06:猫
『はあ、それで……オレがその男の護衛をするとして、いつまで続けろと言うつもりだ? 一生お
『いいえ、そんな無茶なお願いはしません。あなたには〈
『大討伐?』
『もしも彼が
庭園でのリディヴィーヌとのやり取りを思い出しながら、オレは
「大討伐……これまた面倒な任務だな」
オレが冒険者組合に加入していた頃に、酒場で先輩風を吹かす冒険者から大討伐について話を聞いたことがあった。
冒険者は各地に出没する魔獣の討伐を目的としているが、時に〈
数日前にオレが戦闘した魔獣、“
一般冒険者が束になっても一切の
冒険者組合が中心となって指揮するこの遠征では、討伐の成功者に
オレが以前加入していた冒険者パーティの隊長――酒場でオレが遅延魔術を掛けた男――ライオネスも大討伐に参加すると聞いた。
(あの隊長も、あれで
とにかく、それほどまでに強大な魔獣と戦わなければならない任務だということだ。
〈先見者〉として、勇者候補の冒険者たちに魔獣の居場所を知らせる重大な役目をあのルドヴィックが
「あいつの場合は信奉者を警戒する前に、魔獣に喰われないかを心配した方が良さそうだな……」
ぼそりとそう
ルドヴィックの嫌がらせで物置小屋にでも案内されるかと思っていたが、机に戸棚に
だが、
「…………」
隣を見る。
オレが腰掛けた寝台のすぐ横に並ぶように、もう一つの寝台がほんのわずかな隙間だけを離して設置されている。
その寝台の上でフェリスが、何ともいえぬ幸福そうな表情で身を預けていた。
「――どうしてこんなでかい屋敷に住んでいながら、来客に部屋の二つも用意できないんだ?」
「ふかふかぁ……」
ここに案内されて早々、フェリスは綺麗に敷かれた寝具を見て一直線にそこへ倒れ込んでいた。
なぜ二人で寝室を共用しなければならないのか……なんてことを言い出すわけもなく、少女はただただ目の前に用意された質の良い睡眠環境に夢中の様子だった。
騎士見習いの立場でどうのこうのと騒ぎ立てる方がむしろ、おかしな話ではあるが。
「寝台が一つじゃないだけありがたいと思うべきか。もしも一つだったら、お前は床で寝る羽目になっていたわけだしな」
「……?」
オレの言葉が聞こえていなかったのか、幸せそうな顔のまま振り返るフェリス。
後ろに括られた
忘れそうになるが、こいつが赤竜を倒す最後の一手を放ったのだ。人は見掛けによらないと言うが、この少女を見ていると確かにそうだと頷ける。
そんなことを考えていると、
「――にゃあ」
ふと、部屋の外から何かの鳴き声が聞こえてきた。
「猫?」
ガバッ、と音がするほどの動きでフェリスが起き上がり、部屋の入り口を振り返る。
「止めとけ、変質者かもしれないだろ」
「それはないと思いますけど……い、一応、見てきます!」
軽快な動作で身を起こすと、フェリスは素早く部屋を飛び出していった。
「……猫なんていたか?」
この客室に案内される道中、館の中で犬や猫といった動物が放し飼いされているような気配は一切なかった。
小動物であれ、獣が発する独特な臭いは、たとえ貴族によって過保護に飼育されていようとも一瞬で分かるものだ。
何よりも、あの
「…………」
オレも立ち上がって、部屋の外の様子を見ることにした。
扉を開いて廊下に出ると、すぐ隣で――フェリスが一匹の猫を抱えていた。
「見てください、ベルトランさん! 猫さんですよ!」
フェリスが嬉しそうにオレに見せてきたのは、毛色が灰色の――光の加減によっては青とも見える、大人しそうな猫だった。
少女の撫でる手付きを気持ち良さそうに受け入れて、「にゃあ」と間の抜けた鳴き声を出している。
「…………ふむ」
それはどこからどう見ても猫だった。もし、これを猫ではないと高らかに主張する者がいれば、周囲から
くりくりとした
そんな
「上手いな。相当に熟練の“
猫に向かって真面目な口調でそう言うオレに、フェリスが疑問の表情で首を傾げた。
「変化、魔術? 何のことでしょうか」
「お前が可愛がってるその猫は、魔術師だって話だ」
「え?」
オレの言葉を聞いて、フェリスはまだ飲み込めない様子で腕の中に抱えた猫を見つめる。
「うーん……でも、どう見ても猫さんですよ?」
「にゃあ」
「そうだな――おっと、鼠がいるぞ」
オレはフェリスの後ろの廊下を指差しながら、わざとらしくそう言った。
釣られるようにして背後を振り向くフェリスと、そして――
「!! にゃあああああああああ!!」
――おおよそ猫が出せるような声ではない、悲鳴
その声に驚くフェリスの腕から逃れるように飛び跳ねて、猫は着地とともに――足元から青白い煙を吹き出させた。
廊下の一角が煙に包まれて、数秒も経たぬ内に晴れていく視界に現れたのは、
「うぅうぅ、ネズミ怖いネズミ怖いネズミ怖いいい」
ぶつぶつと呟きながら、頭を押さえてぎゅっと目を
「え、……ええ!!?」
フェリスが
「まさか、本当にこんな手が通じるとはな……逆に驚きだ」
呆れた響きのあるオレの物言いに、猫だった少女はハッとした表情で何度も周囲を確認する。
やがて、鼠がいないことを確認できたのか、安心したように息を吐き、それから……ばつの悪そうな顔でこちらを振り向いた。
「騙されましたにゃ……あ、いや、騙されました」
観念して両手を上げる少女は、目に付く大きな黒のとんがり帽子を被っていた。
その下をこれまた大きめの、身体を覆い隠す黒の
猫だった時の毛色をそのままに、少女は灰色に似た青の髪を肩の長さまで伸ばしていて、顔立ちはフェリス同様、可愛らしい寄りの雰囲気がある。
「で、どうして変化魔術で猫になっていた? お前の雇い主が監視で寄越してきたのか」
「ち、違いますにゃ、あ……違います。ルドヴィックさんが魔術師嫌いなので、あまり目立たないように護衛しろと言われて……」
「それが理由で猫に変化してたのか?」
「はい……」
「それって、何だか少し悲しいですね……」
しょんぼりと肩を落としながら事情を話す魔術師の少女に、フェリスが同情の視線を向ける。
まるで――言われた通りのことをやっていただけなのに、親や目上の者から理不尽に叱られてしまう居場所のない子供のような――そんな
「………………あと美少女になでなでして貰えるから」
「ん?」
ぼそっと何か聞こえた気がしたが、そこに立つ魔術師の少女は未だ落ち込んだ様子のままだった。
気落ちに合わせてズレそうになっているとんがり帽子をまっすぐに被り直して、少女は
「お姉さんの手、すごく優しくて心が温まりましたにゃ」
「え、お姉さんって私ですか?」
「オレだと思うか」
「それじゃあ、失礼しましたにゃ……」
そのまま廊下の向こうへと去っていこうとする後ろ姿に、横合いから声を掛ける者がいた。
「――おい、マリリーズ」
「ひっ!?」
低い声で魔術師の少女を呼び止めたのは、ついさっきオレたちが会ったばかりの用心棒の大男、ユーゴだった。
「またサボってたのか……ったく、ルドヴィックの部屋の前で待機してろ」
「わ、分かりましたにゃ、ました!」
ユーゴの注意の言葉に、マリリーズと呼ばれた少女は悲鳴に近い声で応えながら、逃げるようにしてその場を走り去っていった。
先ほどまで漂わせていた哀愁はどこへやら、逃げるその後ろ姿はまさしく、親に
「悪いな、驚かしちまって」
ユーゴがこちらを振り返って、申し訳なさそうに言う。
「何なんだあいつは。ただの
「マリリーズはまぁ……俺の妹分みたいなもんで、俺と同様、坊ちゃんの用心棒を任されている若い魔術師だ。当主様にあの魔術が気に入られて二人で護衛をすることになったのさ」
「その当主様とやらは今どこだ? バカ息子一人置いて、自分は領地をほったらかしにして旅行にでも出掛けてるのか?」
「…………」
続くオレの問いを聞いた途端、ユーゴが何とも言えない顔で言葉を詰まらせる。
短く
そんな男が見せる
数秒の間、沈黙が流れる。やがて、ユーゴが
「いや、ここだけの話なんだがな…………当主様は今、数日間だけ冒険者たちを連れて冒険の旅に出ている」
「……は?」
「……えっ?」
返ってきた答えに思わず、オレとフェリスは拍子抜けした声を上げた。
「亡くなってそうな雰囲気出してませんでしたか?」
「ハハハ、死んでたら今頃、坊ちゃんが当主を引き継いでるだろう。変なことを言う嬢ちゃんだな」
「それはそうかも知れませんけど……」
「ここの親子が揃ってアホだということは分かったな」
肩を
次いで、
掴んだ拍子に聞こえた音から察するに、硬貨が入った袋だろうか。
「前金だとさ。当主様が
「アホというのは前言撤回する。当主様は未知の世界を探求する好奇心に溢れた
「ベルトランさん……」
じとっとした視線を向けてくるフェリス。
そんなオレの素早い掌返しを笑いながら、ユーゴは来た道に
「おススメの定食屋がこの近くにある。護衛の数は足りてるし、アンタら二人で行ってきたらどうだ?」
と、そう提案をして、部屋の前から去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます