Ⅱ_3


 そんな困り顔のまま、ノーヴィスはそう口にした。


「困ったね。特に理由はないけれど、僕は君に何かを贈りたくて仕方がないんだ。でも、気の利いた物なんて、何も思いつかないから。日用品なら、無駄にあっても困らないんじゃないかって、ファミリアのみんなと相談した結果だったんだけども……」


 心底、それが本心なのだと分かる表情と口調だった。


 そんなノーヴィスに見つめられて、今度こそメリッサは言葉を失う。


 ──どうして。


 そう訊ねたのに、理由なんてないのだと言われてしまった。


 ──特に理由もない、のに……?


「あぁ! じゃあ、どうしても理由が欲しいなら、こんな理由はどうだろう?」


 完全に想定外の言葉を向けられたメリッサは、よほど酷い顔をしていたに違いない。


 メリッサの顔をのぞき込んだまましばらく何かを考え込んでいたノーヴィスは、ポンッと手を叩くと顔を輝かせた。


「僕は君に、エレノアを相手に『質問』の練習をしてもらいたい。今日僕が君に贈る品々は、その練習を君に課すための報酬だ」

「『質問』の、練習……ですか?」

「そう。これは君の日々の業務の質を上げることに繋がるから、立派に『業務』の一環と言えるだろう?」


 背筋を伸ばしたノーヴィスは『いい案を思いついた』と言わんばかりに自分の言葉にうなずいている。自然とノーヴィスを見上げる形になったメリッサは、突然の『業務命令』に何と答えていいのか分からないまま、ただノーヴィスを見つめた。


 ──これが『業務命令』であるならば、私が口にすべき言葉はひとつだけなのですが……


「君は賢くて、優秀で、好奇心が強い。だけどなぜか、疑問を僕にぶつけてくることは滅多にない。私的目的でも質問は皆無だ」


 呆然と見上げたままでいたら、再びノーヴィスの視線がメリッサと絡んだ。ノーヴィスの顔には笑みが浮いているが、その笑みには今までノーヴィスがメリッサに見せたことがない感情が見え隠れしている。


「僕は、君のどんな質問にだって、喜んで答えるのに」


 少しだけ、寒色を思わせるような。


 父が浮かべていた笑みに似た、何か。


「あ……」


 ──失望させてしまった? ……いえ、違う。これは……


 悲しさや、切なさといった、何か。


 幼い日の自分が鏡をのぞき込んだ時、鏡の中の自分が瞳に浮かべていた感情。


 最近の自分からはそんな感情さえ消え失せてしまっていたから、その色を見るのは久しぶりのことで。


 ──私が質問しないこと、が……ノーヴィス様には、悲しい……?


「僕は、君のことをもっと知りたい。君に、僕のことを知ってもらいたい。君に、もっと質問されたい」


 メリッサの考えを肯定するかのように、ノーヴィスは言葉を紡いだ。


「でも僕も、君に質問の仕方を教えられるほど、質問するのは得意じゃないんだ。ひとりでいた時間が長すぎたから、質問も、おしゃべりも、とても下手くそで」

「! そんなこと……っ!!」

「その点、エレはお喋り上手だし、僕より言葉に制限がない。だから、エレとお喋りする中で、君がお喋りの楽しさを知ってくれたらいいなって思ったのが、君をここに連れてきたふたつ目の理由」


 メリッサがとっさに口に出そうとした反論をノーヴィスは言葉にさせなかった。初めてのことに思わず言葉を詰まらせると、ノーヴィスはスッと腕を上げてポンポンッとメリッサの頭を撫でる。


「エレは、僕のことにも詳しいから。たくさん質問の練習をしてね」

「っ……」


 大きな手と、低いのに確かに伝わる熱。


 その感触を確かめている間に、ノーヴィスはメリッサを残して店の中から消えていた。カランカランッと軽快に響いたドアベルの音に振り返った時には、夜空の色に似た背中はもうどこにも見当たらない。


「ノーヴィス様……っ!」


 思わず、すがるような声で名前を呼んでいた。そんな自分の声でメリッサははっと我に返る。


 ──情けない。


 これではまるで親に置いていかれた子供のようではないか。たった数日、なりゆきから家に置いてくれた人の厚意に、すがるような真似をするなんて。


 ──ひとりでも、大丈夫。……そうでしょう?


 勘違いしてはいけない。


 不出来な自分に、甘えなど許されないのだから。


「アイツ、説明から逃げやがったわね」


 伸ばしかけた手を胸元に引き戻してギュッと握りしめる。


 そんなメリッサの後ろでエレノアがぼやくようにつぶやいた。声に振り返ればエレノアはあきれた顔でドアを眺めている。


「ほんっと、言葉を操る魔法使いなくせして、言葉を操るのがドヘタクソなんだから」


 その言葉に、メリッサは無意識の内に声をこぼしていた。


「言葉を操る……」

「そうよ。アイツの魔法は言葉に宿る。呪文を唱えなくても、魔法陣を描かなくても、何気なく口にする言葉そのものがもう魔法なのよ」


 エレノアの視線はいまだにドアに向けられている。そうでありながらエレノアはメリッサの言葉を聞き逃さなかった。無意識の独白を拾われたメリッサは、予期せず返ってきた言葉に肩を跳ねさせる。


 そんなメリッサの様子に気付いたのか、エレノアはドアに向かって歩きながらヒラリと片手を振った。


「気になることがあるなら、ドンドン口にしなさい。アタシも気になることや思ったことがあったらドンドン口にするから」


 一度ドアを開けて外に出たエレノアは、ドアに掛けられていた看板を『Open』から『Closed』にひっくり返すと店の中に戻ってきた。店表のショーウインドウにカーテンを引けば、店内はすっかり閉店状態だ。


「でもアナタは、アタシの言葉の全てに答える必要はないわ。答えたいこと、言いたいことだけを口にすればいいの」

「え?」

「だってアタシ達、主従じゃないじゃない?」


 思わぬ言葉に間が抜けた声を上げてしまった。


 そんなメリッサにもエレノアはポンポンと軽快に言葉を投げてくる。


「それに主従であっても、家族であっても、友人であっても、恋人であっても。答えたくないと思ったことは、無理強いされるまで答えなくていいのよ。そして、無理強いされたとしても、本当に言いたくなかったら『言いたくない』って突っぱねていいのよ」


 軽やかに口にしながらもう一度メリッサの前を横切ったエレノアは、スイングドアを抜けてカウンターの奥に入ると向こう側からメリッサを招いた。


「さぁ、こっちいらっしゃい! まずは採寸よ。カーテンを閉めたって言っても、店表じゃ気が休まらないでしょ? あ~! カワイイ子の服が作れるなんて、気分がアガルわぁ~!」

「あ、の……」

「あぁ! 安心なさい! アタシこんなガワしてるけど、心は根っからの乙女なの。恋愛対象も男だから、ヘンなことなんて何もしないわぁ!」


 ──問題点はそこではなく……!


 メリッサは思わず心の中で突っ込んだが、それを素直に口に出すことはしなかった。


『言いたいことは言えばいい』とエレノアは言ったが、言われたからといっていきなり実行できるものではない。それに『ノーヴィスに自分のことでお金を使わせるのは申し訳ないから、今から依頼を取り下げさせてくれないか』とここでメリッサがエレノアに交渉してみた所で、エレノアはきっと取り合ってはくれないだろう。


 どうしたらいいのかが分からず、メリッサは思わずその場に立ち尽くす。


 そんなメリッサにエレノアは柔和な笑顔を向けてくるだけで、言葉でかすこともなければ行動で急かすこともしてこなかった。


 ──? 今までの言動から考えると、フレンドリーにグイグイ背中を押すくらいの行動はしてきそうなのですが……


 不意に、疑問が生まれる。


 現実逃避なのは分かっていたが、メリッサはその疑問を見過ごすことができなかった。


 そんなメリッサの視線に気付いたのか、エレノアは柔和な笑みを浮かべたまま軽く小首をかしげる。そんな仕草が、なぜかノーヴィスとよく似ていた。


 ──もしかして、……私に気を使ってくれているのでしょうか?


 メリッサがどういう経緯でここに連れてこられたのか、エレノアはもう知っているはずだ。


 それに加えて今はこの店に初対面のメリッサとエレノアが二人きり。


 エレノアが自分をどう思っていようとも、生物学的に見れば密室に少女と大男が二人きりという状況で、さらに大男は今から少女の採寸をすると宣言している。世間一般的に考えればメリッサはで警戒心を抱いてもおかしくはない。


 そんな状況で青年側からグイグイ少女の方に迫れば、少女にいらぬ警戒心や不快感を与えることになるとエレノアは考えてくれたのではないだろうか。


 ──気遣って、くれた。


 気付いた瞬間、ホワリと心が温かくなったような気がした。ずっと強張っていた肩から、わずかに力が抜けたのが分かる。


 この温もりを与えてくれたエレノアの心を、無碍むげにしたくはなかった。


 メリッサはコクリと空唾を呑み込むと、勇気をかき集めて一歩を踏み出す。


「……それ、では」


 ソロリソロリと足を動かし始めたメリッサに、エレノアは嬉しそうに笑みを深めた。スイングドアを手で押さえて開けてくれたエレノアに軽く会釈えしゃくしながら、メリッサはカウンターの中へ入る。


「失礼、します」

「は~い、いらっしゃいませ」


 迎え入れてくれる言葉は笑みと同じくらい軽やかだった。


 その言葉に導かれるように、メリッサはエレノアの工房に足を踏み入れた。

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