07:騒動


 ユーゴに勧められた定食屋は、領主の館から歩いて数分も掛からない大通りにあった。


 この辺りは商店が多く立ち並んでおり、店先の品物を買う住人や行商ぎょうしょうたちの活気でにぎわっている。


 フェリスはそんな街の様子を物珍しい目でキョロキョロと見回しながら、時おり、露店ろてんの商品を見つめたりもしていた。


「買いたいものでもあるのか」

「い、いえ、ちょっと見ていただけです!」


 慌てて首を振る少女に、オレは硬貨袋を投げて渡した。


「金はさっき貰ったばかりなんだぞ、好きに使え」

「本当に見ていただけですから――って、え?」


 フェリスがオレを見る。


「何だ、意外そうな顔して。遠征えんせいに出る以上、装備や食料は買っておく必要があるだろ?」

「いいんですか? 私が使っても」


 未だ信じられないといった様子で、うかがうようにそうたずねるフェリス。


「もしかして、オレを金の亡者もうじゃか何かだと思っているのか? 心外だな、単に金が好きなだけだ」


 店先でやり取りをする店主と買い物客たちの光景を眺めながら、オレは肩をすくめる。


「金は大抵の物事を時短で解決できるからな。本当に大切なのは時間だ――何よりもな」

「……なる、ほど?」


 首をかしげつつも頷くフェリス。

 受け取った硬貨袋を両手でぎゅっと持ちながら、身長差のあるオレの歩みにも難なく付いてきていた。




 そうしていくつかの商店を通り過ぎると、やがて、ユーゴが勧めてきた定食屋の前に到着した。

 二階建てのやや古めかしい建物で、取り付けられた鉄の看板を見るに、一階が食堂で二階が酒場となっているらしい。


 屋外に立っていても聞こえてくる食堂の繁盛はんじょう具合に面倒な予感を覚えつつ、扉を押して中へと入った。


「うわあ、スゴい人の数ですね」


 案の定、食堂は一目見て満席だと分かるほどに賑わっており、運ばれた料理の香りと食事を楽しむ客たちの活気でごった返していた。

 そんな中の様子を入り口に立って眺めていると、


「席はもうすぐ空くからそこで待ってな」


 と、調理台の向こうから女将おかみらしき中年の女がそう声を掛けてきた。


「よし、適当に露店で何か食って帰るか」

「こ、ここで食べましょう! 後少しで席が空くとおっしゃってますし!」


 引き返そうとするオレを、フェリスが慌てた様子で押し止める。


「腹に入れば飯なんてどれも同じだと思うが……まあいいか」


 フェリスの説得に従って、オレは大人しく食堂の中を見回すことにした。


 多くの客でガヤガヤと賑わう店内を手持ち無沙汰ぶさたに観察していると、ふと、入り口の近くに指名手配書が貼られていることに気付く。

 こうしたたぐいの手配書は酒場や食堂ではさして珍しくないが……


「どいつもこいつも見事な悪人面だな……悪事を働くために生まれたような顔だぞ。肖像画しょうぞうがはこれで合ってるのか?」

「あ、でもこの人、とてもカッコいいですよ」

「……バンジャミン・ディオメッド?」


 フェリスが指す手配書を見て、そこに書かれていた名前に目がまった。


 こいつの名前は世情せじょううといオレですら聞いたことのあるほど、有名なお尋ね者――もとい、暗殺者の名前だった。

 懸賞金の隣に描かれた肖像画には、犯罪者に似つかわしくない、やたら美化した画風の男がこちらに向かって微笑ほほえんでいた。


「スゴい賞金だな。こいつの首を獲ればここの食事が食べ放題だぞ、どうするフェリス」

「遠慮しておきます……あ、席が空いたみたいですよ!」


 食堂に視線を戻すと、ちょうど、三人の客が食べ終わって帰っていくところだった。

 その内の二人組が座っていた窓際の席に入れ替わりで腰を下ろす。


「……ん?」


 ふと、通り過ぎた客の一人が給仕きゅうじに声を掛けているのを耳にして、オレは振り返った。


「どうしたんですか、ベルトランさん?」

「いや……何でもない」


 不思議そうにオレを見るフェリスに首を振り、いで、やってきた給仕に二人分の定食を注文する。

 そして、しばらく賑やかな食堂の様子を眺めていると、フェリスが控えめな声で話を切り出した。


「あの、ベルトランさんはリディヴィーヌ様の弟子、なんですよね。メリザンシヤ様と同じく」

「ああ、前にもそう言ったはずだが。信じられないか? そうだよな、オレだって信じていない」

「い、いえ、信じてます! 庭園での皆さんの会話も聞いていましたから!」


 フェリスはぶんぶんと頭を振って、それから神妙しんみょうな顔つきで話を続けた。


「どうして、リディヴィーヌ様の弟子になろうと思ったのかなって、気になっちゃって」

惰眠だみんむさぼるために決まってるだろ」

「でも、こうしてリディヴィーヌ様の言い付けを守ってますよね」

「はあ、お前のその発言を聞いて、これから食う飯の味が不味まずくなったよ」


 オレは頬杖を突きながら、窓の景色に視線を向ける。


 こいつは本当に、ただ純粋に……オレの素性が気になっているのだろう。少女から感じる態度には、好奇心以外の何物も感じられない。

 物好きというか、変わり者というか。


「……お前はリディヴィーヌがどんな魔術師なのか、知っているか?」

「え?」


 オレの唐突な返答――というより返しの質問が意外だったのか、きょとんとした表情になるフェリス。

 それから、少しだけ言葉を探るように押し黙って、それを答えた。


「大陸の和平に尽力じんりょくした素晴らしい大魔術師です。各地であらゆる魔術を唱えて魔獣の被害を抑えた上で、最終的に魔女を討伐とうばつした英雄だと聞いています」

「まあ、その通りだな」


 フェリスの答えは完璧だった。実際、リディヴィーヌの貢献こうけんは各地で英雄視されているほどに大きいものであった。


 初代“三大魔術師”の後継こうけいの一人にして、魔術師界に多くの協力者を持つ――鋼花こうかの国の女傑じょけつ

 信奉者しんぽうしゃ画策かくさくによって再び引き起こされた各国の争いを止めて、魔女アリギエイヌスの手で大陸中に拡散された〈真理の器ヴェリテス・ノルム〉を協力者たちとともに先陣を切って破壊したのも、リディヴィーヌだった。

 しかし……


「その通りなんだが、オレが聞いているのはそういう表面的な答えじゃない。あの女がどんな人間かってことだ」

「……それは、知らないです」

「だろうな。それが答えだ」


 オレはきっぱりとそう言って、給仕が運んできた料理を受け取る。

 フェリスはというと、


「ど、どういうことですか?」


 と、よく分からないといった表情で首を傾げていた。

 無論、適当に返しただけだから、意味が分からないのは至極しごく当然だ。

 それでも思案する少女を横目に、オレはさっさと料理を食べてしまおうとパンに手を付ける。

 その時――


「おい、どうしたあれ」


 食堂にいる客の中から、そんな声が聞こえてきた。


 最初は、食器の触れ合う音や客同士の賑わいに包まれていた食堂の空気が、次第に、その声と同じく……窓の外の様子を気にする騒ぎへと変化していく。


 オレとフェリスも、釣られて外に顔を向ける。


 食堂の窓から見えたのは……大通りをれた路地で、一人の男と向かい合う十数人の人だかりの姿だった。

 何やら、人だかりは男に罵声ばせいを浴びせながら、手に持った石をぶつけようとしている最中のようだ。


「……!!」


 その光景を見た瞬間、真っ先に立ち上がったのはフェリスだった。

 騒ぎ立てるだけの客の間を、フェリスは機敏きびんな動きで通り抜けながら食堂の入り口へと走り去っていく。


「おいおい……まるで騎士見習いだな」


 少女の行動力に呆気に取られながらも、オレはため息を吐いて、そろそろと後を追うように店を出た。




「この恥知らずのクソ野郎!! どうせてめえもあいつらの仲間だろ!!」


 定食屋を出てすぐ隣の路地に向かうと、人の流れをけた端の方にて、さきほど見た光景――男と十数人の人だかりの姿を見つけた。


 体格の良い男が集団の先頭に立ち、一人の貧相な男に向けて声を荒げているところだった。

 何人かの投げた石が当たったのか、よく見れば、向かい合う男の顔や腕には出血があった。


 そんなやや過激ないさかいを遠巻きに眺める者、さっさと横を通り過ぎていこうとする者たちの中で――


「止めてください!」


 何の躊躇ためらいも見せずに、フェリスだけがその間に割って入っていった。


「なんだお前……関係ねえガキはさっさとどけ」


 体格の良い男がそう言うと、後ろに控えていた集団――老若男女ろうにゃくなんにょの人々が一斉に「そうだ」「どけ」と声を上げる。


 この辺りの住人たちなのだろうか。集まっている面々の年齢や性別には統一性がなく、ただ怒りの感情だけが共通してそこにあるようだった。

 大勢の怒鳴り声と剣幕けんまくに、フェリスは一瞬だけ気圧されそうになるものの、こらえるようにして一歩前へと踏み出した。


「関係があるとかないとか、そういう問題じゃないです。どうしてこの方に石を投げるんですか?」

「どうしてだ? そんなの――こいつが“信奉者”だからに決まってるだろ」


 体格の良い男はそう言って、フェリスの後ろに立つ、虚ろな眼をした男を指差した。


「怪しいと思ってたんだ、昼間からこそこそと引きこもって……何をやってるかと思えば、あの忌々いまいましい――魔女アリギエイヌスに祈りを捧げてやがった!」

「……!」


 男の糾弾きゅうだんする叫びに、フェリスも釣られて背後を振り返る。


「…………」


 少女の後ろで腕を押さえる男は、しかし、一切の覇気がない表情で地面を見つめたまま、ぼんやりと立ち尽くすのみであった。


 否定もせず、肯定もしない……まるで魂のない抜け殻がそこに棒立ちしているかのような様子は、少々不気味だった。


「っ……だからと言って、暴力はダメです!」


 背後の男をかばう形で、両手を広げて立ち塞がるフェリス。

 わけを聞いても依然いぜんとしてその場を立ち去ろうとしない少女に、男は苛立たしげに言葉を続けた。


「信奉者どもが何をしたか知ってるだろ! こいつらは意味不明な主張をかかげて、平気で人殺しをする連中だ! ユオル様も……信奉者の連中によって殺されたんだ!!」

「…………」


 男の言っていることは、おそらく……いや、ほとんどが合っていると考えていいだろう。

 魔女の信奉者が行ってきたあらゆる非道な行為は、重罪を犯して牢獄に入れられた悪人たちでさえ一様に非難の色を示すほど、悪辣あくらつなものばかりであった。


 誘拐、人体実験、大量虐殺……挙げていけば枚挙まいきょにいとまがない謀反むほん罪過ざいかの数々を、約五年にもわたって信奉者たちはこの大陸で引き起こし続けたのだ。


 そんな信奉者に対する憎しみは世代を問わず、激しい憤怒と怨恨えんこんに変化して――現代においてもなお続く、反信奉者の思想に引き継がれていった。


 悪しき者には罰を。悪しき者には制裁を。

 程度の違いはあれど、この大陸に住まう者のほとんどはそうした私刑しけいを了承していることだろう。

 現に――


「…………」


 路地を通る人々の中で、フェリスに同調して集団の投石を止めさせようとする者は一人もいない。

 この場合はむしろ、それが普通のことであり、殊更ことさらに信奉者の男を庇い立てするフェリスの方こそが――おかしいのだ。


 加えて、民衆から高い支持を受けていた第三王子ユオルが都市メイベンにて暗殺された一件もある。

 義憤ぎふんに駆られて、こうした事例が起きるのも致し方ない……はずなのだが。


「……この人が、そうした罪を犯したという根拠はあるんですか?」


 フェリスはなおも揺らぐことなく、力強い瞳を集団に向けていた。

 その真っ直ぐな視線に、男が激昂げっこうした顔で睨み付ける。


「根拠も何も、信奉者だろうが! いいからそこをどけ!」


 男の叫びに続いて、一つの小石が集団の中から――フェリスに向かって鋭く投げられた。

 拳よりやや小さいほどの石だが、それでも、頭に当たれば軽傷では済まない。

 しかし、フェリスは避けようとはせず――


「――〈遅延の泡レンテ・スプマ〉」


 オレの詠唱に従い、即座に展開した透明な球体の膜がフェリスの周囲をいくつも浮かぶ上がった。

 同時に、フェリスの顔面を狙って投げられた小石が球体の膜に衝突する。その瞬間、勢いを持って飛んでいた小石の動きが、一瞬にして緩やかな速度へと変化した。


 すんでのところで怪我をまぬがれたフェリスが驚きに目を見開く。


「楽しそうだな。オレも参加させてくれないか?」

「……!! 魔術師……!」

「石が許されるなら、別に魔術も問題ないだろ? オレもアンタらと同じく、殴る蹴るは苦手なものでね」


 オレは諍いの場にそろそろと近付いて、フェリスの正面に立つ体格の良い男にそう言った。


「ベルトランさん!」


 フェリスがパッと顔を明るくして、こちらを振り返る。

 そんな少女の視線に、オレは肩を竦めて応じた。


「お前が店を飛び出した時は驚いたぞ。まさか、こんな大胆な食い逃げをする奴だとは思ってなかったからな」

「あっ……い、いえ、まだ食事には口を付けてないので!」

「ちなみにオレは、パンを二つと他の客が注文していた肉をこっそり頂いてから店を出たぞ」

「ベルトランさん!?」


 オレたちの会話を苛立たしそうに聞いていた男が、声を張り上げる。


「何なんだお前らは! そいつを庇って何になるってんだ!?」

「何になるか聞かれてるぞ、フェリス」

「……どういう理由であっても、暴力はダメです」

「…………チッ!」


 大きく舌打ちをして、体格の良い男はこちらをジッと睨んだ後、そのまま背を向けて路地の向こうへと歩き去っていった。


 それを合図に、石を手に集まっていた老若男女の人だかりも渋々といった様子で解散していく。

 この場に残ったのはオレとフェリス、そして、後ろで黙ったまま腕を押さえ続ける男――信奉者の男だけとなった。

 …………


図体ずうたいがでかくても、格闘ができない奴ってのはいるもんだな」

「…………」

「フェリス、そこから移動しろ。魔術を解除すると石がお前にぶつかる」

「あっ、はい。すみません!」


 慌てたフェリスが背後の男とともに横へ移動する。


「怪我、大丈夫ですか……? 良ければ、私が手当てしましょうか」

「…………」


 男は介抱かいほうされながら、なおも虚ろな表情のまま、口を開かずに立ち尽くしていた。

 単に、喋ることができないだけなのかと考えた、その矢先――


「……あんたも」

「え……?」


 ふと、耳を澄まさなければ聞こえ逃してしまうほどの小さな声で、男がつぶやいた。

 フェリスがゆっくりと、男の近くに耳を傾ける。

 そして、


「……あんたも“こっち側”か?」

「…………っ!」


 男の言葉に、先ほどまでやや不安げだったフェリスの顔が硬直する。


 自身の胸元にえた片手をわずかに震わせて、一歩、また一歩と後ろに下がっていく。

 よく見れば、揺らぐ瞳とともに冷や汗すらいている。明らかに様子が変だった。


「おい、大丈夫か?」

「………………はい、大丈夫です」


 オレの呼びかけに、声を詰まらせながらも――何とか返事をするフェリス。


(そういえば……こいつは過去に、信奉者に襲われたことがあるんだったか)


 魔獣討伐の依頼の時に、センピオール蒼林そうりんの移動中で聞いたフェリスの話を思い出す。

 あの時、信奉者の襲撃をメリザンシヤに助けられたと言っていたが、今の男の言葉によって何か――思い出したくない昔の記憶が呼び起こされてしまったのだろうか。


「…………」


 男は身を強張こわばらせたままの少女を虚ろな眼で眺めていると、やがて興味を無くしたのか、オレたちの横をのろのろと通り過ぎて行きながら……路地裏の方へと姿を消した。


 遠巻きに観察していた野次馬やじうまたちも次第に歩みを再開して、辺りは再び、日常の賑わいを取り戻していく。


「さて、飯を食いそびれたな、食堂に戻るか?」


 振り向くと、フェリスがオレに向かって頭を下げていた。


「さっきはありがとうございました。……私は先に部屋に戻ってますね」


 そう言って、もう一度「すみません」と頭を下げた後、フェリスはうつむきながら、領主の館がある方へと足早あしばやに去っていった。


 その後姿うしろすがたを見届けて、オレはため息を付く。これこそが、時間の無駄という奴だ。


「残ったのはオレ一人か…………いや」


 ふと、背後を振り返る。


「…………」


 振り返った路地の景色には、特段おかしなものはなかった。のきを連ねた小さな商店と、行き交う人々の姿だけが視界に映る。

 …………


(オレも帰るとするか。貰った金をフェリスに渡したままのせいで暇潰しの金もないしな)


 フェリスが去った後を遅れて追うように、大通りの雑踏ざっとうに意識を向けながら……オレもその場を離れることにした。

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