Ⅴ_2
メリッサが
丸い
その上に重ねられた夜色の上着は、襟ぐりが大きく開いたフード付きのガウンコートのような形をしていて、後ろから体を包み込むように巻き付けられた
上着の裾を割って
足元はこげ茶のブーツで、これだけが元々履いていた物と変わっていない。
「どう? その子がイメージした物にアタシがデザインを加えたの」
この装束は、エレノアの言葉通り、エレノアの魔法によって創り出された物だ。
エレノアに手を預けた瞬間弾けた光が消えた後、メリッサはこの装束を纏っていた。一瞬制服はどこに消えてしまったのかと
『相手のイメージを引き出して、具現化する。そこにアタシがアレンジを加えたり、漠然としたイメージをきちんと形に起こすお手伝いをしたりもできるのよ』
ただしアタシのこの力、なぜか服飾品の具現化にしか使えないのよねぇ~、とはエレノアの言葉だ。
──それでも、すごい。
素敵な魔法だと、メリッサは心の底から思う。
「フード付きのガウンコートは、魔法使いのローブと、極東の民族衣装の『キモノ』のデザインを足した物ね。広く開いた襟元とか、姫袖ラインの腕周り、あと一度腰回りで合流するけど裾は割れてるデザインがキモノ風よ。極東の人はみんな黒髪だって言うから、きっとこの子にも似合うと思ったの。大正解だったわぁ~!」
おまけにこの装束はキッチリ感があるのに動きやすい。フレアスカートの裾が膝より少し上なのだが、その上に広がるガウンコートの丈が膝下まであるおかげで露出が高いようには見えないし、実はフレアスカートの下にショートパンツも履いているので、多少荒事をこなしても十分に動ける。
メイド業の普段着としてはもちろん、制服姿で出席が許される場にならばこの服装でも十分に出席が許されるだろう。
『さぁ、アタシに教えて。心を広げて、想像するの。アナタがあのお屋敷で着たい服は、どんな服?』
そんなエレノアの言葉に導かれるままメリッサがイメージしたのは、ノーヴィスが纏う夜空の色だった。
なぜそんなイメージを自分が抱いたのかは分からない。具体的にどんな形の服を着たいかというイメージは湧かなかったが、動きやすい服がいいなとは願ったと思う。あと服装とは関係がないが、『サンジェルマン伯爵邸のメイドとして、もっと役に立ちたい』とも願った。
その願いを、エレノアが形にしてくれた。
「おか……私は、とても、素敵だと、思います」
──『おかしい』はずは、ありません……!
一瞬こぼれかけた『おかしくはないでしょうか』という問いを飲み込んで、メリッサは素直な喜びを口にした。
『おかしくはないでしょうか』という言葉は、エレノアの仕事も、『ヘンじゃないわ』と言ってくれた言葉も、否定することになる。その両方に心を温められたメリッサは、自分自身の心もエレノアのことも否定したくはなかった。
そんな自分のために、メリッサはうつむきそうになる己を必死に
一方メリッサを前にしたノーヴィスは、相変わらず目を見開いたまま固まっていた。
一瞬、そんなノーヴィスのラピスラズリの瞳に金の燐光が舞う。
──え?
目深に被ったフードに、長い前髪、さらにはレンズが分厚いメガネと、ノーヴィスの瞳は厳重にしまい込まれている。
だがメリッサは、その燐光を己の目の錯覚だとは思えなかった。
──……綺麗。
まるで夜空を駆ける流れ星のような。あるいは、冬の
メリッサは思わず状況を忘れてノーヴィスの瞳に見入る。
だから、その瞳がトロリととろけて柔らかく笑ったことにも、すぐに気付いた。
「すごく、綺麗だ」
その言葉が聞こえた瞬間、世界からノーヴィスの声以外、全ての音が消える。
「よく似合ってる。制服も似合っていたし、君は元々綺麗な人だけど、グッと魅力が増したね。もっと早くここに連れてくるべきだった」
きちんとノーヴィスの声は耳に届いていたのに、脳が理解するまでに時間がかかった。
そしてノーヴィスの言葉の意味が理解できた時には、なぜか顔がポポポッと熱くなっている。
──な、なななっ……!?
ノーヴィスの言葉は、いつだってメリッサの心を温めてくれる。
だが今はいささかその温度が高い。高すぎる。
──何ですかこの熱は! 脈拍も高い気がしますし、これは異常事態です……っ!!
「……アンタ、そんなことも言えたのね」
メリッサを見つめて嬉しそうに微笑み続けるノーヴィスと、ノーヴィスからの言葉に完全に硬直してしまったメリッサ。
そんな二人を前にしたエレノアは、軽く目を
「ありがとう、エレ。エレの仕事は相変わらず最高だね」
エレノアの感嘆の呟きを聞いたノーヴィスは、エレノアにも微笑を向けた。
そんなノーヴィスの言葉を受けたエレノアは、またバチンッとウインクを送る。
「あら、ありがと。他の御依頼品も期待しといて。アタシ自身の腕も、アタシの魔法に負けないくらいすごいんだって、証明してやるんだから」
「えっ!? ほ、他っ!?」
エレノアの言葉にメリッサは我に返る。そういえばそんな感じのやり取りも二人はしていたのだった。
それはどれほどの数なのか、一体どんな内容だったのかと問いただすべく、メリッサはエレノアを振り返る。だがエレノアは妖艶な笑みとともにヒラヒラと片手を振ると自分の用件のみを口にした。
「制服もちょっと預からせて。大切に着ていたようだけど、やっぱり補修は必要みたいだから。他の御依頼品を納品する時までに綺麗にして、一緒にお届けするわ」
「そっ、そっちの話ではなくて……っ!」
「大丈夫よ。ソイツ、メッチャクチャ稼いでるくせに滅多にお金使わないんだから。多少アナタが使ってあげた方がいいくらいよ」
「そうだね。今後の楽しみができた」
「の、ノーヴィス様っ!?」
とんでもない言葉にメリッサはひっくり返った声を上げる。だがやはりノーヴィスはメリッサに構うことなくマイペースに話を続けた。
「じゃあエレ、よろしくね。できあがったら連絡ちょうだい」
「はいはい」
ノーヴィスの言葉に軽く答えたエレノアは、無表情のままアワアワと慌てるメリッサにバチンッとウインクをよこす。そんなエレノアに上機嫌なまま手を振ったノーヴィスは、さっさと店を出ていってしまった。どうやらメリッサが何を言っても、ノーヴィスは聞くつもりがないらしい。
「え、エレノアさんっ!」
ノーヴィスの背中とエレノアを何度か交互に見たメリッサは、エレノアに向き直るとガバリと頭を下げた。
「ありがとうございましたっ!!」
本当は胸にたくさん感謝や喜びが渦巻いているのに、上手く言葉になってくれない。一番簡単な感謝の言葉をこうやって叫ぶので精一杯だ。
「こちらこそ、アナタの服を作らせてくれて、ありがと」
だがエレノアは、そんなメリッサの心の
メリッサが頭を上げると、エレノアは本当に嬉しそうに笑っていた。
「アタシとの『お喋り』を楽しいと思ってくれたのなら、また遊びに来てちょうだいね」
その笑顔に、またメリッサの胸はホワリと温められる。
ノーヴィスが与えてくれる温もりや熱とは違う温かさ。どちらもメリッサに言葉の温かさを教えてくれた、大切な温もりだ。
「結局今日はアタシばっかりが喋り倒しちゃったんですもの。今度はちゃんとアナタのお話を聞きたいわ」
「っ、はいっ!」
メリッサはもう一度深く頭を下げると軽やかな足取りでノーヴィスを追う。先に店を出たノーヴィスは、店表の庭と道の境目辺りでメリッサを待ってくれていた。
メリッサが追いつくと、ノーヴィスはゆったりと歩き始める。その一歩後ろをメリッサは追った。
「あっ、あのっ!」
その足を止めないまま、メリッサは必死に声を上げた。そんなメリッサに『ん?』というようにノーヴィスが足を止めて振り返る。
「あっ……その……っ!」
思えば事務用件以外で、こんな風にメリッサからノーヴィスに声を掛けるのは初めてかもしれない。
そんなことを思っただけで、声が喉の奥でつっかえる。伝えたい言葉はたくさんあるのに、慣れていないせいで何から口にすればいいのかも分からない。
「……僕ね、ずっと君に呼び名を付けたかったんだけど」
そんなメリッサに、ノーヴィスは気付いたのかもしれない。
あるいはノーヴィスの方も、ずっと伝えたい言葉が喉の奥でつかえていたのかもしれない。
早く言葉にしなければ、と焦りを
「ずっと、いい名前が思いつかなくて」
そんなノーヴィスに、メリッサは目を
エレノアは言っていた。相手の
やはりノーヴィスは、メリッサを名前で呼びたくても呼べない状態だったのだ。エレノアが言っていた通りに。
それも良い名を贈ろうとして迷っていたのだとノーヴィスは言った。それを聞いただけでも、メリッサの心はまたホワリと温かくなる。
「ずっと、『黒』にまつわる名前が、頭の中に浮かんでたんだよね。『ルノアール』とか『ブルネッタ』とか。僕にとって黒はとても大切で、大好きな色だから。それに、君が纏う黒は深くて、澄んでいて、すごくすごく綺麗だから」
ノーヴィスの言葉を一言一句たりとも聞き逃さないようにと、体中が緊張しているのが分かる。ノーヴィスの表情の変化を見落とさないようにと、体中が集中しているのが分かる。
「みんな黒を
色とりどりの絵の具を混ぜ合わせると、最終的に黒に行き着く。逆に太陽の白い光は七色の虹を作り出す。どちらも同じく『全ての色を内に秘めた力強い色なのだ』と、ノーヴィスはゆったりした口調でメリッサに教えてくれる。
「君の『黒』は、そんな中でも特に綺麗だと、初めて見た時から思っていたんだ。だから、特別な『黒』を、名前に入れようと思っていたんだけどね」
恐らくノーヴィスが言っていた『
だがそんな表情が、不意に消えた。
「でもね。今の君の姿を見て、もっと素敵な名前を思いついたよ」
フワリと、本当に嬉しそうに笑ったノーヴィスは、両腕を広げるとメリッサの『名前』を呼ぶ。
「『
不意に、視界がパッと明るくなったような気がした。
「今の君は、黎明を
キラキラと降り注ぐ黄金の燐光は、ノーヴィスの瞳の中で舞った燐光と同じ色をしていた。美しくまばゆい光は、まるでメリッサの新しい人生を祝福するかのようにメリッサの頭上に降り注ぐ。
「だから僕は、君のことを『ルノ』って呼ぶことにするよ」
ジワリと、目尻が熱を帯びた気がした。
どうしてなのかは分からない。胸の中は熱くて、伝えたい言葉はたくさんあるのに、どの言葉も我も我もと先を争って結局喉から出てきてくれない。
こんなの、初めてだ。
伝えたいことが、たくさんあるなんて。
「これからよろしくね、ルノ」
「……っ、はいっ!!」
だからメリッサは、言葉にできないたくさんの思いも乗せて、震える声で呼びかけに答えた。
「よろしくお願いいたします、ノーヴィス様」
そんなメリッサにノーヴィスは一度目を見開いて、さらに柔らかい笑みを向けてくれる。
流れ星が降るラピスラズリの瞳の中には、泣き笑いのような顔をしたメリッサが真っ直ぐに映り込んでいた。
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