06:猫


『はあ、それで……オレがその男の護衛をするとして、いつまで続けろと言うつもりだ? 一生おりをしろって話なら、さすがのオレもアンタの弟子を辞めるぞ』

『いいえ、そんな無茶なお願いはしません。あなたには〈先見者せんけんしゃ〉である彼――ルドヴィックが数日後に出発する予定の“大討伐だいとうばつ”に同行してほしいのです』

『大討伐?』

『もしも彼が信奉者しんぽうしゃの集団に命を狙われることがあるとすれば、おそらく、その状況が最も可能性が高いと予想しています』


 庭園でのリディヴィーヌとのやり取りを思い出しながら、オレは侍女じじょ二人に案内された部屋の寝台しんだいに腰を下ろす。


「大討伐……これまた面倒な任務だな」


 オレが冒険者組合に加入していた頃に、酒場で先輩風を吹かす冒険者から大討伐について話を聞いたことがあった。


 冒険者は各地に出没する魔獣の討伐を目的としているが、時に〈真理の器ヴェリテス・ノルム〉が生み出す魔獣の中には――凡庸ぼんような冒険者たちでは到底敵わない、強力な種族が発生することがある。

 数日前にオレが戦闘した魔獣、“赤竜せきりゅう”を筆頭とした四種類の魔獣――“四大禁獣よんだいきんじゅう”と呼ばれるそれらが最たる例だ。


 一般冒険者が束になっても一切の太刀打たちうちが通用しない怪物、そんな魔獣を討伐せんと各国のりすぐりの冒険者を招集して行われる遠征えんせいこそが“大討伐”だという。

 冒険者組合が中心となって指揮するこの遠征では、討伐の成功者に莫大ばくだいな報酬と名誉――諸国の王が認める“勇者”の称号が下賜かしされるらしい。


 オレが以前加入していた冒険者パーティの隊長――酒場でオレが遅延魔術を掛けた男――ライオネスも大討伐に参加すると聞いた。


(あの隊長も、あれで鋼花こうかの国の“勇者候補”だったな。今更ながらよく殴られずにいられたな、オレ)


 とにかく、それほどまでに強大な魔獣と戦わなければならない任務だということだ。

 〈先見者〉として、勇者候補の冒険者たちに魔獣の居場所を知らせる重大な役目をあのルドヴィックがになうことになっているらしいが……


「あいつの場合は信奉者を警戒する前に、魔獣に喰われないかを心配した方が良さそうだな……」


 ぼそりとそうつぶやきながら、オレは改めて室内を見回す。

 あてがわれた客室は存外、掃除の行き届いた清潔な部屋だった。

 ルドヴィックの嫌がらせで物置小屋にでも案内されるかと思っていたが、机に戸棚に姿見すがたみなど、普通の内装らしい客室だ。おかしなところはない。

 だが、


「…………」


 隣を見る。

 オレが腰掛けた寝台のすぐ横に並ぶように、もう一つの寝台がほんのわずかな隙間だけを離して設置されている。

 その寝台の上でフェリスが、何ともいえぬ幸福そうな表情で身を預けていた。


「――どうしてこんなでかい屋敷に住んでいながら、来客に部屋の二つも用意できないんだ?」

「ふかふかぁ……」


 ここに案内されて早々、フェリスは綺麗に敷かれた寝具を見て一直線にそこへ倒れ込んでいた。


 なぜ二人で寝室を共用しなければならないのか……なんてことを言い出すわけもなく、少女はただただ目の前に用意された質の良い睡眠環境に夢中の様子だった。

 騎士見習いの立場でどうのこうのと騒ぎ立てる方がむしろ、おかしな話ではあるが。


「寝台が一つじゃないだけありがたいと思うべきか。もしも一つだったら、お前は床で寝る羽目になっていたわけだしな」

「……?」


 オレの言葉が聞こえていなかったのか、幸せそうな顔のまま振り返るフェリス。

 後ろに括られた亜麻色あまいろの髪を寝台の上に広げながら、大きな青い瞳で無邪気にこちらを見上げる姿は、やはり歳相応の少女にしか見えない。


 忘れそうになるが、こいつが赤竜を倒す最後の一手を放ったのだ。人は見掛けによらないと言うが、この少女を見ていると確かにそうだと頷ける。

 そんなことを考えていると、


「――にゃあ」


 ふと、部屋の外から何かの鳴き声が聞こえてきた。


「猫?」


 ガバッ、と音がするほどの動きでフェリスが起き上がり、部屋の入り口を振り返る。


「止めとけ、変質者かもしれないだろ」

「それはないと思いますけど……い、一応、見てきます!」


 軽快な動作で身を起こすと、フェリスは素早く部屋を飛び出していった。


「……猫なんていたか?」


 この客室に案内される道中、館の中で犬や猫といった動物が放し飼いされているような気配は一切なかった。

 小動物であれ、獣が発する独特な臭いは、たとえ貴族によって過保護に飼育されていようとも一瞬で分かるものだ。


 何よりも、あの偏屈へんくつそうな眼鏡の男が飼い猫を可愛がる姿など想像し難い。


「…………」


 オレも立ち上がって、部屋の外の様子を見ることにした。




 扉を開いて廊下に出ると、すぐ隣で――フェリスが一匹の猫を抱えていた。


「見てください、ベルトランさん! 猫さんですよ!」


 フェリスが嬉しそうにオレに見せてきたのは、毛色が灰色の――光の加減によっては青とも見える、大人しそうな猫だった。

 少女の撫でる手付きを気持ち良さそうに受け入れて、「にゃあ」と間の抜けた鳴き声を出している。


「…………ふむ」


 それはどこからどう見ても猫だった。もし、これを猫ではないと高らかに主張する者がいれば、周囲から白眼視はくがんしされる程度には猫だ。


 くりくりとしたつぶらな緑の瞳と、艶のある毛並み、小さな耳をピクリと動かしながら人間とたわむれる猫。

 そんな愛嬌あいきょうを振りまく愛玩あいがん動物の手本みたいな、何か。


「上手いな。相当に熟練の“変化へんか魔術”だ」


 猫に向かって真面目な口調でそう言うオレに、フェリスが疑問の表情で首を傾げた。


「変化、魔術? 何のことでしょうか」

「お前が可愛がってるその猫は、魔術師だって話だ」

「え?」


 オレの言葉を聞いて、フェリスはまだ飲み込めない様子で腕の中に抱えた猫を見つめる。


「うーん……でも、どう見ても猫さんですよ?」

「にゃあ」

「そうだな――おっと、鼠がいるぞ」


 オレはフェリスの後ろの廊下を指差しながら、わざとらしくそう言った。

 釣られるようにして背後を振り向くフェリスと、そして――


「!! にゃあああああああああ!!」


 ――おおよそ猫が出せるような声ではない、悲鳴みた、というより悲鳴そのものの泣き声が猫の喉から上がったのだ。


 その声に驚くフェリスの腕から逃れるように飛び跳ねて、猫は着地とともに――足元から青白い煙を吹き出させた。

 廊下の一角が煙に包まれて、数秒も経たぬ内に晴れていく視界に現れたのは、


「うぅうぅ、ネズミ怖いネズミ怖いネズミ怖いいい」


 ぶつぶつと呟きながら、頭を押さえてぎゅっと目をつむる……魔術師の衣装を身に付けた小柄な少女だった。


「え、……ええ!!?」


 フェリスが驚愕きょうがくの声を上げる。


「まさか、本当にこんな手が通じるとはな……逆に驚きだ」


 呆れた響きのあるオレの物言いに、猫だった少女はハッとした表情で何度も周囲を確認する。

 やがて、鼠がいないことを確認できたのか、安心したように息を吐き、それから……ばつの悪そうな顔でこちらを振り向いた。


「騙されましたにゃ……あ、いや、騙されました」


 観念して両手を上げる少女は、目に付く大きな黒のとんがり帽子を被っていた。

 その下をこれまた大きめの、身体を覆い隠す黒の外套がいとうを羽織っており、まるで一般人が想像する魔術師そのもののような――言い方を変えれば、大げさなほどに魔術師らしい格好をしていた。


 猫だった時の毛色をそのままに、少女は灰色に似た青の髪を肩の長さまで伸ばしていて、顔立ちはフェリス同様、可愛らしい寄りの雰囲気がある。


「で、どうして変化魔術で猫になっていた? お前の雇い主が監視で寄越してきたのか」

「ち、違いますにゃ、あ……違います。ルドヴィックさんが魔術師嫌いなので、あまり目立たないように護衛しろと言われて……」

「それが理由で猫に変化してたのか?」

「はい……」

「それって、何だか少し悲しいですね……」


 しょんぼりと肩を落としながら事情を話す魔術師の少女に、フェリスが同情の視線を向ける。


 まるで――言われた通りのことをやっていただけなのに、親や目上の者から理不尽に叱られてしまう居場所のない子供のような――そんな哀愁あいしゅうを魔術師の少女は漂わせていた。


「………………あと美少女になでなでして貰えるから」

「ん?」


 ぼそっと何か聞こえた気がしたが、そこに立つ魔術師の少女は未だ落ち込んだ様子のままだった。

 気落ちに合わせてズレそうになっているとんがり帽子をまっすぐに被り直して、少女ははかなげにはにかんで見せた。


「お姉さんの手、すごく優しくて心が温まりましたにゃ」

「え、お姉さんって私ですか?」

「オレだと思うか」

「それじゃあ、失礼しましたにゃ……」


 うやうやしく一礼して、魔術師の少女はオレたちに背を向けて歩き出す。

 そのまま廊下の向こうへと去っていこうとする後ろ姿に、横合いから声を掛ける者がいた。


「――おい、マリリーズ」

「ひっ!?」


 低い声で魔術師の少女を呼び止めたのは、ついさっきオレたちが会ったばかりの用心棒の大男、ユーゴだった。


「またサボってたのか……ったく、ルドヴィックの部屋の前で待機してろ」

「わ、分かりましたにゃ、ました!」


 ユーゴの注意の言葉に、マリリーズと呼ばれた少女は悲鳴に近い声で応えながら、逃げるようにしてその場を走り去っていった。

 先ほどまで漂わせていた哀愁はどこへやら、逃げるその後ろ姿はまさしく、親になまけっぷりを叱られた子供そのものであった。


「悪いな、驚かしちまって」


 ユーゴがこちらを振り返って、申し訳なさそうに言う。


「何なんだあいつは。ただの奇人きじんにしては、変化魔術の熟練度が桁違いだったが」

「マリリーズはまぁ……俺の妹分みたいなもんで、俺と同様、坊ちゃんの用心棒を任されている若い魔術師だ。当主様にあの魔術が気に入られて二人で護衛をすることになったのさ」

「その当主様とやらは今どこだ? バカ息子一人置いて、自分は領地をほったらかしにして旅行にでも出掛けてるのか?」

「…………」


 続くオレの問いを聞いた途端、ユーゴが何とも言えない顔で言葉を詰まらせる。

 短くられた黒髪をき、決まりが悪そうに視線を逸らす男の態度からはすでに陽気さが消えていた。

 そんな男が見せる神妙しんみょうな表情に、フェリスは何かを察したような小さな声を漏らす。


 数秒の間、沈黙が流れる。やがて、ユーゴがおごそかに口を開いた。


「いや、ここだけの話なんだがな…………当主様は今、数日間だけ冒険者たちを連れて冒険の旅に出ている」

「……は?」

「……えっ?」


 返ってきた答えに思わず、オレとフェリスは拍子抜けした声を上げた。


「亡くなってそうな雰囲気出してませんでしたか?」

「ハハハ、死んでたら今頃、坊ちゃんが当主を引き継いでるだろう。変なことを言う嬢ちゃんだな」

「それはそうかも知れませんけど……」

「ここの親子が揃ってアホだということは分かったな」


 肩をすくめながら呆れて見せると、ユーゴはまたも気さくな態度に戻って爽快に笑った。

 次いで、ふところから小さな袋を取り出すと、それをオレに向かって投げて渡してきた。


 掴んだ拍子に聞こえた音から察するに、硬貨が入った袋だろうか。


「前金だとさ。当主様があらかじめ用意しておいたそうだ。それを持って街にでも出かけてくるといい」

「アホというのは前言撤回する。当主様は未知の世界を探求する好奇心に溢れた聡明そうめいなお方のようだな、いやはや感服したよ」

「ベルトランさん……」


 じとっとした視線を向けてくるフェリス。

 そんなオレの素早い掌返しを笑いながら、ユーゴは来た道にきびすを返すと、


「おススメの定食屋がこの近くにある。護衛の数は足りてるし、アンタら二人で行ってきたらどうだ?」


 と、そう提案をして、部屋の前から去っていった。

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