従僕ですか? 承知いたしました

Ⅰ_1


 この屋敷で3日を過ごして、分かったことが何点かある。


 ──ノーヴィス様は、きちんと名前で呼ばれたい方。


『旦那様って呼ばれ方は落ち着かないから、名前で呼んでよ』


 それが、ノーヴィスがメイドとしてのメリッサに対して口にした、最初の要求だった。


『メイドとして仕えるならば、最適な呼称は「旦那様」であろう』とメリッサは判断したのだが、どうやら最初から間違えてしまったらしい。以降はきちんと『ノーヴィス様』と名前で呼び掛けるようにしている。


 ──ノーヴィス様は、細かいことを気にしない、大らかな方。


 逆にノーヴィスがこの3日間でメリッサに要求したことは、たったそれだけだった。


 ノーヴィスから『メイドとして屋敷に住まないか』と誘われたにもかかわらず、ノーヴィスがメリッサに対して『何をせよ』『何をせ』と命じてくることは一切なかった。


 だからメリッサは本格的にメイドとして働き始めた昨日から思いつくままに屋敷中を片付け、食事を用意し、洗濯等もしているのだが、何をしているメリッサを見てもノーヴィスはのほほんと笑って『ありがとう。君は働き者のいい子だね』と褒めてくれる。


 掃除の仕方が甘いと叱られることもなければ、料理が不味まずいと小言を言われることもない。本やら魔法道具やらを片っ端から勝手に片付けているのに、その片付け方にさえ何も言わずにひたすら『わぁ! 物の場所が分かりやすくなったよ』と褒めてくれるのだから、ノーヴィスはよほど大らかな性質たちなのか、あるいはよほど屋敷の惨状さんじょうに興味がないかのどちらかだろう。


 ──初日に目玉焼きの固さについて質問を受けたくらいですし、料理に関しては好みがうるさいのかと思っていたくらいなのですが。


 ある意味、メリッサにとってこの数日は、物心ついてからの人生で一番予想外で、一番平穏な日々になっていた。


 そんな日々に身を置くと、見えてくるのが己の至らなさである。


「……もっと、完璧にできるものかと、思い込んでいたのですが」


 メリッサはほうきを動かす手を止めると小さく溜め息をついた。今日も今日とて可愛げもなくポニーテールにまとめられた黒髪と、変わることなく身を包む魔法学院の制服がそんなメリッサをなぐさめるかのように微かに揺れる。


 ──料理も掃除も、案外本業としてやってみると難しいものですね。


 メリッサの目の前には、メリッサの手でガッチガチに封印された魔導書が鎮座ましましている。ちなみに先程までは本の間から炎を噴きながらグルグルと暴れ回っていた。居間からほど近い書斎に似た造りの小部屋を掃除中している最中に、うっかりメリッサが本を開けてしまった結果である。


 幸いなことに、メリッサが即刻氷結魔法で封印したおかげで、部屋の中の他の物品に被害はなかった。だがしっとりとした光沢を見せていた木目の床に焦げ目がついてしまっている。この失態はノーヴィスに報告しなければならない。


 ──しかもたった2日でこれが初犯ではないのですから、己の不出来が身にみます。


 実はこんな風に魔法道具をうっかり暴発させてしまったのは5回目のことだった。しかもその5回をたった2日……正確に言えば今はまだ午前中だから、1日半でやらかしているのだからいたたまれない。


 ちなみにこれは『メイドとしてやらかした回数』に限定した数なので、初日にノーヴィスと対面するまでにやらかした数と、以降屋敷の中を案内してもらった時や、自分の部屋としてあてがわれた部屋を片付けていた時に暴発させた魔法道具でのやらかしはカウントされていない。その分まで数えていたら、すでに両手の指と両足の指を足した数以上になっていると思う。


 ──ノーヴィス様の心が広すぎるから許されているだけであって、これが世間一般のメイド業務であったら、即刻クビを通達されていてもおかしくはないでしょう。


 もちろん、やってしまったことは仕方がない。毎回迅速にノーヴィスに報告し、謝罪もしている。


 不思議なのは、毎回ノーヴィスがサラリとメリッサの失態を許してくれる上に『怪我してない? 大丈夫?』と心配までしてくれることだった。さらには現場を眺めて『部屋がすごくスッキリしたね。気分がいいよ。ありがとう』と感謝を述べながら、指の一振りで倒れた家具でも水浸しになった部屋でも、何でも直していってくれる。


 ファミリアがその場に同席していれば、『メリッサ、死ンデナイ!』『スゴォイ!』『コレダケデ済マセタ メリッサ、スゴォイ!!』とメリッサへの賛辞を大合唱してくれるのが常だった。


 ──……私は、こんなにも不出来なのに。


 あんなに簡単にメリッサの失態をなかったことにできるノーヴィスならば、それこそ指の一振りで屋敷中を美しく整えることだってできるはずだ。それを今までしてこなかったのは、ひとえに『やる必要がなかったから』なのだろう。


 だから今メリッサがやっていることは、本来ならば意味がないことだ。だってやる必要がないことなのだから。


 つまりメリッサは必要のないことを勝手にやり、失敗して、ノーヴィスの手を煩わせているということだ。これほど迷惑極まりない行為が他にあるだろうか。


 ──掃除も、炊事も、洗濯も。……ある程度はできると、啖呵たんかを切ったというのに。


 掃除のたびに屋敷を荒らしてはノーヴィスの手をわずらわせている。食事だって、毎食質素極まりない物しか出せていない。洗濯も綺麗になっているのかはよく分からない。ノーヴィスから直接雑用を頼まれることはないから、他のことで役に立てているとも思えない。


 それなのにノーヴィスは、メリッサが何かをすると必ず褒めてくれる。何をしていても食事ができたと声を掛ければ、お礼を言いながら食卓に一緒に着いてくれる。そこに何が並んでいても『美味おいしいね』と笑って全部平らげてくれる。部屋の様子が変わっていれば『居心地が良くなった』と微笑み、シワが残る洗濯物に顔をうずめては『お日様のにおいがするね』と言ってくれる。


 どれだけ質が良い仕事をしたとしても、今まで生きてきた環境も習慣も、何もかもが違うのだ。『どうしてほしい』『これは嫌だ』という言葉が、必ず出るはずなのに。


 それなのに、ノーヴィスからは叱責どころか、小言も、苦言も出てこない。あるのは気遣いと、感謝だけ。


 そんな状態が不思議で、穏やかで、……少々、モヤッとする。

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