「……というわけで、こちらまでうかがったのですが」


 ここまでの経緯をつらつらと説明したメリッサは、目の前にした青年を見上げると小さく首を傾げた。


「こちらはノーヴィス・サンジェルマン伯爵様のお宅ではなかったのでしょうか?」

「大丈夫だよ。ここは間違いなく、ノーヴィス・サンジェルマン伯爵邸だ」

「居間と思わしき場所のソファーで爆睡されていた貴方あなた様をノーヴィス・サンジェルマン伯爵だと判断したのですが、間違っておりましたでしょうか?」

「それも間違いないから安心して。ここは間違いなく居間だし、僕がノーヴィス・サンジェルマンだ」

「それでは、なぜ貴方様は私との結婚話をご存知ないのでしょうか?」

「さて。何でだろうねぇ?」


 ボサボサの黒髪に分厚いレンズが入った丸眼鏡をかけた男……自分こそがノーヴィス・サンジェルマンだと名乗る青年は、寝転んでいたソファーに崩れるように腰かけたまま腕を組んで首を傾げた。その拍子に三人掛けソファーの肘置きに詰まれていた本が雪崩なだれて落ちる。


 居間だと家主が認めた部屋は、屋敷の奥深くにありながらも光にあふれていた。丸い部屋の奥側半分以上が天井から壁まで総ガラス張りになっているせいだろう。床が石材であるのと、無秩序に置かれた植物、ついでに雑多にあふれた何かよく分からない品物と書物達のせいで、雰囲気は『居間』というよりも『温室』と言った方が近い。


 そんな部屋の中央より奥側に置かれたソファーの前で、メリッサはノーヴィスと対峙たいじしていた。


 ソファーに書物と一緒に……というよりも書物に埋もれるようにして座るノーヴィスに対して、メリッサは石床の上に直接正座している。かたわらにチョコンと置かれた革のトロリーケースと日傘、身にまとった魔法学院の制服だけがメッサの持参品だ。


 ──そういえば、持参金やら持参財と言える物を何も持ってきていませんね。


 通常、女性が婚家に入る際には少なくない財産を持参するものだ。貴族同士の結婚ともなれば、そもそもその持参財を目当てに婚姻を結ぶことも珍しくはないという。


 ──しかし今回は、そもそも先方は結婚話すら知らなかったという話ですから。


 そこを気にする以前の問題だなと、メリッサはふと浮かんだ考え事をそのまま彼方かなたへ押し流す。


 そんなメリッサの前で、ノーヴィスが傾げた首をさらに倒した。


「ところで」

「はい」

「どうして君はそんなに固い床の上に、そんなに足が痛くなりそうな形で座っているの?」

「他に座れそうな場所がなかったものですから」

「あれ? 椅子なりソファーなりがどこかに……」


 真っ先に問うべきことは他にありそうなものなのに、ノーヴィスはおっとりと首を巡らせると再び首を傾げる。恐らく自分が脳裏に思い描いた『椅子なりソファーなり』が見つからなかったのだろう。


 結果、ポリポリと頬を掻いたノーヴィスは、己の傍らの書物の山を盛大に崩しながら一番下に埋もれていたクッションを取り出した。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


『そんなに立派な革装丁の本をそんな風にあつかったら、後々泣くことになりますよ』とは思ったが、メリッサを気遣ってくれた彼の厚意はありがたい。


 メリッサは両手を差し出してクッションを受け取ると、今度はクッションの上に膝を抱えるようにして座り直した。そんなメリッサに向けてノーヴィスが指を軽く振れば、クッションはモコモコと厚みを増してあっという間に簡易のソファーへ変身する。


 クッションが成長している間も平然と腰を落ち着けていたメリッサは、パチパチと目を瞬かせると相変わらず平坦な声で所感を述べた。


「便利ですね。あらかじめ術式を仕込んであったのですか?」

「ううん。これくらいなら、簡単だからね」

「さようですか」

「驚かないんだ?」


 対するノーヴィスはどこか面白がるようにメリッサを見ているようだった。伸び放題な前髪と分厚いメガネに隠されて表情こそ見えないが、声が弾んでいるのは聞けば分かる。


 ──一体何がそんなに楽しいのでしょう?


 人を不愉快にさせることは得意だが、人を愉快にさせられるスキルは残念ながら持ち合わせていないという自覚がある。


 それでもまだ意味もなく不機嫌になられるよりは良いかと思い直したメリッサは、淡々と自分が調べ上げたをノーヴィスに向かって述べた。


「貴方様が血で貴族の地位を継いだわけではなく、己の才能で魔法伯という貴族にじょせられたということは、調べさせていただいたので知っております」

「あれ? 今朝急に結婚話を聞かされて、ここまでは自力で来たんだよね? で、今はまだお昼過ぎ。調べる時間はそんなになかったはずだ。僕の名前しか知らなかったはずなのに、よくそこまで分かったね?」


 背筋に力を入れて重心を安定させれば、座る物の高さが急に変わろうがモコモコと揺れようが体勢を崩すことはない。


 一切表情を変えることなく優雅にクッションに座り続けるメリッサに、ノーヴィスは再び首を傾げた。


 突如とつじょ押しかけてきたメリッサに叩き起こされてから、ノーヴィスはずっと首を傾げっぱなしだ。そうでありながら、ノーヴィスはメリッサに不快感も不信感も向けてこない。ノーヴィスの声から感じ取れるのは、ただただ状況を楽しんでいる愉快感だけだった。


 メリッサはそんなノーヴィスに内心だけで首を傾げながらも、ひとまず向けられた問いには一切変わることがない無機質な声で答える。


「慣れておりますので」


 魔法学院の生徒だったメリッサにとって、分からないことを自力で調べるというのは至極当然の行為だ。疑問を疑問のまま置いておいても誰も答えはくれないし、そのまま放置しておくことは己の好奇心が許さない。


 それに。


 ──情報は、時として剣よりも強力な武器になりますから。


 メリッサにとって、それは物心ついた時から自明の理として分かり切っていたことだった。


 知っていれば、無駄に質問しなくていい。知っていれば、失敗しなくていい。


 それは結果的に、『知っていれば無駄な叱責を受けずに済む』に繋がる。少しでも日々を平穏に過ごしたければ必須スキルだ。むしろ、なぜそうあらなくても日々を平穏に生きていくことができるのかが、メリッサには分からない。


 ──……まぁ、少々行き過ぎていたと、最近は自覚できるようになりましたが。


 ふと、その自覚をするに至った出来事が脳裏を過ぎる。


 だがその風景をじっくり噛み締めるよりも、ノーヴィスが能天気に笑う方が早かった。


「そっか。君は優秀なんだね」


 そんなノーヴィスに、メリッサは思わず目をしばたたかせた。


 優秀。まさか、そんな風に言われるとは。


「……恐れ入ります」


 この国では、優秀な魔法使いは金髪であると相場が決まっている。色素が薄い人間ほど生まれ持った魔力が強く、結果、優秀な魔法使いに育つ。


 昔から高名な魔法使いを多く輩出してきたメリッサの家も『カサブランカの金』と呼ばれる金髪と、金の光彩を散らした翠眼が特徴的な一族だった。実際母も、妹も、今は亡き祖父も、皆この『カサブランカの金』を見事に体現している。


 そんな中で、メリッサだけが漆黒の髪と瞳を宿して産まれてきた。幸いなことに一定以上の魔力は持ち合わせていたが、異端児であることを跳ねのけるほどのずば抜けた強さや才能はメリッサにはない。メリッサが母に『出来損ないの黒』と忌み嫌われた根本はそこにある。


 優秀、という評価は、今までのメリッサの人生には縁遠いものだった。


 ──と、いうよりも、今のこの状況でそんな呑気のんきな評を私に付けていても良いものなのでしょうか?


 自分が知らない間に見ず知らずの人間が家に上がり込んでいて、自分は相手のことを一切知らないのに相手はある程度自分のことを知っていて、そんな相手が『結婚相手です』などと名乗っていたら、普通は気味が悪いと思うのだが。


 状況が状況だっただけに仕方なく強行でお屋敷に上がり込んだメリッサだが、もしも自分がやられる側の立場だったら、目覚めた時点で相手の首筋に短剣を突き付けて交戦待ったなしだと思う。


 ──普通の貴族令嬢だったら、『短剣を突き付ける』は、ないんでしたっけ?


 そもそも相手が部屋に入ってきた時点で気付ける自信はあるのだが、それはそれ、これはこれ。


「まぁ、この部屋に自力で辿り着けたって時点で、君が魔法使いとしてとても優秀で、用心深い子だってことは分かってたんだけどね」


 そんなことを考えるメリッサの前で、ノーヴィスは穏やかに笑ったまま続ける。何やら賛辞の嵐のようだが、メリッサとしては何がそこまで褒められる要因となっているのかが分からない。


「門の鍵も、玄関の鍵も開いておりました。私は開いていた門を通り、呼び鈴を鳴らし、返答がなかったから勝手に玄関に入り、この部屋から漏れてくる光を頼りにここへ辿たどり着いただけです。無作法なことをしたとは思いますが、この程度のこと、やろうと思えば子供でもできることだと思いますが」


 結果、メリッサは無表情のまま素直にそれを口に出すことにした。何となくここまでのやり取りで『この程度のことならばストレートに言っても怒られはしないだろう』と読み取った結果である。


 現にノーヴィスはメリッサのストレートな物言いに怒ることはなかった。


 それどころか首を傾げて、今度は楽しんでいることを一切隠していない笑みを口元に広げる。


「ここが普通のお屋敷なら、ね?」

「普通のお屋敷ではない、と?」

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