第55話 神を殺す技

 一瞬呆けていれば、脳内にアフロディテの声が響く。


『何を呆けている! やはり今の貴様では無理じゃ、殺される前にあれをするぞ!』


 ――即ち、アフロディテが対神戦を想定して編み出した、神を降ろし、神を殺す技。


「あぁ、こりゃ確かに反動がどうだの言ってられねぇらしいわ!」


 俺はそう言って、自分を掴んでいる鷲から無理くり飛び降りた。

 刹那、地面から土くれで出来た無数の蛇や刺が伸びてくるが、時にいなし、時に躱し、全神経を使って文字通り剣山に飛び込むように落ちていく。


「アフロディテ!」


 ――アフロディテが俺の腕紐へ戻るには、条件がある。

 それは距離、物理的な距離が離れすぎてしまうと、俺の身体に通っているパスが細くなってしまい戻れないのだとか。


 故に俺は叫ぶ。


「来い!」


 瞬間、何もない空間が輝いたかと思うと眼前にアフロディテの姿が現れた。

 落下のせいで髪はバサバサと乱れ、纏うワンピースもたなびいているが、その整った顔は美しく、どこか不敵でワクワクとした笑みを浮かべている。


「良いか、余を受け入れろ」


「あぁ」


 俺はその言葉に大きく頷き、両手を伸ばした。

 アフロディテはそれを見て僅かに微笑み、その小さな両手を重ねる。


 互いの指が絡んだ瞬間、俺たちを囲うように大小さまざまな魔方陣が球状に展開されていく。

 それらは全てが黄金に輝く粒子で構成されており、見たことのない文字が刻まれていた。


「何をするつもり!?」


 地上からデメテルの絶叫が響く、俺でも分かる。これは人が踏み入って良い領域じゃないと――彼女が焦るのも当然だろう。


 不思議な感覚だ、先ほどまで全神経を使って避けていた攻撃が、ひどく遅く見える。まるで自分が世界の中心になったような感覚、今なら……何でも出来るような全能感。


「神よ」

「子よ」


「「ここに契約を交わさん――」」


 声がアフロディテと重なった。


「「――神憑かみがかり」」


 そう呟いた刹那、目を開いていられないほどの光の濁流が押し寄せてきて、思わず目を瞑る。


『おめでとうアユハ、貴様は神の世界に踏み入った』


 そんなアフロディテの囁きが聞こえたような気がした。


 ◇◆◇


 私は何を見ているのだろう。

 アユハが襲われ、即座に死霊を召喚してみたものの、その全ては面白いほど簡単に蹴散らされてしまった。


 彼我の実力差は明白、死霊を召喚し続けるほど"敗北"の文字が脳裏を過る。


 そんな時、空中でアフロディテとアユハが両手を繋いで閃光が駆けたかと思えば……次の瞬間には土煙を巻き上げながらクレーターの上に立つ、アユハの姿がった。


「なん、だ……その姿は」


 死霊を召喚することも忘れ、呆けたように見入ってしまう。


 普段の無気力そうで、ブラック企業時代の土産であるくっきりと染み付いたクマを携えるアユハの姿はどこにもない。


 白銀の髪は逆立ち、瞳は黒と黄金のオッドアイ、体格に大きな変化は見られないものの、漫画やアニメに出てくるヒーローのようにバチバチとした青白い稲妻が身体の周囲を時折走っている。


 神々しさと荒々しさを同時に感じさせるその姿は、まさに現世に現れた現人神あらひとがみのよう。


「神憑り……ですって? アフロディテ貴女、そこまで――」


 ふと怒気を孕んだ声が大気を震えさせた。

 弾かれたように声の主であるデメテルを見れば、美しく整った顔を歪ませ、恐ろしい剣幕でアユハを睨みつけている。


 ――神憑り。

 デメテルと邂逅する前にアフロディテが教えてくれた、神を殺す技。


 糸となったアフロディテがアユハの体内へと侵入し、融合。

 筋肉や臓器などに巻き付き、その運動能力を飛躍的に向上させる技……だったはずだ。


 人間の限界を超えた膂力と速度、そして神と同じ視点を得る――という、ふわっとした説明だったからよく理解できなかったが、今実物を見て分かった。


 もはやアレはアユハであってアユハじゃない。

 というより、人間という生物の次元を超越している。


 そして本能的に理解した、これから始まる戦いに私は付いて行けない、私が行う全ての支援は例外なくノイズになってしまうだろう。


「――いくぞ」


 アユハが呟いた、その声は普段の彼と同じものであるはずなのに、どこか委縮してしまうような……そう、神の啓示のような感覚に陥ってしまう。


 そんな事を考えていた刹那、アユハの姿が掻き消えた。

 彼が立っていた場所には、先ほどよりも大きくなったクレーター……それを理解した瞬間、轟音が鼓膜を叩き、次いで来る衝撃波に身体が飛ばされそうになる。


(音を置き去りにした!?)


 ふとデメテルが立っていた場所を見れば、そこに立っているのは拳を振りかぶった姿勢のアユハのみ。


 視線の先を追えば、壁に大きな蜘蛛の巣状の亀裂を作り、口から血を吐き出すデメテルがいた。


「速すぎる……」


 自分で今声を出したのか分からない程、頭の中が混乱している。

 アユハの一挙手一投足の全てが音を置き去りにし、人間が知覚できる領域を超えていた。


 しかし、相対するは真正の神デメテル。この程度では終わらないようで、手に握った笏を大きく振るえば、まるで津波のように大地が捲り上がった。


「アユハ!」


 思わず叫んでしまう、アユハはそんな私の方を軽く見ると、まるで「安心しろ」と言わんばかりに優しく微笑んだ。


 ★★★


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