Ⅱ_3


 そうでなければ日々増えていく魔法道具達に関して説明がつかない。そうバカスカ金貨が大量に動く依頼ばかりがあるとは思えないし、屋敷の中に転がっている魔法道具の中には明らかに低級の封印士でも対処できる道具達もいるのだから。


「僕はお金に困っているわけじゃないし、名誉が欲しいわけでもない。依頼人の家名が何であろうがどうでもいい」


 ノーヴィスは依頼品にも金貨が入った麻袋にも一切手を付けず、バッサリとエドワードの言葉を切り捨てた。


「『依頼』は『依頼』でしかない。規程の額が用意できないなら、お引き取り願おうか」


 ──まったくもって同感です。


 メリッサは無言のまま深くノーヴィスに同意した。


 まったくもって腹立たしい。顔見知りだから屋敷に上げてもらったのだが、こんなことを言い出すならば表通りに放り出しておけば良かった。


 黙り込んでしまったエドワードは、恐らくもう何も言えないだろう。ならばさっさと叩き出すに限る。これ以上ノーヴィスの時間をこんな恥知らずに浪費されたくはない。


 そんな思いからメリッサはスッと前に出る。


 だがエドワードはそんなメリッサの内心をどこまでも理解できていなかった。


「メリッサ! 家に帰ろうっ!!」


 引っ立てるために伸ばされたメリッサの手を、エドワードは両手でガシッと掴んだ。下からうるんだ目で見上げる仕草は、エドワードが女子を口説くどく時に使う必殺技だ。


「こんな冷たいヤツのところにいる必要なんてないよっ! 僕が必ずカサブランカの家に君の居場所を作ってあげるからっ! だから、僕と一緒に帰ろうっ!」

「……は?」

「君がいなくなって初めて分かった。君は僕の癒しだった。君がカサブランカからいなくなった後の日々が、どれだけ色せたものだったか……!」


 メリッサののどからすり抜けた声はかつてないほどドスが効いた『は?』であったのに、エドワードは全くおくすることなくメリッサを見上げている。エドワードの発言がよっぽど突拍子もなかったせいなのか、いきなりメリッサを口説き始めたエドワードを前にノーヴィスも虚を衝かれたような顔で目をしばたたかせていた。


 ──何を言っているのですか? この阿呆あほうは。


 何やらまだエドワードは甘いセリフを口にしているが、メリッサの耳には一切その言葉が聞こえていなかった。ただ自分の目が段々と据わってきていることと、自分がまとう空気がかなり冷えてきていることは分かる。


 メリッサは思わずエドワードに手を取られたままノーヴィスを見た。


 何を訴えたかったのかは、メリッサ自身にも分からない。ただ、先程まで機嫌の最低値を更新し続けていたノーヴィスは、メリッサと視線が合った瞬間イタズラを思いついた子供のように小さく笑みを向けてくる。


 そんなノーヴィスの唇が、音もなくパクパクと動いた。


『いいよ、カマしてやりな』


 それだけでノーヴィスには、メリッサがいだいている不快感も怒りも、何もかもが伝わっているのだと分かった。


 そうでありながらノーヴィスが対処に動かなかったのは、メリッサならば自力でやり返せるはすだと信じてくれているのだということも。


『大丈夫。派手にやっちゃって』


 最後にパチンとウインクまで送ってくる。


 そんなノーヴィスは、エレノアによく似ていた。


「どうか戻ってきてくれよ。僕と幸せになろう?」


 その笑みはいつも、メリッサの背中を押してくれる。


「お言葉ですが、エドワード」


 体は、自然に動いていた。


 肩の力を抜いて、そのまましなやかに腕を振り抜く。たったそれだけでしつこくメリッサの手を握りしめていたエドワードの手が離れた。


「私がカサブランカの家に戻ったところで、貴方あなたは幸せにはなれませんよ」

「……え?」

「貴方は最初から、母と妹の奴隷になる未来が確定しているのです。その未来は、私がカサブランカの家に戻ったところで、何も変わりませんよ」


 バランスを崩したエドワードは無様にソファーに崩れ落ちる。対して背筋を正して立ったメリッサは、変わることなく冷めた目でエドワードを見下ろしていた。


「貴方も最初から分かっていたことでしょう? あの家の頂点は母で、その頂点の座を継ぐのはマリアンヌです。貴方ではない」


 その構図を変えないまま、メリッサは言葉を紡いだ。


 ただ淡々と、分かりきった事実を並べるために。


「貴方はマリアンヌが『次』を残すための種馬でしかないのです。そこに権力など発生しない。『カサブランカ侯爵』という肩書きは手に入れられるでしょうけれど、実権は全てマリアンヌに移行します」


 メリッサにとっては、今更何を思うまでもなく、分かりきっている事実。だがメリッサよりも事の中心に置かれていながら、エドワードにこの現実は見えていない。


 その証拠にエドワードは愕然がくぜんと目を見開いた。


 そんなエドワードに、メリッサは無表情のまま小首を傾げる。


「それでも、貴方は気になさらないのでしょう? 貴方はあくまで『カサブランカ侯爵』になりたかった。ただそれだけなのだから」


 エドワードがメリッサはおろか、マリアンヌさえ見ていないということに、メリッサは随分前から気付いていた。


 エドワードが見ていたのは『カサブランカ侯爵』という権力だけだ。


 子爵の次男である彼は、そのまま生きていても決して爵位を手に入れることはできない。だからこそ、実家より格が高く歴史もある『カサブランカ侯爵』の名を手に入れることに固執した。


 メリッサとの婚約は親が決めたなりゆきのものだが、マリアンヌを必死に口説き、両家を巻き込んでマリアンヌに乗り換えたのも、全てはつつがなく『カサブランカ侯爵』に納まるためだったのだろう。


 メリッサよりもマリアンヌの方が『カサブランカ侯爵』を得るための地盤として盤石だった。


 どれだけ上辺をロマンチックに取りつくろってみたところで、エドワードがマリアンヌへ乗り換えた理由はその本質からは変わらない。そこに最初から『愛』やら『恋』やら『情』というものは存在していなかった。


 メリッサは随分前からそのことに気付いていた。恐らく母も気付いているだろう。だが母はカサブランカの家がつつがなく続き、自分の手駒として使うことができれば、エドワードが何を思っていようとも気にはしない。マリアンヌは恐らくそもそもそんな周囲の思惑になど気付くことなく、ずっとエドワードとのロマンチックな結婚を夢に見ている。


「貴方が私にカサブランカの家に戻ってきてほしいのは、自分より下の立場の人間を身近に置きたいだけなのでしょう? 私がいなくなって、貴方が入ったカサブランカの家の中では、貴方の立ち位置は明らかに一番下……かつて私がいた『下僕』という場所なのでしょうから」


 メリッサにとってその環境は『当たり前』だったから、メリッサがその立場に関して何かを思うことはなかった。


 だがその環境に新たに放り込まれたエドワードは、決してそれを『当たり前』とは思えないだろう。エドワードにとってあの家は、決して居心地が良いと言える場所ではない。


 だからエドワードは、今更になってメリッサを欲した。


 愛やら情やらでは、決してなくて。


 自分が殴るための、あるいは自分の代わりに差し出すための、肉袋として。


 そこまで思ったメリッサは、ふとあることに気付いた。


「あぁ、もしかして制服姿なのは、他に服を与えられていないからですか?」

「ちっ、違うっ!!」


 かつての日常を常に制服で過ごしていた自分を思い起こしての発言だったのだが、どうやらそれは思い違いであったらしい。怒りに顔を染め上げたエドワードはガバリと立ち上がるとメリッサをにらみ付ける。


「これはっ! 一目で俺がお前の関係者だと分かるようにしろと言われて渋々着てきただけで……っ!」

「最初から私をダシに、ノーヴィス様に取り入るつもりだった、と?」


 メリッサはトトッと冷静に後ろへ下がって距離を取る。そんなメリッサをエドワードは睨み続けた。答えはなかったが、その沈黙が答えのようなものだ。


 しん、と。自分の心がさらに冷えたのが分かった。


「お引き取り下さい」

「なっ……!!」

「持ち込んだ品と金貨を持って、とっととカサブランカの家に逃げ帰りなさい、と言っています」


 メリッサの暴言にさらにエドワードの顔がどす黒い赤に染まる。


 だがメリッサはもうそれ以上の発言をエドワードに許さなかった。瞬時に召喚されたグレイブの刃先をエドワードの顎下に添え、極寒の空に吹きすさぶ風のごとき声で絶縁状を叩き付ける。


「さもなくば、貴方の首をここに転がしても良いんですよ?」

「お……お前っ! 元婚約者に……っ! カサブランカ家の一員になる俺にそんなこと……っ!!」

「できますよ? 何せ私はもう、カサブランカの家の者ではなく、サンジェルマン伯爵家の者ですから」


 チャキッとグレイブの刃先が鳴る。一分いちぶの隙もなくグレイブを構えるメリッサの周囲をしらしらと雪が舞っていた。


「さぁ、どうなさいますか?」

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