05:岩壁の国


 その名の通り、街道の景色にとどまらず、領地の至るところ――集落や市街地の中にある建物まで、ほとんどが石と岩によって構成されていた。


 石造りと言えば普通に聞こえるが、それにしても無骨ぶこつというか、建築の意匠いしょうやその他諸々が他の国とは違って荒削りに見えた。

 住めればそれでいい、という住人たちの気性が端的にうかがえる、質素しっそな景観の街だ。


 鉱山の近くにある炭鉱夫たちの街ということで潤っているのか、都市の規模も大きく、それなりにさかえているようだった。


「はあ……相変わらず無駄に熱いな、この国は。何が悲しくて、こんな場所に人間が住むんだ?」


 そんなオレの億劫おっくうさを隠さない一言に、目の前を立つ衛兵がギロリとこちらを睨んだ。

 ――岩壁がんぺきの国の西側に位置する炭鉱都市ダルマス、その中央区にある領主の館の門前にて、オレは――いや、オレとフェリスはたたずんでいた。

 隣を振り向く。


「ところで、フェリス。お前はメリザンシヤにどんな弱みを掴まれているんだ?」


 目を輝かせながら、賑わう街並みや領主ていせわしなく視線を向けていたフェリスがふと、オレを見る。


「え? 弱みなんて掴まれてないですよ?」

「じゃあ、なんでお前はオレの行く場所向かう場所にいつも付いてくるんだ」


 オレの疑問に対して、フェリスはきょとんとした顔をして、


「メリザンシヤ様がそうしろとおっしゃったので」


 と、何の疑問も抱いていない様子でほがらかにそう答えた。


「ああ、もうダメだな。あいつは女相手にも篭絡ろうらくの一手を打つのか。やけに一部に狂信的な人気があると思ったが、そういうことか」

「ろ、ろ、篭絡!? そんなことされてないです! 何を言ってるんですか、ベルトランさん!」


 どんな想像をしたのか、一気に顔を赤くしつつ、必死に反論するフェリス。


「そ、それを言うなら、ベルトランさんも何だかんだ文句を言いながらリディヴィーヌ様のご指示に従ってますよね」

「そうだな、全くもってそうだ。オレもいい加減、魔術師の規則に縛られる人生にはうんざりしてるよ」


 フェリスの言葉に現実を思い出して、オレは一層、憂鬱ゆううつな気分になる。

 外の人間からは、魔術師は身勝手に振舞い、自由を謳歌おうかしているという印象を持たれがちだが、実際は大きく違っているものだ。


 まさか……十を超える規律に縛られて、師弟関係を絶対とする上意下達じょういかたつが魔術師界に存在するなど、誰が想像するだろうか。


(そもそも、あの大魔術師に逆らうなんて命がいくつあっても足りないだろ)


 オレががらにもなく冒険者パーティに入って冒険者を続けていたのも、あくまでリディヴィーヌの指示に従っていただけに過ぎない。

 昨日、“庭園”にてリディヴィーヌに打ちのめされていた愚かな弟弟子おとうとでしの、あのむごたらしい姿を思い出す。


 ああはなりたくないから、やれと言われたことはやる。単純な話だ。


「ベルトランさんは、他に自分がやりたいことはないんですか?」

「どうした急に」

「あの魔獣討伐の日に、ベルトランさんが私に聞いた質問をそっくりそのまま返しただけですよ」


 手持ち無沙汰ぶさたに立ちながら、フェリスが問う。


「オレはあの時、楽して金がほしいって答えた気がするがな…………それはそれとして、遅いな」

「遅いですね……」


 さっきからずっと、二人で――領主の館の門前にて、衛兵たちの警戒する視線に刺されながら待ちぼうけを食らっている最中だった。

 どうやら、オレたちがここに来るという連絡が行き届いていなかったらしく、館の中へ招待するための確認に時間が掛かっているようだ。


 リディヴィーヌの話では、オレを指名したのはここの領主の息子だ。日程を決めたのもそいつだと聞いた。


「なあ、お前たちの雇い主は馬鹿なのか?」

「べ、ベルトランさん……!」

「…………」


 オレの言葉にしばらく沈黙が続くが、しかし、衛兵たちから否定は返ってこない。

 単に口を利くつもりがない、というだけにしては何とも言えない微妙な態度だった。


 そんなやり取りをしていると、ようやく、門の向こう側から誰かが足早にやってくる。


「お待たせしました、どうぞ中へお入りください、ベルトラン様」


 館の中から現れた侍女じじょの案内に従い、オレとフェリスは大きな門を潜って敷地の中へと入った。




 玄関を抜けると、当然と言えば当然だが、いかにも貴族らしい豪華絢爛ごうかけんらんな空間がオレたちを迎えた。

 磨き上げられた床と広間の隅々に飾られた芸術品の数々、そして、入ってすぐに視界を占有する大きな吹き抜けの階段。

 その階段の先では、階下を見下ろすようにして領主らしき男の肖像画が飾られていた。


「うわあ、凄いですね……」


 広間を見回していたフェリスが感嘆の声を上げる。


「王城に出入りしているのに、今更この程度で驚くのか?」

「す、凄いものはスゴイですから!」


 そんな少女の返し言葉に、階上かいじょうから誰かの笑い声が聞こえてきた。


「ハハハッ、いいねぇ、素直な人間は成長するよ。隣の間抜けと違って、君は実に優れた審美眼しんびがんの持ち主だねぇ」


 ――上から降ってきたその声は、若い男の声だった。

 傲慢ごうまんさが見えいた喋り方からして、この場の誰がオレたちに話し掛けてきたのかはおおよそ見当が付く。


 視線を上に向けると、そこに立っていたのは、領主の息子である青年――ルドヴィック・ガロンだった。


「――やあ、ベルトラン。ボクのことは忘れていないよなぁ?」


 嘲笑あざわらうような口調で、青年がオレに尋ねる。そのまま階段を下りてきながら、神経質そうに切り揃えられた前髪を微かに揺らす。


 ふと、隣を見ればフェリスが唖然あぜんした表情で、青年――ルドヴィックを見ていた。 

 オレもならってもう一度、ルドヴィックを見る。


 ――そいつは眼鏡をしていた。それもヘンテコな、黒いガラスで作られた視認性の低そうな大きい眼鏡だ。

 その特徴ある姿を見て、ようやく、オレの頭の片隅に眠っていたどうでもいい記憶が掘り起こされる。


「ああ、今ちょうど、お前の間抜けな眼鏡を見た瞬間に思い出したよ。そういえば、そんなダサい眼鏡を着けた奴が冒険者の中にいたな、と」

「ダサくない!! これはボク専用に作られた特別性の保護眼鏡サングラスだ、覚えておけこの間抜け!!」


 さっきまでの余裕そうだった表情をすぐさま捨てて、激昂げっこうしたルドヴィックが声を荒げる。


「お知り合いなんですか?」

「さてな、オレはあくまで『そういえばこんな奴いたな』って思い出した程度だ」

「記憶力も間抜けかお前は! ……まあいい、今日からお前はボクに雇われる立場なんだ。下なんだよ、分かるか?」


 ルドヴィックが下を表す仕草で地面を指差しながら、オレたちの前に立つ。


「聞いたところによれば、お前の師匠が弟子のやらかした後始末にてんやわんやらしいなあ? ハハハッ、良い気味だよ、おかげでお前みたいな傲慢な魔術師をこうして顎で使えるんだからねぇ」

「なあ、そのダサい眼鏡を外して喋ってくれないか? 笑いをこらえるのに必死で話が全く耳に入らん」

「んなっ――」


 オレの一言に、ルドヴィックは激昂を通り越してふるふると震え出す。

 見かねたように、フェリスが助け舟を出した。


「私はカッコいい……と思いますよ、ははは……」

「ぐっ――おい、ユーゴ!」


 顔を歪ませたルドヴィックの鋭い呼び掛けに、広間の奥の通路から「はいよ」と応える人影があった。

 そうして、こちらに向かって歩いてきたのは、傭兵らしき見た目の大男だった。


「何だ、坊ちゃん。呼んだか」

「こいつらに雇い主が誰なのか、解らせてやれ」

「何だそりゃ……まあいいけどよ。この坊ちゃんはルドヴィック・ガロン、ガロン伯爵家のご子息で、今は冒険者をやっている」

「ボクの紹介をしろという意味じゃない! お前も間抜けか!?」


 大きな黒眼鏡サングラスがズレてしまうほどのイライラを顕わにしながら、ルドヴィックがこの場の全員を睨み付ける。


「落ち着けよ、まさか暴力で上下関係を教えろとかそういう話じゃないだろうな。勘弁してくれ、俺が当主様に頼まれたのは坊ちゃんの護衛だけだぜ」

「く、ぐぐっ…………フン、とにかく、今日からお前はボクの護衛をすることになった。明後日の“大討伐だいとうばつ”には強制的に同行してもらう。ちゃんと仕事しないとお前の師匠に報告するからな」


 吐き捨てるようにそれだけを言って、ルドヴィックは広間を後にした。

 屋敷の奥へと遠ざかっていく背中を見送りながら、傭兵らしき男がこちらを振り向く。


「まあ、あんなだが、一応は冒険者として正しい心得を持ってるんだ。大目に見てやってくれや」


 ユーゴと呼ばれた男は、短くられた黒髪をガシガシときながら爽快に笑った。


 低くはないオレの身長をそれでも優に超える巨躯きょくと、背中にくくり付けられた大剣が目の前に壁のごとく立ちはだかる。小心者であれば、恐怖以外の何物でもない光景だった。


 フェリスはそんな大男の登場に全身で緊張を表しながらも、何とか平静を装いつつ、オレに話を振ってくる。


「あ、あの、どうしてルドヴィックさんはベルトランさんをあそこまで毛嫌いしてるんでしょうか」

「そんなこと知らな…………いや待て、過去に一度、あいつの冒険者パーティの世話になったことがあったような……」


 一瞬、思い出しそうになったのだが、ここまでしてもオレが思い出せないということは、おそらくどうでもいい記憶の分類として脳内で整理整頓されているのだろう。いつもであれば即座に忘れるような記憶を、断片であれ薄っすらと覚えていること自体がもはや奇跡的である。


 オレがそんな記憶の追想に手こずっていると、目の前に立つ大男――ユーゴが怪訝けげんそうに首をかしげた。


「ん? アンタは坊ちゃんと知り合いじゃないのか? 坊ちゃん――ルドヴィックの話じゃ、アンタは因縁の相手だって聞いていたんだが」

「全く記憶にないが……もしかして、オレに笑いものにされた過去を未だに根に持っている、とかか?」


 当てずっぽうだが、オレに恨みを抱く人間の八割くらいがこれを原因としているので、あながち適当でもない予想だったりする。

 そして案の定、ユーゴは驚きながらも頷いた。


「おお、その通りだ」

「それは怒られても仕方ないような……」


 フェリスが困ったように苦笑いを浮かべた。


「まあ、とにかくだ、アンタらが明後日の“大討伐”に護衛として付いてきてくれるっていうなら心強いぜ。そっちの魔術師っぽいのがベルトランだな、んで、そっちのお嬢ちゃんは……」

「フェリシティ・マナドゥです。よろしくお願いします!」


 オレと最初に会った時と同じく、元気一杯といった様子でフェリスが自己紹介した。

 そんな少女の挨拶にユーゴは気さくな返事で応じると、「俺も名乗らなきゃ失礼だな」とこちらを向き直った。


「俺はユーゴ・グレゴワール。元冒険者で、今はここに雇われて坊ちゃんの用心棒をやってる。よろしくな」

「……グレゴワール?」


 どこかで聞き覚えのある響きだった。それこそ、ルドヴィックとは比べ物にならないほど引っ掛かりのある名だ。

 だが、オレがそれを思い出すよりも先に、広間の端で待機していた侍女二人がオレたちの会話を区切りと読んだのか、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。


 ユーゴはお辞儀する侍女二人を指して、


「アンタらの寝床はこの二人が案内するらしい。じゃあ、お互い護衛の仕事を頑張ろうや」


 と、極めてあっさりとした言葉で締めくくって、来た道を戻っていった。

 

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