Ⅰ_2


「……っ!!」


 同時にバリンッと暴力的な音ともに天井が割れる。キラキラと太陽の光を弾きながら落ちてくる破片を追い越して降ってくる漆黒の影を見留めたメリッサは、さらに後ろへ下がりながら右腕を振り抜いた。


 驚きに漏れた吐息は、瞬時に無音の気合に化ける。


 振り抜かれたメリッサの手元から放たれた氷の飛礫つぶては、ガラス片よりも鋭く光を弾きながら影に向かって走った。迫りくる影をしのぐ速さで打ち出された氷片は、次々と影を貫き凍て付かせていく。


 ──あれは影? 負の力が実体を持って暴走している?


 板床を踏み締めて止まったメリッサは、さらに左腕を振り抜いて氷の飛礫を打ち出す。次いで左腕を振り抜いたメリッサは氷でできた薙刀グレイブを召喚した。長い柄の先に刃物を有したこの武器は、護衛官として戦っていたメリッサの相棒だ。


 ──でも、どうしていきなりこんなことに?


 メリッサは半身に構えると氷の飛礫つぶてをかわして前に出てきた影を斬り捨てた。グレイブの刃に撫でられた影は、切断面から身を凍り付かせて砕け散っていく。だがどれだけ斬って捨てようとも、飛礫で貫こうとも、後から後から影があふれてきてキリがない。


 ──このひと月、こんな影を見た覚えはなかった。


 メリッサは一旦大きく刃を振り抜くとつま先で床に線を引く。次の瞬間、その線から分厚い氷の壁が立ち上がった。影は怒涛どとうの勢いで壁に迫るが、圧縮された氷の壁はたやすく破れる物ではない。


 ──足止めするにしても限度があります。なるべく早くノーヴィス様に現状をお伝えしなければ……! 


 メリッサが得意とする魔法属性は『氷』だ。戦闘向きとも言えるし、食料品の保存や調理にも役に立つ。……もっとも、食料品の保存や調理にこの力が使えると気付いたのは、この屋敷に来てからなのだが。


 ──まったく……! 氷は氷でもキンと冷えたレモンスカッシュを作るための氷を作っていたかったというのにっ!!


 腹の底にまぎれもない怒りを感じながら、メリッサは時間を稼ぐべくさらに氷の壁を作り出そうと手をかざす。


 その瞬間、フワリと空気が動いた。


「ルノッ!!」


 響いた声にとっさにメリッサは体を伏せる。


 そんなメリッサの頭上を、氷の飛礫よりもガラス片よりも鋭い閃光が貫いた。メリッサが召喚した氷の壁さえをも貫いて影に襲いかかった閃光は、あっという間に影を蹂躙じゅうりんしていく。


「ルノッ、大丈夫っ!?」


 ブーツが板床を叩く音よりも先にバサリとローブが翻る音が聞こえた。その音が自分よりも敵前にあることに驚いて顔を上げれば、いつの間にかノーヴィスがメリッサを影からかばうように立っている。


「ノーヴィス様! 私はこの通り、無事です!」

「良かった。護衛業務もしていたとは聞いていたけど、君は戦闘においても優秀だったんだね」


 顔だけでメリッサの方を振り返ったノーヴィスが、ほっと息をきながら笑う。


 だが影に向き直ったノーヴィスの声からは、その柔和な笑みが消えていた。


「ロットさん、パーラさん、キートさん。ルノに手を出したやつらだ。容赦しなくていい」

『アタボウヨォッ!!』

『叩キ出スッ!!』

『イヤ、叩キ潰スッ!!』


 返るファミリア達の声も不穏だ。ここまで殺気立ったファミリア達の声を、メリッサは初めて聞く。


 そんなファミリア達の力は強かった。メリッサは自分が召喚した氷越しにしか向こう側が見えていないのだが、それでもメリッサでは太刀打ちできなかった影があっという間に駆逐くちくされていくのが分かる。


 結局、決着はものの数分でついた。ノーヴィスが言葉を発するまでもなく掻き消された影をさらに追い払うように、ファミリア達は廊下を旋回している。


 その様を氷に映る影として見ていたメリッサは、はっと我に返ると慌てて氷壁を消した。


 視界が開けた先には、悠々と宙を舞うファミリア達と天井が抜けた廊下だけがある。ゴチャゴチャと廊下を埋め尽くしていた雑多な品までもが影と一緒に駆逐されていた。


「オウルさん、屋敷の境界を強化して。一旦屋敷を収縮させて、密度を上げることで守りを強化したい」

『相分かった』


 最後の一羽を呼び付けたノーヴィスは、廊下の先を一瞥いちべつするとメリッサに手を差し伸べた。メリッサがノーヴィスの手を借りて立ち上がっても、ノーヴィスは繋いだ手を放さず、そのまま身を翻して廊下を進む。


「ノーヴィス様……っ」

「ルノ、多分これ、罠だ」


 いきなり手を繋がれことにメリッサは声を上ずらせる。


 だがそんな甘い戸惑いは、冷え切ったノーヴィスの声にかき消された。


「この廊下は、僕の魔力を吸った屋敷が作り出した物じゃない。誰かが外から付け加えた物だ。僕の物じゃない魔力と、誰かの作為さくいを感じる」


 ノーヴィスの低い声に我に返ったメリッサは、言葉を咀嚼そしゃくすると即座にノーヴィスが言わんとすることを察する。


「……誰かが、このお屋敷に干渉している、ということですか?」

「信じられないけれど、そういうことだね」


 ノーヴィスが規格外の魔力を有する魔法使いで、飛び抜けて腕がいい魔法封印士マギカ・テイカーであることは、このひと月、ノーヴィスから話を聞いたり、仕事に取り組むノーヴィスを観察していたおかげでおぼろげにだが理解できている。


 そもそもこの屋敷の化け物じみた機構を理解している今、その屋敷を完全に制御化に置いているノーヴィスの技量がいかほどの物なのか分からないメリッサではない。


 そんなノーヴィスの支配領域に干渉し、あまつさえ攻撃を仕掛けてくるとは。


 ──先方も、かなりの腕前であるとお見受けしました。


「とりあえず、この通路は封鎖して、屋敷から切り離す。屋敷の守護を司っているオウルさんを呼んだから、もう問題ないはずだ」


 メリッサに説明しながら廊下と階段を抜けて玄関ホールに出たノーヴィスは、メリッサの手を握ったまま、今自分達が降りてきた階段へ向き直った。そんなノーヴィスの後を追うようにロット達ファミリアが玄関ホールに飛び出し、最後にオウルが階段を出る。


 その瞬間、階段の左右の石壁がギュギュッと膨れ、先程まで確かにあったはずである階段はあっという間に姿を消した。


「……っ!」


 屋敷の構造が日によって変わっていることは知っていたメリッサだったが、実際に屋敷の構造が変わる瞬間を目にしたのは初めてだ。屋敷が生きている証拠を目の当たりにしたメリッサは、我知らず息を詰める。


「『切り離せ 切り捨てろ 異端分子は出てお行き』」


 そんなメリッサの隣でノーヴィスが空いている手を振り抜いた。宙に舞う燐光を引き連れ、オウルが玄関ホールの中を飛び回る。


「『屋敷と主がお怒りだ 害成す者は出てお行き』」


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