Ⅳ_1


 黒で埋め尽くされた視界は、メリッサが全力で魔力を展開した瞬間白に塗り潰された。凶暴な白に包み込まれた漆黒は一瞬動きを止めた後、大きくひび割れながら崩れていく。


 それを確認しながらメリッサはグレイブの柄で床を突き、己の魔力を地面に叩き込む。店の床下に仕込まれていた魔法陣を巡ったメリッサの魔力は力の質を変え、光となって周囲を照らした。その光に照らされた瞬間、空間を満たしていた影はしおれながら消えていく。


「ルノちゃんっ!?」


 ひとしきり影を一掃したメリッサが店内の様子を確認していると、聞き覚えのある声がメリッサの呼び名を呼んだ。声の方を振り返れば、目を丸くしたエレノアが床に座り込んでいる。


「エレノアさん! ご無事でしたかっ!?」

「え、えぇ」


 エレノアに駆け寄ったメリッサは、そっとエレノアの背中を撫でる。意識して魔力を纏わせた手で背を撫で下ろすと、エレノアはほっと息をいた。血の気を失っていた顔にわずかに赤みが戻っている。


「来てくれてありがと、ルノちゃん。手当もありがとね。呼吸が楽になったわ」

「間に合って良かったです」


 そんなエレノアに、メリッサもほっと息を吐いた。


 同時にレンシア通りの惨状を思い、キュッと眉間にシワを寄せる。


 ──なぜ、こんなことに……


 人の手が入っていない自然というものは、本来負の力も正の力も帯びていない。大地が持つ純粋な力は中性フラットだ。


 だがそこに人が住み着き、家を建て、街を造ると、土地の気はそこに生きる人々の影響を受けて正にも負にも傾くようになる。人々が活発に行き交う栄えた場所は正に、逆にさびれて人々の気が枯れた場所、ヒトや動物の『死』が折り重なった場所は負に傾く。


 土地の気が正に傾く分にはまだいい。だが負に傾くと厄介だ。


 負の力に傾いた土地は、人の心を闇に傾ける。病や気鬱を抱える者が増え、街の空気はどこか煤ける。その空気に魔物が引き寄せられ、さらに人々の不安がつのり、その心の闇がさらに大地に流れる力を歪め、という悪循環が止まらなくなるのだ。


 そして最後に、土地そのものが『堕ちる』。


 負の力を溜めこんだ大地が力を暴走させ、土地そのものが影や魔物をみずから生み出すようになってしまうのだ。生み出された魔物やあふれる負の力はさらなる栄養素……生命力や魔力といった『力』を求めて人々を襲う。


 ──しかしこのレンシア通りは繁華街。元々正の力の方が強い場所であるはず。


 そんな場所がいきなり『堕ちる』なんて話は聞いたことがない。


 ましてやここはサンジェルマン伯爵邸に近く、ノーヴィスと交流があるエレノアの店ある場所……いわばノーヴィスの支配領域だ。定期的にレンシア通りに通っているであろうノーヴィスが、こんな大災害の予兆を見落とすはずがない。


「でもルノちゃん、どうやってあいつらを浄化したの? この店の周囲だけって言っても、そんなに簡単にできることじゃないでしょう?」

「エレノアさんがノーヴィス様に宛てた通信の中で『結界がある』というようなことをおっしゃっていたのを聞いていたので、その基盤をお借りしました」


 立ち上がるエレノアに手を貸したメリッサは、胸中の疑問を一度しまい込むとエレノアの疑問に答えた。


「魔法陣があれば、技量に劣り、魔力属性が違う私でも、力さえ通せれば、魔法陣が展開している魔法の効力を底上げすることくらいはできるかと思いまして」


 影の侵略に備えた結界ならば浄化陣だろうと踏んでいたのだが、案の定メリッサの予測は当たっていた。


 恐らくノーヴィスはこういう事態になった時、この店を足掛かりにして土地の浄化を開始するつもりだったのだろう。もしかしたら、既知であるエレノアだけはとにかく守れるように、と考えていたのかもしれない。だからここに結界があったのだ。


「レンシア通りはノーヴィス様の管轄とお見受けいたしました。ならば同様の魔法陣がいくつか街中に刻まれているはずです。ノーヴィス様はそれぞれの魔法陣の効力を上げ、パスを通すことで土地の浄化をはかるのでしょう」


 メリッサは己が掴んでいる感覚と知識、両方を動員させて考察を述べていく。


「ならば私の役割は、影に襲われている人々の救出と影の物理的破壊。万が一移動中に魔法陣を見つけた場合は、私の魔力を通して魔法陣を活性化させること」


 いつでもにぎわっているレンシア通りがいきなり堕ちれば、多くの人間が巻き添えになる。


 たった一人で巻き添えになった人々を助けながら土地の浄化までしようとすると、どうしても手数が足りない。だからあの時メリッサは同行を申し出た。


「先程魔法陣に魔力を通した時、私と魔法陣の間にパスを繋ぎました。私を介して浄化の魔法陣に力が送り続けられるので、この店を中心に安全なエリアが一定範囲に生まれるはずです。私は物理的に影を薙ぎ払いつつ、救出した人達をこの店の周りに退避させます」

「……ルノちゃんって」


 ここまでで把握できた事実から推測したことと、それを踏まえた己の考えを道筋立てて述べる。


 そんなメリッサに、エレノアは茫然ぼうぜんと呟いた。


「実はすっごい子だったのねぇ」


 思わず、といった風情でこぼされた言葉に、メリッサはパチパチと目を瞬かせた。そんなメリッサの様子をどう解釈したのか、エレノアは慌てて両手を胸の前で振る。


「いや、あのお屋敷で平然と暮らしていられるって時点で、ルノちゃんのすごさは分かっていたつもりだったのよ? でも予想以上だったっていうか」


 エレノアが付け足した言葉に、メリッサはさらに目をパチクリさせた。エレノアの発言が、普段メリッサを褒めちぎるノーヴィスの言葉と、あまりにも似ていたから。


 今までのメリッサであったら、すかさず『そのようなことは』とか『恐縮です』と答えて、内心でその言葉を否定したことだろう。


 だけど、今は。


「ええ」


 メリッサは思い切って言い切ると、口元に淡く笑みを刷いた。


「何せ私、サンジェルマン伯爵家のメイドですから」


 一瞬だけ浮いた表情に、エレノアが大きく目をみはる。


「それでは、行って参ります」


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