第18話 真実の足音

 眼前に広がるのは広大な草原と、漆黒の中に星々が浮かぶ星海のような空。

 その中に玉座を連想させる豪華な椅子がポツンと置いてあり、誰かが座っている。

 異質な光景に全身の鳥肌が立った。


「な……んだこれ」


 図らずも言葉が漏れる。

 瞬間、俺は凄まじい力で扉の中に吸い込まれた。


「なっ!?」


 草原に放り出され、振り返ってみればそこに在るはずの扉は無くなっている。


(閉じ込められた!?)


 通常、主部屋も迷宮王の部屋も中に人がいる限り扉が閉まることは無い、消えるなどもってのほかだ。


「余の眠りを妨げる者は貴様か」


 どこからともなくそんな声が聞こえてくる、それが少女のものだと理解するのに数瞬を要するほど、どこか妖艶で形容し難い神秘性を感じる不思議な声音。

 弾かれたようにその声が聞こえた方向へ顔を向ければ、玉座に座っていた人影が立ち上がっていた。


「答えよ」


 距離は十メートルも無いが、淡い星星明りだけではその姿を完璧に理解することが出来ない。

 段々と近づいてきながら再び声を発したその存在は、俺が放つ言葉を必死に探している内にもこちらへ向かってきている。


「――お前迷宮王か?」


 必死に探して出てきた言葉がこれだった。

 本当はもう少しかっこいいことが言えれば良かったのかもしれないが、イレギュラーに次ぐイレギュラーな状況で、まともな返答が出来た自分を褒めてやりたいくらいである。


「王?」


 そう問うように呟いた存在は、その場で立ち止まった。


「余は、神なるぞ」


 刹那、淡い光を放っていた星々がその輝きを強め、まるで息を吹き返したかのように、周囲が一気に明るくなった。


 突然の光に目を瞑ってしまう、やがて瞼を開ければ眼前に暴力的なまでの美しさをもった美少女が立っていた。

 背丈は百五十センチあるかどうかといったところ、膝裏まで伸びた白銀の髪はどこから吹いているのかも分からない風に靡いている。


 黄金のような双眸は俺を見下ろしており、透き通るような白い肌は全てを吸い込んでしまいそうな魅力を放っていた。

 身に纏っている金糸で所々に意匠が施された白いワンピースも相まって、その少女を一言で言い表すのであれば純白という言葉が相応しいだろう。


「ふふ、見惚れてしまうのも仕方がないが貴様、恐ろしく間抜けな顔をしているぞ?」


 そう微笑む少女の言葉でハッと我に返る。

 すぐに周囲を見回し、カメラが無い事を確認して胸をなでおろした。

 どうやら吹き飛ばされたまま、この空間には入ってこれなかったようだ、あのカメラは生体認証機能が搭載されているため、今もあの一本道で風景を映し続けているのだろう。


「お前は一体……」


「余は世界十二神が一柱、アフロディテ。ようこそ、遠き彼方の人間よ」


 アフロディテと名乗った少女は、そう言って俺に手を差し出してきた。

 俺はその手を掴み、引っ張られるように立ち上がる。


 そして、こちらに背を向けて歩みだしたアフロディテに追従しながら、その存在について思いを馳せた。


 ――アフロディテ、ギリシア神話におけるオリンポス十二神の一柱である、美と豊穣、欲と戦を司る女神の名。


 そう、彼女はオリンポスに住まう女神であって、世界十二神という存在ではない筈だ。

 そもそも俺はその単語を聞いたことすらない。


「この世に舞い降りて数十年……誰とも話しておらぬ、丁度良い故、貴様余の話し相手になれ」


 アフロディテがそう言って指を鳴らすと、突如してバーベキューで使われそうなパラソル付きのテーブルと椅子がどこからともなく現れた。


「ほれ、座らんか。今茶を出す故」


 そう言って椅子に座ったアフロディテが再び指を鳴らせば、今度はティーセットが机の上に現れる。

 俺はその光景に絶句しつつも、言われた通り椅子に腰かけた。


「しかし人間に会うとはのぅ、ゼウス様も嘘ばかり言われるものよ」


 アフロディテはそう言って笑いながらティーカップに口をつける。


「ゼウス、ギリシア神話における最高神か」


「然り」


「ゼウスもこの世界にいるのか?」


 俺がそう問うと、アフロディテは目をぱちくりとさせて手に持っていたティーカップを置いた。


「なんじゃ知らんのか? 貴様余の所が初めてなのか」


「は? 何言って――」


 何言ってるんだ。そう言おうとした瞬間、ガラスが割れるような音と共に上空から楽し気な男の声が響いた。


「おいおいマジじゃんよー! マジで人間いるじゃん!」


 パラソルの陰から出て見上げれば、漆黒の星海が広がる空に真っ白な穴が開いていた。


「貴様ヘルメス!」


 隣に立つアフロディテが先ほどまでの楽し気な表情から一変させて、険しい顔で上空を見つめている。

 すると、ぽっかりと開いた穴から一つの人影が飛び出して俺たちの前にふわりと着地した。


「やぁアフロディテ、久し振り」


 そう言ってヒラヒラと手を振る男は、目元まで伸びた白髪にアフロディテと同じ黄金の瞳を持っているが、神秘的なアフロディテとは違いどこからちゃらちゃらとした雰囲気を纏っていた。

 その装いは社会人を思わせる普通のスーツに白色の手袋、両耳と口にそれぞれ黒のピアスを付けている。


「そして君がアユハこと、阿由葉祐樹くんか~! 初めまして、気になったから来ちゃったよ~! よろしくね?」


「は、はぁ……」


 そう言って握手を求めてきた手を握り返し、生返事をする。


「ヘルメス、何しに来た! 余を殺そうとでも?」


「いやいやまさか、それは君らとの契約に反するだろ? 言ったじゃないか気になったから来たって。それだけだよ」


 ヘラヘラと笑うヘルメスとは対照的に、アフロディテは敵対心丸出しの表情で睨みつけている。

 ヘルメスはアフロディテと同じギリシア神話に登場する神の筈だが……

 そんなことを考えていると、テーブルを見たヘルメスが楽し気な声を出す。


「おや、お茶会かい? 私も混ぜてくれよ~」


「帰れ」


 怒気を孕んだ低い声でアフロディテが言うが、ヘルメスはどこ吹く風だ。


「連れないなぁ、いいじゃないか別に」


「帰れと言っている!」


 決して耳を塞ぐほどの大きな声ではなかった、しかしその声は大気を揺らし、全身が鉛のように重くなるようなプレッシャーを放っている。

 ビリビリと痺れるような感覚を味わっていると、やがてそれは徐々に終息していった。


「――ッ、くそ……」


 ふとアフロディテを見れば、肩で息をしながらも依然としてヘルメスを睨みつけ、悪態を零していた。


「ははは、君の神性も落ちたものだね。この程度の強制力すらないとは、おお! お労しや世界十二神アフロディテ! 神としての威厳ももはや無く、そのような少女の姿になってしまわれるとは!」


 舞台役者のようなわざとらしさでそう告げるヘルメスは、更に口角を上げて楽し気な笑みを浮かべていた。


「貴様がっ……貴様がそれを言うか! あの時我らを裏切り、貶めた貴様が!」


「はは、怒るなよ。美しい顔が台無しだぜ? 美の女神なんだから常に美しくあらねば……ね?」


 全く状況に付いていけない中で突っ立っていると、ヘルメスがこちらを向いて口を開く。


「ああごめんごめん、何のこっちゃって感じだよねぇ。実は君、今この世界において唯一、真のダンジョン踏破に王手をかけてる人間なんだぜ?」


「ヘルメスッ……!」


「大丈夫大丈夫、僕は何も言えない。でも聞くくらいならいいだろう? この世界の真の歴史の生き証人として、僕も聞いておきたいのさ」


 アフロディテの言葉に笑って返したヘルメスが指を鳴らす、するとテーブルの傍に新たな椅子が出現した。

 ヘルメスは鼻歌を歌いながらその椅子に腰かけ、トントンと掌でテーブルを叩く。

 こっちに来いと言う事だろう。


 俺がアフロディテに目を向けると、彼女は俺の顔とヘルメスを交互に見て大きなため息を吐いた。


「余ではどうすることも出来ん……か、仕方がない。来いアユハとやら」


 俺はアフロディテに言われるがまま、席に着いた。

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