Ⅴ_2


 オズワルトは果敢に『白の賢者ルミエール』に喰ってかかる。


 だがその言葉は途中でバッサリと斬り捨てられた。


「どのみち僕が頑張らないと、僕の『大切』達の命と生活がおびやかされるって分かってたから、頑張っていたわけなんだけども」


 賢者は途中で言葉を切ると、スリッと腕の中の人影に頬を寄せる。その一瞬だけ、賢者の表情が微かにやわらいだ。


「僕を犠牲にしてしか成立しない世界なんていらないって、その当の『大切』に言われちゃったから。だからもう、壊れちゃってもいいかって判断したんだよね」


 だがその表情は、アイザック達を流し見た瞬間には消えていた。黄金の瞳を満たしているのは、凍て付くような冷気だけだ。


 その冷たさにアイザックの背筋が凍り付く。


 本気、なのだ。


 この賢者は本気で今、この国が滅びようが関係ないと考えている。


「お前達は代を重ねるごとに愚かになっていく。それでも、この国を定義して王を選定した者の一人として、これも自分の責任かなと思ってお前達に仕方なく従っていたのだけれども」


 その冷たさを王もオズワルトも感じたのだろう。二人とも呼吸が止まっていた。


「僕が虐げられるのは嫌だって泣いてくれた子がいるから、僕はもう従うのをやめるよ」


 この賢者が本当に『従わない』と決めれば、誰もこの賢者を従えることなどできないのだろう。


 なぜならば、そもそもこの賢者の方が王家よりずっと立場が高く、力も強いのだから。


 王は賢者に選ばれ、賢者が作ったこの国を託されただけの存在にすぎない。その立場も、権力も、力さえもが、『賢者』という後ろ盾があってはじめて発揮されるのだと、アイザックは今更思い知る。


「僕は次の王を選ばない。今の王を支持もしない。どいつもこいつも上っ面ばっかり綺麗なことを言ってて、己のことしか考えてない馬鹿ばっかだもの」


 その賢者は、今の王家を見放すと宣言した。


 ならば、この国はどうなるというのだろう。


 国を作り、王を選んだ賢者に、ずっと守られてきた、この国は。そこに生きる、自分達は。


「こ、この国を捨てるというのかっ!?」


 今更慌てふためいた王が口を開いた。


「この国は『穢れの塔』を通して浄化を行わなければすぐに堕ちるのだぞっ!? それを……っ!」

「堕ちるなら勝手に堕ちればいいよ。僕は困らないし、僕の『大切』は僕が守るから」


 そんな王に対しても、賢者の言葉は冷たいままだ。


「そもそも、建国から一体何年が過ぎてると思っているの? その間にこのシステムをどうにかしようともせず、ただただ僕に依存し続けてきたのは明らかに先祖代々の君達の怠慢だよね? 僕が反逆したくなった時の対応策のひとつさえ用意していなかったなんて、甘いにも程があるんじゃないの?」


 さらにバッサリと斬り捨てた賢者は、もはや現王家と会話をすることにさえ飽きたのかフイッと視線を逸らした。視線を己の腕の中の人影に置いた賢者は、小さく笑みを浮かべて頷くと表情を掻き消してもう一度王を見据える。


「というわけで、僕はもうおいとまするよ。僕に媚びる方法のひとつでも思い付いたら、丁重に使者を寄越すんだね。僕が気に入る提案のひとつでもしてこれば、助けてやらないこともないよ」

「っ! させるかっ!」


 あまりに不遜な物言いにオズワルトが右腕を振り抜く。その軌跡に炎の渦が走った。


 無詠唱の攻撃魔法。並の魔法使いならばなすすべもなく灰燼に帰す攻撃を、オズワルトは迷うことなく賢者に打ち込む。


「オズワルト! 何てことを……っ!」

「兄上っ!?」


 思わず王とアイザックの声が揃う。


 ──何バカなことしてんだよっ!? いくら従わないからって殺したら意味がな……


「ハァ……」


 だがその攻撃に返されたのは、小さな溜め息ひとつだった。


 たったそれだけで、賢者に到達するよりも早く、炎弾は跡形もなく掻き消える。


「な……っ!?」

「相手の力量を見極めてから喧嘩は売ること。魔法攻撃でも、物理攻撃でも、国家戦略でも、戦争でも、基本は同じでしょ?」


 驚愕の声は、アイザックのものだったのか、あるいはオズワルトのものだったのか。


 言葉を失くして立ち尽くす王家三人を前に、賢者は心底呆れたといった口調で言葉を紡ぐ。まるで頑是がんぜない子供に言い聞かせるような口調でありながら、声はどこまでもヒヤリと冷え切っている。そして三人を見据える瞳は、声以上に冷え切っていた。


「前言撤回」


『とにかくもう会話もしたくない』という内心が駄々洩れの投げやりな口調で言葉を紡いだ賢者は、人影を抱き上げた姿勢から腕を外すことさえせず、チョイッとわずかに右手の人差し指を三人に向かって伸ばした。


 その指先にキュインッと微かな音とともに光が集まったと思った次の瞬間、アイザックの視界は白く焼ける。


「使者とかもういいから、とにかく僕に関わらないで」


 衝撃と、突風と、轟音は、その後にやってきた。


「っ!?」


 何かが自分達のかたわらを駆け抜けた、と思った瞬間、体は宙に投げ出されていた。視界が強すぎる光に焼かれて意味をなさなくなっている中、全身に走った衝撃で息が詰まる。


「お、王宮が……っ!」


 その瞬間から、どれだけ経った後だったのか。


 賢者が放った光線の衝撃で吹き飛ばされ、全身を大地に叩きつけられたのだと分かったのは、父王の悲痛な叫びを聞いたからだった。


「っ……!」


 全身に走る鈍い痛みをこらえながらなんとか目を開く。


 妙に視界が明るいな、と思いながら体を起こし、背後を振り返れば、遠くで何かが赤々と燃えていた。その炎に照らされているせいで視界が明るくなったのだと分かった時には、さっきまで自分達がいた王宮からその炎が上がっているのだということを理解できた。


 自分達のすぐ横に先程までなかったはずである深い溝ができていて、その溝が遠く王宮まで伸びている。溝に沿って大地は割れ、溝の周囲からは木々も建物も軒並み存在を削り取られていた。


 ──指の一振りで召喚された光線が、俺達を吹き飛ばし、大地をえぐり、あんなに遠くにある王宮まで届いた……?


 頭がその事実を理解するよりも、体が本能的な恐怖で震える方が早かった。


 ──こんなことができる人間が本気になったら、世界なんて簡単に終わってしまうじゃないか……!


「影が……っ!」


 自分達はとんでもない人物を敵に回してしまった。


 そのことを、アイザックはようやく理解する。


 だが理解したところで、事態は何も変わってくれない。


 オズワルトの声に、アイザックは恐怖に固まった首を無理やり振り向かせる。


 賢者の姿はもはやどこにも見当たらない。だが三人の中でいち早く体勢を立て直したオズワルトは、先程まで賢者が立っていた場所を緊迫した表情で見つめ続けている。


 その視線の先で、ドロリと闇よりも深い影がうごめいた。


「ど……っ」


 ──どうしろって言うんだこの状況っ!!


『穢れの塔』は賢者が不在でもある程度負の力を溜め込み、ゆっくりと浄化してくれる機構を有していた。


 だが今は賢者だけではなく、その塔までもが跡形もなく崩れ去っている。そして『負の力がこの場所に流れ込む』という力の流れ自体は変わっていない。


 つまり今この場所は、王都で最も負の力が集まる場所に様変わりした、ということだ。


「マズい、早急に手を打たなければ……っ!」

「オズワルト、王宮は……」

「父上! 王宮よりも『穢れの塔』の方が先です! このままでは……」


 オズワルトにすがり付くことしかできない父王に怒鳴り返し、オズワルトはキリッと奥歯を噛み締めた。


「このままでは明け方を待たずに王宮一帯が堕ちますっ!!」


 無慈悲なその言葉に、父王だけではなくアイザックまでもが、目の際に涙を浮かべてヘナヘナとその場にくずおれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る