留守番ですか? 承知いたしかねます

Ⅰ_1


 あの日から、一週間が過ぎた。


 今日もメリッサは一人、屋敷の掃除をし続ける。


 帰還した時に酷く荒らされていた室内は、メリッサが毎日黙々と掃除に励んだおかげでスッキリと美しく片付けられていた。


 屋敷が勝手に成長しないせいで、新しく掃除をする場所も生まれない。もう掃除をする場所もないくらいに、屋敷は磨き抜かれている。


 それでもメリッサは、まるでそれ以外の動きを知らないかのように、今日も屋敷を磨き続ける。


 メリッサが黙々と働く作業音以外に、屋敷の中から音は聞こえてこない。


 柔らかなノーヴィスの声も。にぎやかしいファミリア達の声も。屋敷が呼吸する音も、魔法道具達の寝息も。


 死んでしまった屋敷の中で、メリッサだけが淡々と業務に従事していた。


 そんなメリッサの脳裏には、この一週間ずっと、ノーヴィスと引き離されたあの瞬間の光景が巡り続けている。




  ❆  ❆  ❆




「……どういう意味なのか、一応説明してもらえるかな?」


 レンシア通りで近衛兵に囲まれたノーヴィスは、居丈高いたけだかな言葉に静かに答えた。そんなノーヴィスの態度にひるむこともなく、近衛兵は高圧的にノーヴィスの罪状を述べる。


「この惨状を引き起こしたのはお前だという通報を受けている。先程お前の魔力が爆発的に発散されていたことも確認済みだ。土地の力を暴走させて堕とし、数多の民を害した。この行為は国の安寧を脅かす物である。よって国家に対する反逆者としてお前を連行する」

「窃盗罪と不敬罪に関しては?」

「第二王子殿下が所有されておられた魔法道具がお前の屋敷で見つかった。魔法学院きっての才人であられるエドワード・ディーデリヒ殿の探索魔法のおかげでな」


 そう言い放ちながら、近衛兵はチラリとエドワードに視線を向けた。俯いていてもその視線の圧を感じたのか、エドワードの肩がビクリと跳ねる。


 エドワードはそのまま黙秘を貫いた。そんなエドワードの姿にフンッと息を吐いた近衛兵は、ノーヴィスに視線を戻すとさらに強く声を張る。


「殿下から数日前『部屋から消えた』と近衛騎士団が相談を受けていた品で間違いない。この品からもお前の魔力反応が感知されている。殿下の所有物を盗み出すなど不敬極まりない! よって窃盗罪と不敬罪を余罪とするっ!!」


 ──一体、この人達は何を言っているの……?


 ノーヴィスは訳が分からない理屈を並べられても表情ひとつ変えなかった。だがその後ろで同じ説明を聞いていたメリッサは冷静でなどいられなかった。


 なぜそんな考え方になるのか。ノーヴィスの魔力が炸裂した後に騒ぎが納まっているのだから、普通はノーヴィスがあの大災害を最小限の被害で食い止めたと考えるのが自然なのではないか。


『第二王子殿下所有の魔法道具』とは、あの手帳のことか。ならばあれは依頼の品であるとエドワードが証言できるはずなのに。だというのになぜ『盗品を発見した魔法使い』としてエドワードの名前が挙がっているのか。


 何もかもがおかしい。何もかもが不自然だ。


 だというのになぜ、この流れを彼らは一切疑っていないのか。


「詳しい話は王宮で聞く。恐れ多くも第二王子殿下が犯人と直接の対話を御所望だ」

「おっ、お待ちください……っ!」


 メリッサはとっさに前へ出ようと声を上げた。


 なぜこうなったのかは分からない。だが向こうの一団にエドワードがいる以上、どこかにカサブランカが噛んでいる。ならば連行された先でどれだけ理論整然と真実を説明したところで、誰もノーヴィスの話は聞いてくれないだろう。


 ノーヴィスを行かせてはならない。


 そう思って前へ出たはずなのに、次の瞬間メリッサはなぜかノーヴィスから離れた人混みの中に立っていた。いきなり切り替わった視界に脳がついていけず、一瞬足元が揺れる。


「ルノちゃん!」


 そんなメリッサを支えてくれたのは、いつの間にか傍にいたエレノアだった。自分が纏っていたショールをメリッサの頭から掛けたエレノアは、メリッサを抱きしめるようにして周囲の目からメリッサを隠す。


 その一瞬前、人混みの先でひとり近衛騎士団に囲まれたままのノーヴィスの片手がメリッサに向けられているのが見えた。フワリと微かに舞った燐光は、魔法の残滓ざんしで間違いない。


 ──転移魔法? ノーヴィス様が私をエレノアさんのところまで移動させた?


 なぜ、と思った瞬間、人混みの先から響いた声でメリッサはノーヴィスの意図を察した。


「分かったよ。素直に君達に同行しようじゃないか」


 ノーヴィスは、抵抗しないつもりなのだ。ノーヴィスだってはかりごとの気配には気付いているはずなのに。


「僕は罪に問われなければならないようなことは何もしていない。この身の潔白は、誰よりも僕自身が知っている。さっさと君達に着いていって、さっさと事情を説明して、さっさと帰らせてもらうよ」


 ノーヴィスの声は、離れているはずなのに、なぜかよく聞こえた。恐らくノーヴィスは、メリッサに聞かせるためにわざわざ声を張って喋っていたのだろう。


 反射的にメリッサはエレノアの腕の中で身をよじった。エレノアの腕の力は強くて抜け出すことはできなかったが、体の位置とショールがずれたおかげで、メリッサはノーヴィスの姿を見ることができた。


 メリッサの視線の先で、ノーヴィスは笑っていた。一瞬だけノーヴィスの視線がこちらに流れて、確かに目が合う。


 フワリと笑みを深めたノーヴィスの唇が、音もなく動いていた。


 ──留守番お願いね、ルノ。


 すぐに帰るから、ね?


 そんな感情を込めて、ノーヴィスはメリッサに笑いかけていた。


 何かを思うよりも前に、体の動きが止まっていた。その間にメリッサを抱き込み直したエレノアは広場を離れ、ノーヴィスの手にかせをかけた近衛騎士団はノーヴィスを護送用の馬車へ引き立てていった。




  ❆  ❆  ❆




「……ごめんなさい、ルノちゃん。しばらくここにいてね」


 次にメリッサが我に返った時、メリッサは『カメリア』の二階に匿われていた。エレノアが居住スペースとして使っている、店の二階部分の端にある物置部屋だったと思う。


 エレノアは恐らく、メリッサにも敵の手が伸びると考えたのだろう。屋敷に敵が張っていると予測したエレノアは、何も考えられないメリッサを有無も言わさず物置の中に押し込んだ。


 エレノアの予感は的中していたようで、『カメリア』にも捜査の手が及んでいたようだった。


 階下から言い争う声が聞こえてきてはいたが、メリッサはその声に耳を澄ますことさえできなかった。その代わりに逆に彼らが階段を上がってくることもなかった。


「ルノちゃん、本当に大丈夫?」


 メリッサがエレノアの元を離れたのは、ノーヴィスと別れてから二日後のことだった。


「まだ向こうがルノちゃんを諦めたとは思えないわ。まだここにいた方が……」

「大丈夫、です」


 エレノアは様々なことを心配して引き留めてくれたが、その言葉全てにメリッサは首を横へ振った。


「留守番を、任されましたから。私は、あのお屋敷に戻らないと」


 メリッサの声に力はなかったが、折れることはないとエレノアには分かったのだろう。最終的にエレノアは、メリッサを店から送り出してくれた。


「いい? ルノちゃん。協力できることがあったら、どんな小さなことでも、どんなムチャなことでも、必ずアタシに言うのよ?」


 そう言ってくれたエレノアに、メリッサは深く頭を下げることしかできなかった。


 出る時は二人で出た屋敷に、メリッサは乗合馬車を使って一人で帰った。エドワードを連れた近衛騎士団が踏み入り、片っ端から家宅捜査をした後だったのだろう。門も玄関扉も開きっぱなしで、屋敷の中は酷く荒らされていた。


 いつもは屋敷を満たしている優しい空気が、どこにもなかった。空気はどこか寒々しいまま停滞している。降り注ぐ光は変わらないはずなのに、なぜか屋敷全体が煤けて見えた。


 だからメリッサは、ひたすら屋敷を磨き続けた。磨き続けたら、あの光に満ちた空間が帰ってくるはずだと、根拠もなく信じているフリをして。

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