改めて切り出せば、案の定ノーヴィスは首をかしげた。何に対してそう言われているのか分からない、といった風情だ。


 だからメリッサは居住まいを正すと、もう一度真正面から結婚に関する話題を切り出す。


「私との結婚をご存知なかったということは、結婚を承知されたわけではないのですよね? 花嫁として私がここに居座っても、ご迷惑でしょう。ですから『出ていきますが』と申し上げたのです」


 彼はメリッサの結婚相手だと言われたノーヴィス・サンジェルマンで間違いないという。


 調べた限り、同姓同名の貴族はいない。しかし彼はこの結婚話を寝耳に水だと言った。


 結婚を嫌がって嘘をついているようには見えないし、嫌ならばもっと露骨に、あるいはやんわりとお断りを告げればいいだけだ。家同士の格式ばったやり取りがあったわけでもなく、まるで猫の子を他家の譲り渡すような……というよりも押し付けるかのような形でメリッサが一方的にやって来ただけなのだ。門前払いでも何でも、やろうと思えば簡単にできたことだろう。


『結婚が決まった』と言い渡されたし、『相手はお父様が見つけてきた』とも言われたが、どうやら全てはメリッサをさっさと叩き出すための嘘であったようだ。


 何せ妹のマリアンヌの婚約者は、メリッサの元婚約者でもある。家族と本人総ぐるみでマリアンヌへの乗り換えを押し進めたのだから、婿に迎えるにあたってメリッサがカサブランカ家に留まっていると都合が悪かったのだろう。


 ──私自身は、あまり気にしていないのですが……


 何せマリアンヌは少々天然で鈍い所はあるが『カサブランカの金』を体現した抜群の美少女で、家庭教師達が揃って『天才』と絶賛する魔法使いだ。


 出来の悪い姉に似ず、よくぞここまで立派に育ってくれたとメリッサは日々感心していたものである。母にとっても自慢の娘であるはずだ。家督をマリアンヌが継ぐことに異存などないし、メリッサからマリアンヌに乗り換えたエドワードの判断は英断であったとメリッサ自身はたたえたい。


 ──ああ、でも部屋の数が足りないんでしたっけ?


 ならばやはり自分が出ていくのが妥当なのだろう。侯爵家であっても無駄な出費は控えるに越したことはない。婿を迎えるにあたって屋敷を増築しなければならないくらいならば、やはりメリッサが家を出て部屋を明け渡した方がスムーズである。


「んー、ちょっと待ってくれる?」


 ということは、実家に出戻るのも迷惑なのか、と考えるメリッサの前で、何事かを思案したノーヴィスが立ち上がった。またバサバサと膝の上から書籍が雪崩なだれ、ノーヴィスが座っていた空間も雪崩れてきた品に埋もれて消えてしまうが、ノーヴィス自身はやはりそんなことには全く頓着していない。


「その結婚話、お父さんが決めてきたって言ったよね?」


 自分の足で立ち上がったノーヴィスは、思っていたよりも背が高かった。今はメリッサが座っているし、ノーヴィスが猫背というのもあって分かり辛いが、しゃんと立てばメリッサよりも頭ひとつ分以上は高いかもしれない。


「君のお父さんの名前は?」

「リヒャルト・カサブランカと申します」

「リヒャルト・カサブランカ……」


 聞き覚えがないのか、ノーヴィスはまた首を傾げた。


 だが今度はすぐに首を戻すとパンパンッと軽く両手を打ち鳴らす。


「ロットさん、パーラさん、キートさん、オウルさん、教えてほしいことがあるんだけども」


 使用人を呼び付けるかのように手を打ち鳴らしたノーヴィスは、次いで人の名前のようなものを口にした。


 ──先程、独り暮らしだと口にしていたと思うのですが……


 メリッサはノーヴィスを見上げたまま内心だけで首を傾げる。


 そんなメリッサの耳を、柔らかな風切り音がくすぐった。先程まで動きがなかった空気が何かの羽ばたきによって震えている。


「最近、『リヒャルト・カサブランカ』を差出人とする手紙とか書類とか、何か見かけなかった?」

『アー? 見テナイヨー?』


 その微かな鳴動を切り裂くかのように、頓狂とんきょうな声は響いた。


『モシカシテ アレカナ?』

『オジイチャン 運ンデタ』


 反射的にメリッサは己の頭上を見遣る。その時には素っ頓狂な声に追従するかのように細く幼い少女と少年の声が響いていた。


 だが見上げた先に、人影はない。


『はて? 運んだかのぉ?』


 風を震わせ、声を響かせながらメリッサの頭上を旋回していたのは、極彩色の羽を広げた鳥だった。唯一、最後にしわがれた声を上げた鳥だけが木目を思わせる落ち着いた色彩の羽を広げている。


「オウム……と、インコと、フクロウ?」


 一体今まで屋敷のどこにひそんでいたのか、四羽の鳥達は見た目も存在も騒々しい。宙を旋回し、ソファーの背や机の上に舞い降りてからも互いにやいのやいのと言い合っている。


『オジイチャン 物忘レ?』

『アンナニ 大変ソウニ シテタノニ』

『はて、それは一体いつのことだい?』

『アー! ソモソモォ! 部屋ヲ片付ケナイィ ノーヴィスガァ 悪ゥイ!!』

『確カニ』

『確カニ』

『キット ドッカニ 埋マッテルゥ!』

『イツモノコト』

『イツモノコト』

「はいはい、僕の悪口はいいから」


 もう一度ノーヴィスが手を打ち鳴らすと、かしましい鳥達はピタリとお喋りをやめた。ついでにピッと居住まいを正してメリッサに顔を向ける。


 そんなやり取りを観察していたメリッサは、己が導き出した答えを口にした。


使い魔ファミリア、ですか?」


 魔法使いは時折、ヒトではない相棒や従者を持つ。精霊や動物、あるいは己の魔法で創り出した『何か』であったりとその種類は様々だが、そういった物を大雑把に纏めて『使い魔ファミリア』と呼んでいた。


「うん。普段のちょっとした雑用を手伝ってくれてたり、他にも色々ね」


 メリッサの問いに頷いたノーヴィスは、片腕を上げるとソファーの背に舞い降りたオウムを示した。


「オウムがロットさん」

『ヨロシクゥッ!!』


 ノーヴィスから紹介を受けたオウムはけたたましい声で叫ぶ。


 次いでノーヴィスは机の上の本の山にちょこんと留まった二羽のインコを示した。


「インコの女の子がパーラさんで」

『ヨロシクネ』

「男の子の方がキールさん」

『ヨロシクネ』

「それで、最後が……」


 微かな羽ばたきの音を聞きながらノーヴィスは右腕を宙に向かって差し出す。その腕に最後まで宙を旋回していたフクロウが静かに舞い降りた。


「フクロウのオウルさん」

『名付けが安直すぎて、いささか恥ずかしいのぉ』

「はいはい、ごめんね。あと、彼女にちゃんとご挨拶」

『ふむ。よろしく頼むよ、お嬢さん』


 クルリクルリと首を回したフクロウは、メリッサと視線を合わせると目を細めた。鳥の顔に表情などないはずなのに、そうしているとなぜか笑っているように見える。


「メリッサ・カサブランカと申します。皆様、どうぞよろしくお願い致します」


 紹介を受けたのだから、きちんと名乗り返すのが礼儀。


 そう判断したメリッサは居住まいを正して頭を下げる。そんなメリッサにノーヴィスは柔らかく瞳を細めた。


「君は礼儀正しい子なんだね。偉い」

『エラァイッ!!』

『偉イネ』

『イイ子』

『大変よろしい』


 たったそれだけだったのに、メリッサに返ってきたのは賛辞の嵐だった。思わぬ事態にメリッサは無表情のまま目を瞬かせる。


 ──この程度のこと、当たり前であって、こんなに褒められることでは……


「さて。そんな偉くて賢くて優秀な彼女のために、みんなひとつよろしく頼むよ」


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