Ⅲ_2


 テーブルの端に置かれていた水晶玉が唐突にピィピィと甲高い音を立て始める。鳥の鳴き声というには無機質な音にメリッサが思わず身構えるのと、ノーヴィスが眉をひそめるはほぼ同時だった。


「緊急通信? 一体どこから……」

『ノーヴィスッ!! ちょっとノーヴィス聞こえてるっ!?』

「え? エレノアさん?」


 水晶玉の中に光が走ると同時に声が響く。膜を通したかのようにくぐもっているが、この声は間違いなくエレノアのものだ。


 ──魔力を原動力とする通信装置。これは封印された魔法道具ではなくて、通信用の物だったのですね。


 理解がおよんだメリッサは水晶をもっとよく見ようと体を寄せる。


 だがそれよりもサッと立ち上がったノーヴィスが距離を詰めて水晶玉に顔を寄せるようにしゃがみ込む方が早かった。


「エレ、どうしたの? 何があった?」


 話しかけながらノーヴィスは水晶玉に手を添える。その瞬間、水晶玉の中にノイズが走り、ぼんやりと景色のような物が映し出された。


 そこに映っている光景を見たメリッサは思わず息を詰める。


『レンシア通り一体が堕ちたわっ!! アタシの店はあんたの結界で何とか持ってるけど、それも時間の問題よっ!!』


 エレノアの背後には衣装を纏ったトルソーが見える。恐らくエレノアは『カメリア』の店内にいるはずだ。


 だというのにその後ろには無茶苦茶に黒い影が躍っている。まるで漆黒の触手が暴れ回っているかのように。


 ──『堕ちた』って、まさか……っ!!


 その影を、メリッサはついさっき、実際に己の目で見た。


「チッ!」


 自分が直接相対した時には感じなかった恐怖がメリッサの背筋を駆け抜ける。


「どうなってるって言うんだ……っ!」


 その恐怖を蹴散らしてくれたのは、すぐ傍から聞こえてきた舌打ちだった。


 メリッサは状況も忘れて目を丸くする。そんなメリッサの視線の先にいるのは、苦々しい顔で水晶玉に見入るノーヴィスだ。


 今この部屋にはノーヴィスとメリッサしかいない。ノーヴィスとメリッサがきちんと『お喋り』ができるようにと、ファミリア達は気を使ってこのお茶会には顔を出さない。そして今、メリッサは舌打ちをしていない。


 よって舌打ちを放ったのはノーヴィスで間違いないのだが。


 ──ノーヴィス様、そんな荒っぽいことも、できたのですね?


 一瞬状況を忘れたメリッサは、心の内だけで呟いた。


 不謹慎ではあるが、新たに知ったノーヴィスの意外な一面のおかげで、冷静になれたような気がする。


「ノーヴィス様、出向かれるのですね?」


 メリッサは常と変わらない声音でノーヴィスに声を掛けた。そんなメリッサの声を聞いたノーヴィスは、はっと我に返ったかのように水晶の向こうへ言葉を向ける。


「エレ、今から行くから、少しだけ持ちこたえて。この通信の繋がりを使ってそっちに飛ぶから」


 ノーヴィスの声にエレノアが何と答えたのかは分からなかった。ノイズがさらにひどくなり、エレノアの声は砂嵐の向こうに消える。


 だがもうノーヴィスが取り乱すことはなかった。スクッと立ち上がったノーヴィスはバサリとローブを翻しながらフードを被ると、右手を振り抜いて杖を召喚する。


 そんなノーヴィスに追従するようにメリッサも立ち上がった。構えた両手の中にはすでにグレイブが召喚されている。


「私も行きます」


 ノーヴィスの視線がローブの奥から飛ぶ。


 真っ直ぐにノーヴィスを見上げたメリッサは、ノーヴィスが口を開くよりも先に己の意志を口に出した。


「ノーヴィス様は、言ってくださいました。私は優秀で、強いと」


 ここで言い争っている暇はない。事は一刻を争う。


 だからメリッサは、端的に己の意志を示した。


「人手がいるはずです。私も、大切な人を守るために、戦わせてください」


 その言葉にノーヴィスは一度瞳を閉じた。


 次に開かれた時にはもう、その目に迷いはない。


「ロットさん、パーラさん、キートさん、オウルさん。屋敷をお願い」


 ノーヴィスは一度左手を机の上の手帳に置いた。フワリと一瞬舞った黄金の燐光は、手帳をいましめる銀鎖に絡むと黄金の鎖に姿を変える。


 それを見届けたノーヴィスは、次いでメリッサへその手を差し伸べた。


「堕ちたのはレンシア通り一帯。僕達の任務は巻き込まれた人々を救い出すことと、土地の力を元に戻すこと」


 その手に、メリッサは迷うことなく己の手を重ねる。


「土地は僕が、人々は君が」


 ノーヴィスの説明はメリッサの言葉以上に端的だった。何をどうせよとも、何がどうなっているとも、詳しい説明の言葉は出てこない。


 時間がない、ということも確かにある。


 だがそれ以上にこれは、信頼だ。メリッサならばこれだけで対処ができるという、ノーヴィスからの信頼の表れだ。


 ノーヴィスの言葉とともに繋いだ手から燐光があふれ出る。燐光が目の前の景色を掻き消し、別の場所へ通路が繋がるのが分かる。


 だからメリッサは、ノーヴィスと繋がった手にグッと力を入れると端的に答えた。


うけたまわりました」


 答えた瞬間、パッと燐光は掻き消える。


 それと同時に、メリッサは手にしたグレイブを全力で振り抜いた。

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