Ⅲ_1


 カウンターとその裏にある棚によって店表と区切られた奥は、工房になっているようだった。


 棚横の通路に足を踏み入れたメリッサは、目の前に広がった風景に目を丸くしたまま固まる。


「散らかっててごめんなさいねぇ~。どぉ~にも片付けは苦手なのよぉ~」


 工房は、色の洪水だった。


 赤、白、黄色、青、紫、紺。


 明るい色から暗い色まで、落ち着いた色から華やかな色まで。


 生地も素材も様々な布が、中心に置かれた大きな作業台から四方八方にあふれ出ていた。その間から裁縫に使う道具や型紙、作りかけの衣装を掛けられたトルソーが顔を出している。


 このにぎやかさは、あれだ。


「ノーヴィス様のお屋敷に、似てる……」

「あら、やっぱりぃ? 魔法の才能はサッパリ受け継がなかったのに、そんな所ばっかり師匠に似ちゃったのかしらぁ?」

「えっ!?」


 思わぬ言葉にメリッサは考えるよりも早く弾かれたようにエレノアを見上げていた。一方エレノアはカラカラと笑いながら工房の奥へ分け入っていく。


「そんな発言が出るなんて、アナタ、ちゃんとアイツのお屋敷で働けてるのね。『メイドさん』って聞いた瞬間『嘘でしょっ!?』って思ったんだけど」

「えっ、あ……っ」

「アイツのお屋敷、危険なんてモンじゃないでしょ~? アタシなんてたった数時間で何回死にかけたことか!」

「あ、え……っ」


 情報が多すぎる。疑問点が多すぎて理解が追いつかない。


 ──師匠? エレノアさんは、ノーヴィス様のお弟子さんだった? お屋敷の中を知っている? 死にかけたってそれはどういうこと?


「ちょっとぉ~? 今のところはすかさず喰い付くべきトコでしょ~?」


 言葉尻から拾い上げた情報を整理しようと必死に思考を巡らせる。


 そんなメリッサに、エレノアの不満そうな声が飛んだ。


「っ……申し訳……っ」


 反射的に謝罪が口をつく。


 だが視線を跳ね上げた先にいたエレノアは、口調に反してなぜか楽しそうに笑っていた。


「ほらほら! 今のアタシの言葉を聞いて、きたいことがわんさか出てきたでしょ~?」

「え?」

「アタシ、質問されたくてウズウズしてるの。話したくって仕方がないから、質問したいこと、片っ端から全部言っちゃって!」


 メリッサが喰い付くようにわざとああいう言い方をしたのか、と疑問が湧いたが、その答えは言葉に出さずともワクワクしているエレノアの様子を見れば一目いちもく瞭然りょうぜんだった。


 ──質問の練習だと、ノーヴィス様もおっしゃっていましたが……


「アイツ、言ったでしょ。『エレは僕のことにも詳しいし』って。あれ、アイツのこと、アタシに何でもたずねていいっていう、アイツなりのアピールなのよ」


 色の洪水の中から巻き尺を取り上げたエレノアは、ワクワクした笑みの中にわずかに何か違う感情を溶かした。


 その感情が何なのかは、メリッサには分からない。ただメリッサを見つめるエレノアの瞳が、何だか温かさを増したような気がした。


「アタシのことは、勝手に何でもしゃべるちょっとデカすぎるトルソーだとでも思えばいいわ。上手に喋ろうとしなくてもいいし、難しいことも考えなくていいの」


 さとすようなエレノアの声は柔らかかった。学院の同級生が妹に何かを言い含めていた時の声に雰囲気が似ている。


「アタシはただの仕立て屋の店主で、アナタはただのお客様だもの。もし今日気まずい思いをしても、もう二度と店に来なければいいだけよ。毎日顔を会わせるアイツには聞けないことだって、失礼なことだって、何でも口にしちゃえばいいの」

「トルソー……」

「そう、こいつよ、こいつ」


 思わず呟くメリッサに向けて、エレノアはかたわらにあったトルソーを軽く叩いてみせた。肩口から腰辺りまでしか形がないトルソーは、そんなことをされても文句を言うどころか迷惑そうな視線さえエレノアに向けることはない。何せ感情が宿る部位がどこにもないから。


「アタシもね。昔はお喋りが苦手だったの。いつも怒られてばっかりで、何を言っても傷付くことしかなかったから」


 不意にエレノアがそんなことを口にした。思わぬ言葉にメリッサは息を詰める。


「アタシね。本当の名前はアンドリューっていうのよ。アンドリュー・トゥエイン・ハンスメイカー」


 さらに続けられた言葉に、メリッサは思わず驚愕を声に出していた。


「ハンスメイカー……ハンスメイカーって、あの」

「アナタ、『カサブランカ』っていったものね。そりゃあ知ってるか。そうよ、あの『ハンスメイカー』」


 エレノアはバチンッとウインクを投げる。だがメリッサは息を詰めたままでうまく反応することができなかった。


 ハンスメイカー。その名が負う爵位は公爵。


 王家と始祖を同じくし、古くから幾度も王家と婚姻を交わしてきた血筋。いくつかある公爵家の中でも指折りの名門。


 万が一王が次代を残さず世を去った場合、公爵家の中から適切な人間を新たな王に立てることが王室典範によって定められている。


 ハンスメイカーはその中でも筆頭に名が挙がる家だ。


「アタシはその家の、先代……あぁ、最近代が変わったから、先々代になるわね。とりあえず当時の当主の三男坊。今の当主は、あたしの一番上の兄貴の息子よ」


 おまけにエレノアはその直系に当たる出自であったらしい。


「ど、どうして」


 胸に湧いた、疑問があった。


 メリッサはその形のない感情を言葉にしようと必死に口を開く。慣れないことに声が震えたが、エレノアは変わらず温かい視線でうながすようにメリッサを見守ってくれていた。


「そんなエレノアさんが、仕立て屋さんを……して、いらっしゃる、の、です、か?」

「うん」


 メリッサの言葉が終わるまで待ってくれたエレノアは、メリッサの言葉に嬉しそうに笑った。質問の内容に微笑んだというよりも、メリッサが問いを口にできたことを喜んでくれている表情だと分かる。


 顔の造形もまとう雰囲気も違うのに、なぜかその笑みを見たメリッサはノーヴィスの笑みを思い出した。


「アタシはね、捨てられたのよ」

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