第53話 おはよう女神様

 アフロディテの前に並べて座らされた俺とドロシーは、頬杖を突きながらさながら大学講師のように語り始める彼女の話を聞かされそうになっている。


 というのも、今まで何をしていたのか? 新たな力とは何なのか、デメテルに関して等々……捲し立てるように聞いてしまい、アフロディテが「ええい、二人ともそこに並べ! 講義してやる!」と言い放った事に端を発する訳だが……。


(なんか、柚乃と最初に出会ったあの教習を思い出すな)


 そんな事を考えていれば、アフロディテが言葉を紡ぎ始めた。


「まず、余が何故アユハの言葉に応えもせず、ずっと現世に姿を現さなかったのか? その理由はこれじゃ」


 ふとアフロディテの指先から、普段俺が使う鋼糸と同じような糸がスルスルと伸びる。


「それは……」


「貴様が普段使っている神代の糸と、余が同化したことで生み出された新たな糸……そうじゃな、神纏糸しんてんしとでも名付けようか」


 神纏糸はキラキラと黄金色に輝いており、周囲の光を反射していた。

 ドロシーの扱う魔神の左腕には、ドロドロとした負のオーラ的なものを纏わせているような感じがするが、対してこれは神々しく、神秘的な雰囲気を醸し出している。


「まぁ……なんか凄そうって感想しか出てこない訳なんだが、それで何が出来るってんだよ?」


「ふむ、実戦前に練習とはいかんが、そうじゃな――」


 アフロディテは、自慢げに新技とやらを説明しだす。

 なるほど、聞けば中々に凄そうだが、実際にやる身としてはあまりイメージが湧かないというのが正直なところ。


 曰く、やってみれば出来る……らしい、不安だ。


「なるほどねぇ」


 とはいえ、俺は顎を擦りそう呟いた、隣のドロシーは俺よりも理解が出来ていないのか「うーん?」とこめかみを抑えて考え込むように唸っている。


「この技は恐らく反動が凄まじい故、デメテルとの戦いがぶっつけ本番になるじゃろうな」


「なんだよ反動って」


「ま、死にはせんじゃろ貴様なら」


 問いかけに対して軽い様子で返してくるアフロディテに、一抹どころでは無い不安を覚えるが……まぁいい。

 俺にとってこの女神さまはとっくの昔に仲間認定しているのだ、そいつが出来ると言うのなら信じるしかない。


「この技は神に一歩近づくと同義だからな、この時代の人間ではその肉体と精神への影響など考えるまでもない」


 どうやらアニメや漫画のように修行パートを挟んで、強敵との熱い戦い……とはいかないようで、アフロディテ曰く"相当しんどい"反動を覚悟しなくてはならないようだ。


「正直、敵はデメテルだけじゃない。デメテルの後は帝国の工作員と連戦になる可能性が高いから、反動とかは困るんだけどな……」


 俺が頭をポリポリと掻きながら口を尖らせると、近くに寄ってきたアフロディテの小さな手が頭の天辺に落ちてきて、軽い振動と共にジワジワと痛みが広った。


「温い事を言うでないわ! 今の貴様で神に勝てると思うな、その工作員とやらも、神に勝たねば貴様の死体を回収するだけぞ」


 チョップの形にした手のまま、アフロディテがそう言い放つ。

 まぁ確かに仰る通りではあるのだが、あれもこれもと望めるような状況ではないか……。


「分かった、分かったよ」


「それでアフロディテ、様。デメテル……様の情報などはあるのでしょうか」


 今まで殆ど言葉を発してこなかったドロシーが食い気味に訪ねてくる、なんだそのたどたどしい敬語は。と思わず突っ込みたくなるが、それはアフロディテも同じだったようで。


「ド、ドロシー貴様……敬語全く似合わんな、様は付けんでよい、背筋がゾワゾワする」


「ではアフロディテ、この先にいるであろうデメテルの情報があれば教えていただきたい」


「ふむ……」


 ドロシーの問いかけに、少し考えこむような仕草を見せたアフロディテが口を開く。


「まぁそうさなぁ、今のデメテルは余が知るデメテルではない故、正確な事は分からぬが――」


 そう前置き、アフロディテは世界十二神が一柱、デメテルについて語り始めた。


「デメテル、余と同じ世界十二神が一柱にして、農業と豊穣と収穫を司る大地の女神にして大いなる母じゃ」


 デメテルは最高神ゼウスに無理やり迫られた末に子を授かる事になる――望んだ子では無かったが、その子の事を愛し続け……母神、地母神としての側面を持つに至った。


「その手にはしゃくを持ち、あらゆる大地をまるで粘土や水のように操る……地上に生きる者にとっては新たなる命を知らせる豊穣伸でありながら、同時に簡単に死をもたらす死神でもあるな」


「で、そんなデメテルに俺たちで勝てると思うか?」


 俺の問いかけに、アフロディテは「ふむ」と小さく零すと、一瞥して口を開く。


「まぁ、先ほどの技がきちんと使えれば或いは……といった所じゃな。いずれにせよドロシーが殺されることは無い故、心配せずともよい」


 その言葉に俺とドロシーの眉がピクリと動いた。


「ドロシーは殺されない?」


「私だけ殺されることが無いというのはどういうことだ」


「ん、ああ。デメテルはな、女は殺さないんじゃ」


 まるで何でもない、昨夜の晩御飯の献立を教えるようなノリでアフロディテはそう告げる。


「は? 女だけ殺さないのか?」


「ああ」


 おいおい、ちょっと思想過激すぎません? 俺は思わず鼻で笑ってしまった。

 ミサンドリー……男性への性差別、中傷、暴力、性的対象化など様々な表現に使われる言葉。


 そう、女は生かして男は殺す――デメテルは世界最古の差別主義者ではなかろうか?

 そんな考えが俺の顔に出ていたのか、アフロディテがクスクスと笑った。


「デメテルはな、母と成り得る女は殺さんのじゃ、それがうら若き少女であろうと、年老いた老婆であろうと……な」


「おいおい、人間が単為生殖出来るとでも思ってんのかよ、男がいないと子どもだって出来ないんだぞ」


 溜息と共にそう告げれば、ドロシーがそういう事では無いだろ……という目を向けてきた、分かってるよ。


「まぁでも、合点はいったな」


「ん?」


「どうやって帝国の探索者がデメテルの情報を持ち帰ったのかってことだよ」


 俺がそう言うと、ドロシーは納得とばかりにポンと手を叩く。


「確かに、あの幼女工作員は女だったし、案外アイツがデメテルと直接対峙したのかもしれんな……」


 ドロシーの言葉に頷く、充分有り得る話だ。

 ……ということは、目的はドロシーだけで無く俺も含まれていたのかもしれない。


 どこまでが作戦で、どこからがアドリブなのかは分からないが、渋谷ダンジョンを完全踏破した――つまり神の存在を知る者からすれば、俺の事を神を殺した探索者と思っている筈だ、そんな存在を自国の神にぶつけようと考えるのは理解できる。


(さて、は俺かドロシーか……それとも二人ともメインディッシュなのかな? 何にせよ未だ俺たちは駒であることに変わりはない、か)


 そんな事を考えつつ、俺は立ち上がった。

 呼応するようにドロシーも立ち上がり、アフロディテは腕紐へと戻っていく。


「んじゃま、楽しい楽しいアフロディテ大先生の講義が終わったところでデメテル戦始めるか!」


「ああ、そうだな」


『おう!』


 二人と一柱で、真っ白の廊下へ一歩足を踏み出した。


 ★★★


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