さっきはそんな話してたっけ!?と、というか、わたしそんな人を救えるような演技なんて出来たことないよ!?


「如月ちゃんの中学時代、そこであった事を私は分からない。それでも、私が憧れたのは誰よりも楽しく演技をする如月ちゃん。誰よりも、輝いていた如月ちゃん……!貴女はまだ演技を好きだから、ここを見つけて中を覗こうとしたんでしょう!?」


 ……楽しく、演技をしていたわたし。誰よりも、輝いていたわたし。

 演技が、演劇が、苦痛に感じていなかった時。自分の“天才性”なんて薄っぺらいものに潰されていなかった時。


 演技を心の底から、大好きだった時。


「私は柊彩香。如月由芽に救われた、貴女のファン。そんな1ファンからのお願い」


「自分の“好き”から、逃げないで」


 ……そんなの、無責任だ。


 わたしがどれだけ苦しい思いをしたかも知らないくせに、ついさっき会ったばかりのただの先輩のくせに。ここを見つけたのは偶然で、覗こうとしたのも気まぐれで。演技だって、一時期は本当に嫌いになったのに。


〖ゆーちゃんは、自分の“好き”から逃げちゃダメだよ〗


 なんで、あの人と同じ言葉を言ってくるの……!なんでそんなに強い眼差しで、わたしの心を揺らしてくるんだ……!


『言いたい放題言って、柊さんは本当に勝手な人ですね』

「如月ちゃん?」


 ああ、景色が切り替わる。

 自分を俯瞰で眺めて、そこからマリオネットのように自分を操る。声帯も仕草も言動も、全部を思い通りに動かす感覚。自分を切り離して、自分ではない誰かを演じる。わたしの、大好きな感覚。

 

 小学校の頃から身体に染み付いた、わたしの演技イメージ。

今の役は、如月由芽。今のわたしを表現する。


『好きですよ、大好きですよ!だから離れたんです!これ以上嫌いになりたくないから、これ以上壊したくないから!』

「………うん」


 楽しい!誰の為でもない、ただ相手に伝えるための演技。自分を全力で表現するためだけに、自分の全部を操る感覚!


『……わたし、演技は中学生で終わりにしました。でも、柊さん……、柊先輩の言う通り。“好き”からもう、逃げたくないから』


 でも、ここから先は私自身で。演技じゃなくて、如月由芽として伝えなきゃ。


「わたしは、長浜高校の演劇同好会の如月由芽です。わたしは、柊先輩と一緒に演技をしたくなりました」

「如月ちゃ…………。ううん、由芽ちゃん……!」

「だから、柊先輩」


「わたしをその気にさせた責任、とってくださいね♪」


「……っ!う、ん……」


 そうやって何故か赤面し始めた柊先輩は、顔を背けながらわたしの手を再び握ってくれて。それもなんだか嬉しくって。この高校に入ってよかったなって思えた。


 そうして、如月由芽は演劇同好会に入ることになりました。

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