Ⅲ_2


「え?」


 だがそんな柔らかい感情は、一切トーンが変わらないエレノアの声に切り裂かれる。


「アタシね、物心ついた時からだったのよ。外見はゴッツイ男なのに、心は女だったの。生まれつきね。それが異常なことだってことも分からなかったものだから、子供の頃はどこへ行ってもそりゃあもうヘンなモノを見る目で見られたわぁ」


 巻き尺を片手にメリッサのかたわらに戻ってきたエレノアは、変わることなく穏やかな笑みを浮かべている。


 その表情や口調と語る内容が一致しなくて、メリッサはとっさにエレノアの言葉を理解することができなかった。


「由緒ある貴族ってのは、頭が固いってどこでも相場が決まってるのよね。アタシの親族は、御爺様から兄弟達まで、みぃ~んなそうだったわ」


 言葉を紡ぎながら、エレノアは巻き尺を伸ばす。その手の動きは、口がどのような話を語っていても一切よどみがなかった。


「アタシは家の恥だってそしられ続けた。それでもどうしたらいいのか、アタシには全然分からなかったのよ。『男に生まれたのならば男らしくあれ』とか『公爵家の男児たるもの』とか言われたって、全然分からなかった。だってアタシは、外見を間違えて生まれてきちゃっただけの、女の子だったんだもの」


 エレノアは変わらず笑みを浮かべたまま語り続ける。その表情からこれがエレノアの中で『終わったこと』とされていることは分かった。


 それでも、メリッサはどんな表情でエレノアの話を聞いたらいいのか分からない。


 だって、どれだけ時が経っても、当時のエレノアが酷く辛い思いをしてきたのだという事実は、変わらないのだから。


「だから、アタシは捨てられたのよ。『地図にあるお屋敷まで遣いに行ってこい』って家を出されたんだけどね。それが実質、放逐だったってわけ」


 軽やかな口調のままに言葉を紡いだエレノアは、ニコリとメリッサに笑いかけた。それだけでエレノアが自分の内心を汲み取ってくれているのだと、メリッサには分かる。


「サンジェルマン伯爵邸の別名、アナタ、知ってる?」

「……知っては、おりますが」


 それを口にするのははばかれた。あの屋敷に実際に踏み込み、暮らしてみて、あまりにも馬鹿らしい話だと思ったから。


幽鬼の屋敷ヴェルヴェオン

地獄の入口ランダ・ウィンダ


 ノーヴィスには『屋敷の場所は調べれば分かった』というようなことを言ったメリッサだが、実は『ノーヴィス・サンジェルマン』という名前だけではどうしても調べる取っ掛かりが見つけられず、最初のヒントだけは父にもらった。『ノーヴィス・サンジェルマン』という存在は、貴族名鑑に名前の記載がなく、メリッサの情報網をしても噂の欠片かけらひろい上げられない人物だったから。


 最後の挨拶と称して寝室まで顔を出したメリッサが素直にそのことを口にすると、父はあのうれいを含んだ目をメリッサに向けて言ったのだ。


『この都で一番有名な幽霊屋敷の主だよ』と。


 それだけの情報がもらえれば、メリッサには十分だった。『ノーヴィス・サンジェルマン』の名前は聞かなくても、『幽鬼の屋敷ヴェルヴェオン』の噂は魔法学院の生徒の間でも有名だったから。


 足を運んだ人間がことごとく屋敷に喰われているらしい。いや、喰っているのは屋敷ではなく屋敷の主である伯爵だ。いらなくなった道具や厄介な魔導書が最終的に投げ込まれる寄せ場であるらしい。いやいや、投げ込まれるのは道具だけではない。


 不都合なことを知ってしまった人間や、育てられなくなった子供や赤子を、人々はあの屋敷に捨てに行くのだと。


 最終処分場。


 いらなくなったモノ達の墓場。


 自分の結婚相手がそんな屋敷の主だと知っても、メリッサの心はコトリとも動かなかった。ただいつものように無感情のまま『さようですか』と胸中で呟いただけだ。


 だけど、今は。


「違います」


 気付いた時には、メリッサの口は勝手に反論を口にしていた。


 そんな自分に驚くよりも早く、メリッサはエレノアを見上げてキッパリと口にする。


「あのお屋敷は、そんな場所ではありません」


 外観に対して明らかに中が広すぎる屋敷。奥に深い構造になっているのに、屋敷の中は不思議とどこにいても自然の光が降り注いでくる。ファミリアが風をまとうモノ達であるせいか、屋敷の中はどこにいても風が抜けて心地良い。


 確かに厄介な魔法道具が無秩序に放置されていて危険ではあるが、なぜかそれさえもが居心地の良さに繋がっている。それは恐らく魔法道具達が各々おのおの自分達の好きな場所で眠りについていると本能的に分かったからだろう。


 怠惰たいだな主とにぎやかなファミリア。そんな住人達にいつくしまれた魔法道具と屋敷。


 そこにあるのはただただ穏やかで、温かくて、……人生で初めてほっと息をけたような、そんな柔らかい空気だった。


「あのお屋敷は、『処分場』などではなくて……」


 適切な言葉を見つけられないもどかしさに、メリッサは眉をしかめる。そんなメリッサの様子に、エレノアが目を丸くしているが分かったが、今だけはその反応が気にならない。


 あの温かくて心地良い場所を表すための言葉。今は何をおいても、その言葉が欲しい。


 メリッサは挑むようにエレノアを見据えたまま、必死に思考を転がした。そんなメリッサのことを、エレノアは律儀に待ってくれている。


「……ゆりかご」


 メリッサがその言葉を見つけるまでに、どれだけの時間がかかったのだろうか。


「あのお屋敷は、ゆりかごのような場所です」

「あら、ステキな表現ね」


 そんなメリッサが見つけた言葉に、エレノアは笑ってくれた。それが同意を含みものだと分かったメリッサはパチパチと目をしばたたかせる。


「すごいわ。アナタ、本当にあのお屋敷でしっかり生活できているのね」


 否定的な話を切り出してきたはずであるのに、エレノアはノーヴィスの屋敷にメリッサと似たような印象を抱いているらしい。その矛盾にメリッサはさらに目を瞬かせる。


「アタシはね。あの屋敷に放逐してくれた実家に感謝しているの。だってアタシに『エレノア』って名前を付けて、アタシを『アンドリュー』から『エレノア』に生まれ変わらせてくれたのは、他でもないアイツなんだもの」


 メリッサの頭を元の位置に戻したエレノアは、再びテキパキと採寸を始めた。そんなエレノアの栗茶色の瞳は、強い意志を宿してキラキラと輝いている。


「アタシに名を授けたのはアイツ。だからアタシはアイツの弟子なの。魔法を直接教わったこともなければ、屋敷に置いてもらった時間もわずかなものだけれども。それでもアタシの師匠はアイツなのよ」


 その瞳を、メリッサは美しいと思う。


 同時に。


「……うらやましい」


 本音が、ポロリと勝手にこぼれ落ちていた。


 そんなメリッサにエレノアは目を瞬かせる。


「どうして? 一緒にあのお屋敷で暮らせているアナタの方が、アタシはうらやましいわ」


 問われてから初めて、メリッサは自分の内心が声に出てしまっていたのだと気付いた。


「あ……私、……私、は」

「うん」


 ワタワタと焦りながらも、メリッサは必死に言葉を探す。そんなメリッサを、相変わらずエレノアはきちんと待ってくれていた。


「その。……ノーヴィス様に、まだ、名前を呼んでもらったことが、なくて」

「あー、そんな雰囲気だったわね」

「ふ、雰囲気で、分かるものなのですか?」

「そうね。アタシはアイツと付き合いが長いから」


 必死に探し出した言葉に、エレノアは眉を寄せながら同意してくれた。そんな風に返ってくると思っていなかったメリッサは思わず無防備に目を見開く。


「多分、まだ探してるのよ」


 一度メリッサと距離を取ったエレノアは、ジャケットとブーツを脱ぐようにメリッサに指示を出した。ワンピースになった制服まで脱がなくていいのかと問えば、さすがにそこまではいいと答えが返ってくる。


「何を、ですか?」

「アナタにふさわしい名前を、よ」


 メリッサの足元に絨毯じゅうたんを広げ、そこに立つようにエレノアは続けて指示を出す。その通りに立つと、エレノアはまずメリッサの背丈を測り始めた。


「名前は、とても大切なものよ。あいつはなまじっか力が強すぎるから、大抵の相手の本名を口にできない。下手に呼んでしまうと、アイツの魔法で縛ってしまうから。アイツが意図していないのにね」


 エレノアの言葉を聞いたメリッサは、ふと古いおとぎ話を思い出した。


「まるで『白と黒の賢者』みたいですね」

「そうね。アイツはまさに『白と黒の賢者』に出てくる『黒の賢者ルノワール』みたいなヤツなのよ」

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