Ⅲ_3
この国の子供ならば、誰でも知っている古い古いおとぎ話だ。
昔々、この世界は白髪の魔法使いと黒髪の魔法使いによって形作られた。黒髪の魔法使いはあらゆる物に名前を付けて祝福し、白髪の魔法使いはあらゆる物に秩序を与えた。
これを魔法使いとしての見地に立って解釈すると、『
簡単に言うと『黒の賢者』が本を見て『これを「本」と呼ぼう』と決め、『白の賢者』が『「本」とは紙にインクで文章を
──これが本当であったら、とてつもなく大変な作業だったと思うのですが……
その疲労のせいなのかどうかは分からないが、白と黒の二人の賢者はこの国を創り上げると王を選んで国を
ちなみに二人は国を創って王を選んだ後
──そういえば、なぜここに出てくる賢者の一人が黒髪なのに『色素が薄い人間ほど優秀な魔法使いに育つ』などという認識になったのでしょうか?
「だからね。アイツは、願いを込めて、自分が相手を呼ぶための名前を付けるのよ。時々魔法道具とかにも付けてるわね。それがそのまま魔法道具の封印にもなるのよ」
エレノアの言葉に、メリッサは一瞬脳裏を
「封印、ですか?」
「そう。アイツ、
エレノアの言葉に目を丸くしたメリッサは、そのまま小さく
「……道理で」
──つまり、屋敷内のいたる所にある魔法道具は仕事で引き受けた物品で、普段ソファーで魔法道具と
深く納得したメリッサはさらに続けて小さく頷く。そんなメリッサに小さく笑みをこぼしたエレノアは、今度は両腕を広げて立つように指示を出した。
「アタシ、魔法使いとしてはヘッポコすぎて、あの屋敷には置いてもらえなかったのよ。でも、アタシ、一目であの屋敷の
素直に両腕を広げたメリッサの肩から指先に向かって巻き尺が伸びる。そういえばこんな風に採寸してもらうのは久しぶりだな、とメリッサはその動きを追った。
「まず落とし穴に落ちたわ。何とか這い上がって呼び鈴を鳴らした所までは記憶があるんだけど、仕込み針にやられて一瞬で陥落。次に目を覚ました時には、屋敷のどこかにあったベッドに寝かされていたわ」
どうやら過去のエレノアは罠のフルコースを片っ端から堪能したらしい。同時に『あの仕込は以前から行われていたのか』とメリッサは小さく納得する。
「ちなみにアタシを拾ってくれたのは。アイツじゃなくてアイツの助手ね。アタシの世話をしてくれたのも、その助手さんだったわ」
だがその納得は、続いた言葉に対する疑問に押し流された。
「助手、ですか? ファミリアではなくて?」
「今はもういないわ。20年ちょっと前に、いなくなってしまったらしいから」
「20年ちょっと前……?」
小さく呟いたメリッサははたと目を
──その『20年ちょっと前』の出来事以前に、エレノアさんは御実家を放逐された。
その当時エレノアが何歳だったのまでは分からない。だがエレノアが見た目以上に年かさであることは分かる。
──若く見積もっても四十路、下手をすると50を過ぎているかもしれないってこと?
そんなことを思うメリッサに、エレノアは意地悪そうな笑みを向けた。
「なぁに? 言いたいことがあるなら、言っちゃっていいって言ってるでしょ?」
「いえ」
そんなエレノアにメリッサはフルフルと首を横に振る。
「これは言いたくないこと、ですから」
「あら」
「淑女に年齢の話をするのは、野暮の極みです」
「アラヤダ、発言がイケメンだわぁ~!」
実際問題、エレノアはどこからどう見ても三十路手前の妙齢な『女性』だ。
──魔力が強い人間は、長命で見た目も変わりにくいという話を聞いたことはありましたが……
『美魔女』という言葉は、エレノアのような人間を表すためにあるのかもしれない。
「玄関で倒れてたアタシを、たまたま外に出ようとしたリヒトさん……助手の人が見つけて、屋敷の中に入れてくれたんですって。ラッキーだったわぁ! あたしが放逐されたのって、真冬だったのよ」
肩から腕までの長さを測ったエレノアはカラカラと明るく笑った。笑い事ではないことを笑って話せるエレノアは強いな、とメリッサは思わずまじまじとエレノアを見つめる。
「アタシ、あのお屋敷の空気を一目で好きになったわぁ。感覚で分かったんでしょうね。『ここでならありのままのアタシでいても許される』って」
ごめんなさいねぇ、と一言断ったエレノアは、メリッサの前に膝をつくと胸周りに巻き尺を添えた。
「でもあたしの魔法特性は、一般分野にはサッパリ向いてなくて。リヒトさんが付き添ってくれてたのに、アタシ、屋敷の中を移動してるちょっとの距離で何回も死にかけちゃったのよ」
さらに笑い事ではない話をエレノアは笑って続ける。
「リヒトさんもアイツも、アタシはあのお屋敷では生きていけないって考えたらしいわ。その時点でアタシも二人もアタシは実家に捨てられたって分かってたから、さてどうするかってなったわけ」
胸囲を測った巻き尺は次いで腰回りを測り始める。だがメリッサがエレノアの手に不快感を覚えることはなかった。無駄がないのに優雅でもある手つきが、己の職務に向き合う誠実な手だと分かったからかもしれない。
「実家にも帰れない。屋敷にも置いておけない。……そもそも、勝手にやってきて行き倒れてた人間の面倒なんて、アイツには見る必要性なんてなかったはずなんだけどね」
腰周りまで測り終わったエレノアは、立ち上がると作業台の上からメモ用紙とペンを取り上げた。ペンが紙の上を走るサラサラという音はエレノアの声と混じると柔らかく工房の中を流れていく。
「アタシ、ものすっごく駄々をこねたの。『この屋敷に置いてほしい!』って。アイツ、今はあんなにニコニコしてるけど、昔は愛想なんてカケラもなかったから、内心すっごく怖かったわぁ!」
エレノアの言葉にメリッサは当時の状況を想像してみた。だが『愛想が
「そんなアタシ達を、リヒトさんが取り成してくれたの。リヒトさんは、相手の魔法が何に向いているかを判断できる能力があったみたいね。それで、ここの先代店主に、アタシを住み込みの弟子として置いてやってほしいって頼み込んでくれたってわけ」
「ここは、エレノアさんが始めたお店ではなかったのですね」
「そうよぉ、元はアタシの師匠のお店。ダンクワースの姓も師匠から譲り受けたものなの」
ちなみに店の外観を可愛くアレンジしたのも、ドレスの制作を始めたのもエレノアが店を継いでからであるらしい。
『師匠は紳士服が専門だったんだけど、アタシはどうしても可愛いドレスが作りたくて、途中で修行に出してもらったのよねぇ~』と語ったエレノアは、採寸結果のメモにザッと視線を走らせると今度は工房の端から椅子を引いてきた。足のサイズも測らせてほしいというエレノアの求めに応じ、メリッサは椅子に腰を下ろすと片足を浮かせる。
「エレノアさんの、お師匠様は……このお店の、先代店主さん、なんです、よね?」
「そうよぉ」
「でも先程、ノーヴィス様のことも『師匠』だと、
「どうしても、
浮かせたメリッサの足は、
「なぜだかは、アタシにも分からない。強いて言うならば本能ね」
「本能……」
「忘れられたくなったのよ、アイツに。だから、アタシからねだったの。『アタシに名前をつけてくれ』って。『これから本当のアタシとして生きるアタシを、アンタの力で生まれ変わらせてくれ』って」
魔法使いの間では、時折師が弟子に名前を授けることがある。
魔法使いに本名以外の名前を授けられるのは、魔法の師だけだ。逆に言えば魔法使いが魔法使いに名を授けたならば、実際に教えを授けたか否かに関わらず、そこには師と弟子という関係が生まれる。
「だから、アタシ、仕立屋としては先代の弟子なんだけど、魔法使いとしてはアイツの弟子なのよ」
メリッサの両足を測り終えたエレノアは、丁寧にメリッサの足を
「新しくあの屋敷の住人になったラッキーガール。アイツの新しい弟子になる、カワイイ魔法使いちゃん。アナタの幸ある門出を、姉弟子として祝わせてちょうだい」
軽やかに言い放ったエレノアは、柔らかな笑みとともに小首を
「アタシの魔法は、服を作ることにしか役に立たない。だけどその代わり、アタシは最高の服を作れるわ」
「最高の、服……」
「服は、誰にでも扱える魔法なの。男も女も、老いも若きも関係ないわ。なりたい自分になれる、とっても簡単で、最強の魔法なのよ」
エレノアは大きな両手をメリッサに差し出しながら不敵に笑った。その顔は自信に満ちていて、自分の言葉を微塵も疑っていない。
「さぁ、アタシに教えて。心を広げて、想像するの。アナタがあのお屋敷で着たい服は、どんな服?」
「私が、着たい服……」
今まで、己が纏う服をそんな目で見たことはなかった。
制服以外の服はほとんどがマリアンヌのお下がりで、着られればもはやそれで良かった。誰も自分を見ることなんてないと思っていたから、着飾る楽しみも、服を選ぶ楽しみも、随分前に忘れてしまった。
だけど、今は。
──私が、纏いたい
柔らかに降り注ぐ光と、その下に広がる夜の色。しっとりと光を吸い込む黒と、ラピスラズリのような瞳。
暗い色はみんな陰気な色だと思っていたのに、あの屋敷で出会った色は、どれも驚嘆するくらいに美しくて。
──私の、望みは……
メリッサは考えが纏まらないまま、差し出されたエレノアの手に己の両手を預ける。その手をエレノアがしっかりと握りしめ、軽く引いてメリッサを椅子から立ち上がらせた。
フワリと、まるで体が羽か何かにでもなったかのように、信じられないくらい軽やかにメリッサの体が動く。
その瞬間、こぼれた光がメリッサの視界を奪った。
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