Ⅵ
「家事、ですか?」
またもや唐突な発言にメリッサは思わずしっかりと首を
家事、掃除、炊事。それは本来、貴族令嬢に求めていいスキルではないと思う。せいぜい求めていいのはお片付けとお菓子作りまでだろう。
だが幸いなことにと言うべきか否か、『カサブランカの不出来な黒』と呼ばれてきたメリッサは、生きる道を模索すべく色んなことに手を出してきた過去がある。
──まぁ実際の所、それを免罪符として己の知的好奇心を満たしていた部分が大半だったのですが。
「炊事、掃除、洗濯等、『家事』と呼ばれるものは一通りこなすことができると思います。買い出し等はあまり経験がありませんが、ご指示、ご指導いただければ遂行も可能かと」
ひと通りノーヴィスからの質問の重点に答えてから、メリッサは付随情報として自分の『特異点』についても述べる。
「他にできることと言いますと、実家では妹の護衛の真似事のようなことをしておりましたので、護衛、諜報活動等も、
「妹の護衛?」
「姉は妹を守ってしかるべき、と育てられましたので」
ノーヴィスの疑問の声に、メリッサはごく当然のこととして答えた。
幼少の頃より母からは『不出来なお前はせめてマリアンヌを守る壁くらいにはなりなさい』と言われてきた。姉は妹を守るものであるとも聞いている。美しく才もあるマリアンヌを実家から出された今日まで無傷で守り抜くことができたのは、メリッサの数少ない誇りだ。
──今後、マリアンヌとうまくやれる護衛が現れると良いのですが……
「うん。僕が思っていた以上に、君はうんとすごい子だったんだね。それに、家族思いで優しい子だ」
そんなことを思っていたメリッサはノーヴィスの声で我に返った。改めて視線を向け直せばノーヴィスはフワリと優しい笑みを浮かべている。
そんなノーヴィスが、不意にメリッサに向かって腕を伸ばした。
──? 何でしょう?
無防備に視線を向けていたら、ノーヴィスの手がポンッとメリッサの頭に載った。思わぬことに固まっていると、ノーヴィスの手はそのままよしよしとメリッサの頭を撫でていく。ポニーテールに根っこを避けるようにメリッサの頭を撫でる手は、ひょろりとした外見に似合わず、固くて、かさついていた。
──……手、大きい。
「さて。そんな君に、提案がある」
メリッサの頭を撫でたいだけ撫でた手は、何事もなかったかのようにローブの袖の中に収納されてしまった。思わず撫でられた頭を両手で押さえてノーヴィスの手を視線で追うが、指先だけがわずかに
──頭を撫でられたのなんて、一体いつぶりなんだろう……
昔は父にああやって撫でてもらっていたような気がするが、それも一体何年前のことなのだろうか。
「君、とりあえずここで働かない?」
「……え?」
そんなことを思っていたものだから、うっかりノーヴィスの言葉を聞き逃した。さらには間抜けな声まで漏れる。
「僕は君との結婚話を知らなかったし、君だってこの話を今朝言い渡されたわけでしょう? お互い相手のことを知らないどころか、存在だってついさっき知ったばかりじゃない? そもそも、いきなり結婚とか言われても気構えとかさ、心の準備とかさ、色々あると思うんだよね。女性の方は特にさ」
『言われたことは一度で聞き取ること』
叱責を受けないためには基本中の基本とも言うべきことを
だがノーヴィスはそんなメリッサを叱責するどころか、のほほんと説明の言葉を追加してくれた。
「だからさ。とりあえず『お嫁さん』じゃなくて『メイドさん』として、この屋敷にいてくれないかなって思って」
「メイド、さん?」
思わぬ言葉に、メリッサは思わずシパシパと目を瞬かせた。
そんなメリッサにノーヴィスは楽しそうに頷く。
「そう。一緒に生活をしながら、お互いのことを、時間をかけて知れたらいいなって。『お客さん』でもいいけど、君の能力を生かさずに放置しておくのはとてももったいないことだと思うから。だから『メイドさん』で」
──メイド。
一度は驚きで受け止めきれなかった言葉を、メリッサはもう一度しっかり頭の中で噛み締めた。
どのみち『迷惑になるなら』とここを出ても実家には帰れない。現実的に考えれば、メリッサはどこかに住み込みの働き口を探すことになる。
一応、魔法学院の
──ならば、特に今提示されている仕事と、大差はありませんね。
勤務地と仕える主の人柄が多少なりとも分かっている分、ゼロから探すよりもかなりプラスと言えるだろう。ノーヴィスが善意から提案してくれていることも分かっている。この話を断る理由がメリッサにはない。
「
何より、ノーヴィスは、メリッサのことを褒めてくれた。
慣れない言葉を不思議には思うが、何だか心地良くもあった。この部屋の空気を温かく感じるのは、部屋の造りが温室に似ているから、という理由だけではないはずだ。
「本日より、よろしくお願い申し上げます」
メリッサはフワリと立ち上がると白いプリーツスカートの端をつまんで優雅に頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくね。……時に、君」
そんなメリッサに緩く頭を下げ返したノーヴィスが不意に表情を改めた。その変化にメリッサも頭を上げて気を引き締める。
だがノーヴィスの口から飛び出てきたのは、気が抜けるような質問だった。
「目玉焼きって、どれくらいの固さが好み?」
「目玉焼き、ですか?」
ノーヴィスが真剣なのは分かる。だが問いの内容はこれまた突拍子もないことだった。なぜ今この問いが出てきたのか、意図を
──ここは空気を察して相手の好みを答えるべきなのでしょうが……
『目玉焼きの固さの好み』が分かる情報など、今までの会話には出てこなかったと思うのだが。あるいはこれはメリッサの諜報能力を試す試験的なものなのだろうか。
──情報が足りません。お手上げです。
「スプーンでつついた時、黄身がポロッと取れるくらいに固焼きにするのが好みです」
一般的に好まれると聞く『半熟卵』と答えるべきかと迷ったが、結局メリッサは自分の好みを素直に口に出した。今までの会話の流れから、最悪の場合でもノーヴィスが突然怒り出したり、答えが気に入らないと屋敷から叩き出すようなことはしないだろうと判断したから、というのもある。
「そっか」
案の定、メリッサの答えを聞いたノーヴィスが怒ることはなかった。
それどころかノーヴィスは嬉しそうに笑みを深める。
「実は僕もそうなんだ。食べ物の趣味が合うみたいで嬉しいよ。この話を振るとみんな『なんて悪趣味な』って半熟卵を勧めてくるものだから」
そう言うノーヴィスがあまりにも嬉しそうだったから、メリッサは思わずポロリと自分の思いを口にした。
「あのドロッとした感じが、私は嫌いです」
「そうだよね、僕もなんだ」
「ポロッと、ホロッとした黄身の方が、美味しいです」
「だよね。僕もほんとにそう思う」
そう言ってノーヴィスはホケホケと笑った。
そんなノーヴィスを見上げて、メリッサは深く同意を瞳に浮かべていたと思う。
これがメリッサ・カサブランカとノーヴィス・サンジェルマンの、少々変わった出会いであった。
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