護衛ですか? 承知いたしました

Ⅰ_1


 ノーヴィスの屋敷に身を寄せるようになって、ひと月が過ぎた。屋敷に押しかけた時には春の気配が残っていたのに、差し込む光はもうしっかり初夏のものに変わっている。


 ──それでも不思議と、屋敷の中は快適なのですよね。


 メリッサは掃除の手を少し休めて頭上を見上げた。


 屋敷の中は天井や壁、果ては足元まで場所を問わずにガラスが多用されていていつでも明るい。造りが全体的に温室に似ているから夏になると暑くてまぶしいのではないかと覚悟していたのだが、不思議と屋敷に差し込む光はいつでも柔らかく、温度も湿度も常に快適に保たれている。これなら相変わらず適当に放置されている魔法道具の痛みや夏季の保存場所にも悩まなくていいだろう。


 ──屋敷にノーヴィス様の魔力が通っているから、なのでしょうか?


 ふと、先日ノーヴィスに教えてもらった知識が脳裏をぎった。メリッサが『ここに来てからずっと片付けを続けているのに、いまだに新しい部屋が毎日見つかるのはなぜなのか』と質問した時に教えてもらった情報だ。


 何でもこの屋敷には、ノーヴィスの身からあふれ出る過剰な魔力を適度に吸い取ってくれる機構が備わっているらしい。屋敷そのものが魔法道具で、ノーヴィスは自分の身に収めておけない過剰な魔力を屋敷に喰わせている、とも言える。


 屋敷そのものが生きていて、時折部屋が増えたり減ったりするから毎日新しい部屋が見つかるのだ、というのがノーヴィスの説明だった。外と空間がねじれているそうで、敷地面積に囚われず無限に成長することができる、ということもその時に一緒に聞いた。


 ──だから掃除をしなくても困らなかったのですね。


 ノーヴィスが定義した場所は勝手に改変ができないように設定もできるそうで、『僕が根城にしている居間や、ルノの部屋が勝手に消えたりすることはないから、安心してね』とノーヴィスは笑っていた。


 メリッサとしては、多少屋敷の中の配置が変わろうとも、ノーヴィスと己の魔力の残滓ざんしをたどれば道に迷うこともないし、特に不都合もない。『なるほど、そういう物なのですね』と思うと同時に、かつてエレノアがこの屋敷で何回も死にかけた、と言っていた理由を知って深く納得したのみである。


 ──それでも、外が暑くなって、日差しに夏を感じるようになれば、自然と生活に『夏』を取り込みたくなるものです。


 天井から差し込む光を眺めながら、メリッサはしばらく心を遊ばせる。


 ちなみに今片付けているのは、新たに見つかった廊下だった。


 昨日までは明らかになかった玄関ホール横の階段を上った先に見つけた廊下なのだが、ここも何やらよく分からない物品でゴチャッと埋まっている。どこに繋がっているのかを探るよりも前に、とりあえず己の足元から片付けないと先へ進むこともできない。


 両側ともずっと壁が続いているから、もしかしたらこの先は隠し部屋みたいな場所に繋がっているのだろうか。そんなことを思うと、ちょっとワクワクする。


 ──3時のお茶には、何か初夏を思わせる物をお出ししようかしら?


 もうそろそろお茶の時間が近い。このお茶会はメリッサが『ルノ』になってから日課に加わったものだ。


 ソワッと、メリッサの心が揺れる。少しむずがゆい感覚は落ち着かないものだが、決して不快ではない。


 ──アイスティーにレモンを添える……いえ、思い切ってレモンスカッシュの方がいいかもしれません。


 お茶の時間は、『お喋り』を目的として設定された日課だ。


『ルノ、あのね。お喋りしようよ』


 不意にノーヴィスがそう言ってきたのは、エレノアの所へ出かけた次の日のことだった。


『僕達、お互いに、用事がある時にしか中々声を掛けられないじゃない? だから、最初からお喋りの予定を日課に加えておいた方がいいんじゃないかなって』


 ノーヴィスは、もっとメリッサのことを知りたいと言ってくれた。質問がされたいとも、お喋りをしたいとも言ってくれた。ただメリッサはそうは言われても、どうやってノーヴィスに声を掛けたらいいのかが分からない。たとえ自分もノーヴィスと同じことを思っていても、だ。


 だから最初から予定に『お喋り』を組み込んでおけば、『この時間はお喋りをすることと』と決められるのだから、お喋りに対するハードルが下がるのではないか、というのがノーヴィスの発案だった。


 最初は『お喋りの時間を強制的に日課に組み込む』ということに首をかしげたメリッサだったが、今ではこの『お茶会』もとい『お喋りの時間』が日々の楽しみになっている。


 ──ノーヴィス様のことが知れるのは、嬉しい。


 ノーヴィス自身のこと。メリッサが見つけた魔法道具に関すること。メリッサが魔法について疑問に思っていたこと。何を話題にしても、ノーヴィスは喜んでお喋りをしてくれる。


 ──私のことを知ってくださることも、嬉しい。


 逆にノーヴィスから質問を受けることもあった。


 好きな色や花、得意な学問、逆に苦手なことや嫌いな物。メリッサが自分のことに関して紡ぐ言葉はまだまだたどたどしいが、それでもノーヴィスは喜んで聴いてくれる。


 ──話すことが楽しい、なんて。


 カサブランカの屋敷で、メリッサが自主的に口を開くことはほとんどなかった。命じられたことに、必要最低限の言葉で答える。そうでなければなじられるのが常だった。父や妹とは普通に会話ができたはずだが、やはり母との会話が一番多かったから、自然と二人と話す時も口数が減っていったような気がする。


 だからこんな風に会話をするのも、それを楽しいと思えるのも、この屋敷に来てからのことだった。


 ──いけません。落ち着かなすぎて、このままでは掃除がおろそかになってしまう。


 今日は何を話そうか。先程抱いた疑問をぶつけてみてもいいだろうか。他には何を話そう。この間書庫を整理していて見つけた本が面白かったと言ってみてもいいだろうか。


 お茶の時間が近付くにつれ、脳内がそんなことで段々と一杯になっていく。その都度つどフルフルと頭を振ってそんな雑念を追い出しにかかるのだが、そろそろ追い出しが増え続ける雑念に追いつかなくなってきた。


「……一旦、終了といたしましょう」


 それでも雑念を追い出そうと頑張ってみたのだが、数十秒後、メリッサは己に白旗を上げた。多分、早めにお茶会の準備をして、お茶会を終えてから再度掃除に取り掛かった方が効率がいい。


 メリッサは掃除をした区域の目印になるように廊下を区切るようにほうきを横たわらせる。こうしておけばどこまで物品の整理ができているか、一度この場を離れても分かるはずだ。後は屋敷がこの廊下をお茶会の間に改変させないことを願うのみである。


 そんな願いを込めてから、メリッサは厨房に向かうべく身を翻す。


 その瞬間、フッと視界に影が落ちた。


「……?」


 雲がかかった、といった感じの陰り方ではなかった。鳥が落とす影とも違う。


 もっと濃い影。


 まるで天井のガラスの上に誰かが降り立ったかのような……


 メリッサは反射的に顔を上げて己の頭上を見遣る。


 そして間髪入れずにその場から飛び退った。


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