第54話 世界十二神が一柱、デメテル

 迷宮王の――いや、神の座する部屋は、アフロディテがいたような空間とどこか似ていた。

 果てしなく地平の先まで広がる美しい草原に、星海輝く美しい夜空。


 そしてその空間の中央には、玉座のようなものに長身の女性が腰かけている。


「ほぅ……?」


 どこかつやめかしい声音を発したその存在は、ゆったりとこちらへ近づいて来る、互いの距離がほんの数メートルになったところで、やっと星の明かりに照らされたその姿をはっきりと確認することができた。


 稲穂の色のようなやや薄い茶色の長髪に、黄金の小麦で作られた王冠を被る、美しい長身の女性。


 質素でありながら、およそ人が作ったとは思えない天衣無縫の真っ白いワンピースを風に揺らし、黄金に輝く瞳を煌々と輝かせながら、興味深そうな笑みを浮かべている。


「貴方、混じっているわね……」


 いつでも動けるように臨戦態勢を整える俺とドロシーをよそに、ゆったりとした動きで、デメテルが俺を指差した。


「混じっている……?」


 そんな言葉を零せば、デメテルが「ふふふ」と笑って、手に持つ笏を地面に突き刺した。

 空いた両手でわざとらしく双眸の上に笠を作り、ジッと俺を観察してくる。


「あらぁ、そう、そういうことなのね。力が見えなくなったからやられちゃったと思っていたけれど……また会えて嬉しいわ――アフロディテ」


 デメテルはそう言って、楽し気ながらどこか不気味に感じる笑みを浮かべた。

 瞬間、アフロディテがその姿を顕現させる。


「久しいな、デメテル」


「貴女、私たちの計画に乗り気じゃないのは知っていたけれど、まさかに付くつもり? ゼウスが知ったら怒り狂って殺されちゃうわよ?」


 唇に人差し指を当てながら、またしても楽しそうに、しかしてこの世の一切には興味が無さそうな……まるでこの世の矛盾を集めて出来たような様子のデメテルが薄ら笑いを浮かべてみせた。


「構わぬ、余はこの時代の人間と――ここにいる男と生きていくと決めたのじゃ、悪くないぞ今の世も、どうじゃデメテル? 貴様も――」


 アフロディテがそう言った瞬間、瞬き数回分も無い刹那の間に、まるで錐のような形になった土と岩の塊がアフロディテの喉元へ伸びた。


「冗談は止めて頂戴、私嫌いなの」


 始めてデメテルの抱いている感情が読み解けた気がする、今抱いているそれは間違いなく"怒り"そのものだ。


「私は豊穣を司る――でも、神代の時代の美しかった大地はもはや無い……私はこんな世界を認めない、私たち神にとって本当の大地を取り戻さなくちゃいけないの」


 なるほどな、話を聞いている感じデメテルが司る農業と豊穣と収穫というものは現在の時代には存在しない――あくまでも神代の時代のそれらを指しているのだろう。


「アフロディテは俺の手を取ってくれた、デメテルお前は――殺すしかないのか?」


 俺がそう言うと、デメテルは微笑みを浮かべて軽く頷いた。


「えぇ、そうね。でもそれは叶わない……貴方は私に殺されるんだもの」


 チラリ、とデメテルがアフロディテに視線を飛ばす。


「アフロディテ、貴女……全然真面目に力を取り戻そうとしていなかったのね、私より神格の高い貴女が力をきちんと取り戻していればこの勝負見えなかったけれど……ふふ、可愛らしい姿になっちゃって」


 そしてそのままドロシーへと視線を移した。


「ああ、安心して? 貴女は殺さないわ、いずれ私たちに殺されるとしても、いずれ母になり得る者は殺さないから」


 そう言われたドロシーは一貫して無表情と無言を貫いているが、腰に差す杖剣をいつでも引き抜けるように臨戦態勢を崩していない。


「そっか、ちょっとだけ期待してたんだけどな……お前とも手を取り合えるんじゃないかって」


「うーん、そうねぇ。アフロディテ以外の神には期待しない方が良いと思うわよ?」


 デメテルは微笑みながらそう言って、突き刺した笏を再び握った。

 刹那、一瞬で周囲の空気が変わる。


「さて……私も暇じゃないのよね、前に来たお嬢さんにも言ったのだけれど、あと三年位でこの世界は私によって元に戻る――だから早く、死んで頂戴?」


 頭が吹き飛び、脳漿が撒き散らされる鮮明なイメージ、それが全身を駆け巡った。


「"跳べ!"」


 直ぐ傍のアフロディテの絶叫にも似た声に、身体が動き、気付けば大きく跳躍していた。

 俺が立っていた場所には、無数の刺が大地から突き出ている、ほんの数瞬でも遅れていれば、感じたイメージ通りの結末になっていただろう。


「っぶね!?」


「あらあら、そんな姿でも真言は使えるのねぇ……」


 頬に手を当てながらそう呟くデメテルがフッと笏を振れば、先ほどのヒュドラなど目でもない大きさの、蛇のような姿に盛り上がった大地が凄まじい速度で俺へ向かってきた。


「十糸爪!」


 頭で判断する前に身体が動き、技を繰り出す。

 それはこれまでの経験から肉体が記憶していた動き――本能が"今すぐ逃げろ"とガンガンと警鐘を鳴らしていた。


「かった!?」


 繰り出した糸による十本の爪撃は、迫り来る土くれに僅かな傷を残すのみで、生の無い蛇はその顎を開いて俺の視界を埋め尽くす。


 あ、死ぬ。

 自らの死を直感した瞬間、ガツンとした衝撃と共に何かが俺をその場から連れ去った。


「なっ!?」


 見上げれば、腐った血肉の大鷲が俺を脚で掴んだまま、翼を広げて蛇の攻撃を器用に避けてながら飛んでいる、ドロシーの配下だろう。

 地上ではドロシーが数百は超えるモンスターの大群を召喚し、蛇とデメテルに殺到させていた。


 空中から見下ろせば、それは絶望的な戦力差。

 圧倒的な物量による蹂躙の未来しか見えないが、デメテルが笏を一度振るたびに高い危険度を誇るモンスターたちがまるで蟻のように蹴散らされている。


「マジかよ……」


 冗談みたいな光景に、図らずも声が漏れた。

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