「一応、防犯用に色々仕掛けはしてあるし、独り暮らしをいいことに、厄介な魔法道具をそこら辺に適当に放置している自覚はあるから」

「……ああ」


 ノーヴィスの物言いに数秒記憶を掘り起こしてみたメリッサは、心当たりを得て小さく納得の声を上げた。


 ノーヴィスは結婚話を知らなかったというのだから当然だが、屋敷を出たメリッサの元に迎えの馬車は来なかった。


 唯一の手がかりであった『ノーヴィス・サンジェルマン伯爵』という名前からお屋敷の住所は調べてあったし、それが同じ都の中でも乗合馬車を乗り継げば自力で辿り着ける場所であることも調べてあったメリッサは、『迎えを待っていても望み薄』と判断して自力でこの屋敷の前までやってきた。


 ──そこまでは、ごくごく普通のお使いと大して変わりはなかったのですが。


 門の前に立っても出迎えはなく、門の鍵は開いていたが普通に開くと落とし穴に落ちる仕様になっていた。


 門の隣の使用人通用口は普通に使えるようだったので、ヘアピンで鍵を開けて中に入り玄関まで進んだわけだが、呼び鈴の取っ手には握った瞬間仕込み針が刺さるように細工がされていた。


 臭いや仕込まれた針の材質から『仕込まれているのは麻酔薬のたぐいだろう』と簡単にだが特定したメリッサは、『これを仕込んだ人物はひとまず来訪者を殺す意図はない』ととりあえず安心したものだ。


 結局、仕込み針を解除して呼び鈴を鳴らしても返答はなく、開けると隣に積まれた本の山が崩れるようにワイヤーが張られていた玄関にも鍵はかかっていなかったため、メリッサは勝手に屋敷に上がり込むことにした。


 以降この部屋に至るまで、物理的・魔法的・心理的トラップや適当に置かれた魔法道具の暴発をかわしながらメリッサは屋敷の中を進んできたわけだが。


 ──なるほど。あれは防犯目的だったのですね。


 てっきり、自分は歓迎されていないのだとばかり思っていた。結婚に乗り気でないから迎えを寄越さなかったわけでもなく、押しかけてくるであろう花嫁を撃退したかったわけでもなく、この状態がサンジェルマン伯爵邸の『日常』ということだ。


 ならば、メリッサが言うべきことはひとつだけ。


「あの程度では防犯になるとは思えません。現に私は貴方あなたの寝込みを襲おうと思えば襲えました。たかが小娘に突破できるのですから、プロならばもっと簡単であるはずです。防犯意識をもっと高く持つことを強くお勧めいたします」

「ブハッ!!」


 ひとまず玄関と門の鍵を閉じるという基礎基本的な所から、と続けようとした瞬間、ノーヴィスは噴き出した。何事かと目をしばたたかせればノーヴィスはケラケラと実に楽しそうに笑っている。


 ──やはり不思議な方、ですね。


 ボサボサの適当に伸ばされた黒髪。ヨレヨレのシャツは白でズボンは黒。シャツの襟元には瞳と同じ深い紺色の石が輝くループタイ。その上から夜空の色に似たローブを適当に羽織っている。足元はどうやら革のショートブーツを履いているらしい。


 レンズが分厚い丸眼鏡と長い前髪のせいで顔はよく見えない。声は少年のようにも聞こえるが、体格は細身ながらも明らかに成人を迎えた男性のものだし、まとう空気はどこか浮世離れしていて、すごく歳がいっているようにも、すごく年若いようにも感じる。


 ──人間観察は、得意なはずなのですが……


 そんなメリッサをしても、見ているだけでは何も分かってこない。喋ってみても、よく分からない。


 ──とりあえず、穏やかそうな方ではありますね。


「ご、ごめんね。まさかそんな風に言われるとは思ってなくて……」


 ひとしきり笑い終えたノーヴィスは、眼鏡の下に人差し指を突っ込みながら口を開いた。どうやら笑いすぎて涙まで出ていたらしい。


「君は優秀な上に、面白い子なんだね」

「恐れ入ります。そう言われたのは初めてです」

「言われたことないの?」

「『優秀』とも『面白い』とも、本日初めて言われました」

「おや、そうなの?」


 今度はノーヴィスが目を丸くした。メリッサは数少ないノーヴィスのプロファイリングデータの中に『感情が豊か』『表情に出やすい』というデータも書き加えておく。


「僕はすぐに気付いたのに。周囲のみんなは君の何を見ているんだろうね?」

「そこまでは、私の主観では分かりかねます」

「うん、それもそうだ」


 案外、そんなことを思う彼がただの変人なのではないだろうか。


 ふとメリッサはそんなことを思ったが、さすがにそれは心に留めておく。面と向かって『変人』と言われるのは気分が良くないことだと、実際に言われたことがあるメリッサは身を以って知っているので。


 それでも、彼が変わり者であること自体は、間違いのない事実なのだろう。


 ──黒髪の、魔法伯。私を『優秀』だと言う、ちょっと変わった人。


 彼が伯爵は伯爵であっても『魔法伯』であることを知った時、メリッサは勝手に金髪碧眼の美丈夫をイメージしていた。


 国に名を刻むような優秀な魔法使いに与えられる一代限りの爵位が『魔法伯』だ。そんな彼がメリッサと同じ黒髪で、黒とは言わないが暗い色の瞳をしているのだと知った時、メリッサはひそかに驚いたものだ。


 ──髪色が全てではないと、思ってきたつもりではいたのですが……。きちんと認識を改めていかないと、私のことはさておき、ノーヴィス様に失礼ですね。


 そこまでつらつらと思ったメリッサは、ふと我に返った。


 当初の話題であった『結婚』から、かなり話がそれてしまっている上に、まったくもって話が進んでいない。


「あの」

「うん?」

「ご迷惑ならば、出ていきますが」

「……うん?」


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