第26話 永瀬カリーナ
日本に引っ越したのは、小学5年生のときだ。
今までの友達と別れて、見知らぬ土地に来るのは怖かった。
だけど、父は仕事だから仕方ないと言った。
当時の私は、泣いていたと思う。
新しい家に来て、毎日のように泣いていた。
母は困った顔で慰めてくれて、兄は変顔で笑わせようとしてくれた。
それでも、やっぱり母国に帰りたいと泣きわめいていた、と思う。
「……」
初めての小学校も、同い年の子たちから物珍しそうに見られた。
だけど、可愛いからという理由で仲間に入れてもらえた。
日本語が拙いせいで、よくカタコトを真似されたりアニメ声だってバカにされたけど。
仲間外れにされたくなくて、不満を言わなかった。
中学に入学する頃、日本語はある程度コミュニケーションをとれるぐらいには上達していた。
物覚えが良いみたいで、クラスメイト達と同レベルまでとはいかないけど、馬鹿にされることは少なくなった。
「ねぇ永瀬さん、掃除代わりにやってくんない?」
「……うん、いいよ」
友人関係も良好だったと思う。
クラスの人気者には、いつもあれこれ頼み事をされたけど、友達だから断れなかった。
周りの子は「やらなくていい」と気を遣ってくれたけど、やはり断ることはできなかった。
これで良いのだと、自分に言い聞かせた。
本当にやりたくないけど、断ったら気を悪くさせそうだし、仲間外れにされてイジメられる方が怖かったからだ。
ずっと、このままで良いと思った。
ある日、クラスの男子から告白された。
バスケ部のイケメン、と周りが言っていた気がする。
「ごめんなさい」
初めて、人の頼み事を断ったと思う。
だって、この人はいじめっ子だったからだ。
自分より地位の低い男子に悪口を言ったり、殴ったりする性格の悪い人。
だから、付き合いたくなかった。
自分の選択に間違いはない。
ないのに、次の日教室に行くと、頭から水の入ったバケツをかけられた。
しかも墨の混じった水。
時間をかけて整えた髪が、汚れてしまった。
近くにいたクラスメイト達から心配をされて、すぐに先生に報告してくれた。
だけど、なぜか私の方が職員室に呼ばれて叱られた。
「悪ふざけ」
「限度を知れ」
先生は「永瀬カリーナが悪ふざけでバケツの水を被った」とクラスメイト達から聞いたらしい。
後から知ったけど、バケツを頭にかけてきたのは、私が友達だと思っていた子達だったらしい。
主犯はいつも私にあれこれ頼み事をしていた女の子。
私に告白してきた男子とは幼馴染で、昔から好きだったのに横取りしようとしたと勘違いしたらしい。
なんて身勝手な、と泣きそうになったけど、私は謝った。
先生に、クラスメイトに、主犯に。
小学生の頃みたいに、馬鹿にされて虐められるのが怖かったから。
自分の立ち回りに間違いはない、次の日から何もかも解決されるはず。
そう信じて疑わなかったけど――――駄目だった。
気づけば、中学2年生で不登校になっていた。
両親には体調が悪いと、嘘をついて学校を休み続けた。
心が痛んだ。
愛する両親に嘘をついてまで、学校を休む自分が嫌いだ。
生きているだけで迷惑をかけてしまう自分なんか、居なくなればいいと思った。
1ヶ月後。
パソコンでいつも通り、時間を潰していた私は、あるゲームと出会った。
アルカディアファンタジー。
オンラインRPG。
元はスマートフォンゲームだったのだけど、PC版がリリースされたらしい。
英雄たちが救った世界を新たな脅威から守れ、という内容だった。
続編らしいけど、前作よりも評価が高くて、今作から遊んでも問題がないみたいなので、遊ぶことにした。
主人公は性別を選択できる、よくあるやつだ。
だけど、当時の私はなにを思ったのか、面白半分で男性の方を選んだ。
そしてオッサンっぽいキャラメイクをしてゲームを始めた。
本当、一体何を考えていたのか。
1週間後、すごくハマった。
クエストを受けてクリアさせる等の在り来りなおつかいばかりではなく、とにかく自由度が高かった。
世界中を旅できて、出会うNPCは魅力的で、ハウジング、釣り、鍛冶、交流、イベント、なによりストーリーが良かった。
空いている時間はレベリングに使って、ある程度の推奨レベルに達したらストーリーを進める。
ストーリーはかなり長めの内容になっているので、時間を潰せた。
辛い思いをせずに、時間を使うことができた。
時間の感覚を忘れるぐらい遊んでいたと思う。
両親は「学校に行け」や「勉強をしろ」とは言ってきたりはしなかった。
好きなことをやらせてくれる優しい両親だったから。
でも、その優しさが、痛かった。
時々、泣いたりしたけど、それを紛らわせるために遊び続けた。
ある日、ギルドに加入することになった。
高難易度ダンジョンで仕方なく組んだパーティの人が、ギルドを運営していたらしく、能力を買われて「ギルドに入ってみない?」と誘われた。
断れないという単純な理由で、私はギルドに加入した。
人付き合いが苦手な私は、ギルドメンバーたちと絡んだり会話をしたりという交流は片手で数えるぐらいしか、してこなかった。
ダンジョンもソロばかりで、誰かに頼ろうなんてあまり思わなかった。
頼りたいと思える人とは、出会えなかったのだ。
だけど加入したことでギルドバフというメリットがあった。
獲得する経験値とアイテムが1.5倍になるというバフだ。
おかげで欲しかった武器の素材が、以前よりも入手できるようになった。
「ドラゴンヘッドさん、みんな楽しんでいるのに一人だけつまんなそうにするの辞めてくれますか?」
「それに、ボイスチャットをONにしないのに何で参加しているんですか?」
レベ上げも素材集めも、やり尽くしたことで暇になった。
次のコンテツが追加されるまで暇だったので、開催されたギルドイベントに久々に参加した。
そんな私を、ギルドマスターは歓迎しなかった。
周りがボイスチャットをつけて会話をしているのに、一人だけ黙っていたからだ。
ボイスチャットをつけなくても参加できるはずなのに、理不尽だと思った。
他のギルドメンバーも便乗して、私にボイスチャットをつけるよう強要してきた。
一ヶ月以上、日本語で喋っていない。
ちゃんとした発音で喋れるか分からなかった。
それに、小学生から時々クラスメイトから言われてきたアニメっぽい自分の声がコンプレックスだった。
嫌だった。
嫌だったけど、断れない。
あまり関わったことがない人たちばかりだったとはいえ、仲間の頼み事を断ることが私には―――
「あ、あの、嫌なら無理にボイスチャットで会話させなくても……いいじゃないですか?」
私を庇ってくれたのは男性の魔法使いレインさんだった。
若々しい声で、多分同世代くらいだろう。
ビクビクして情けない喋り方だったけど、私の目に映るレインさんの後ろ姿はカッコよかった。
窮地を救ってくれた王子様みたいで、画面の前の私は、たぶん嬉しさのあまり赤面していたと思う。
イベントから抜け出した私とレインさんは、夕日が綺麗なステージの丘の上で、肩を並べて座っていた。
ゲームなのに、胸がドキドキしていた。
顔も知らない男の人なのに、気になって仕方がなかった。
「どうして、俺を庇ってくれんスか?」
「そりゃ、気に食わなかったから」
「気に食わなかった……?」
「ドラゴンヘッドさんが嫌がっているのに、無理にボイスチャットを付けさせようとしていたじゃないですか? 完全なマナー違反、現実でもやったら駄目な行為だと思いまして」
「そっか、そうスよね。なんかごめんなさい、巻き込むような形になっちゃって。俺が断ればよかったのに、迷惑をかけて……」
「迷惑? あの状況なら仕方ないじゃないですか?」
「えっ」
「空気が、人間関係が、嫌われたくない、そういった色々な要因が断りたくても断れない状況を作っちゃうんですよ。ドラゴンヘッドさんは何も悪くない、悪いのは彼らです」
「……でも、断れなかったら、駄目なんじゃないスか? 結局……」
「まあ、嫌なのにボイスチャットをつけることになったら嫌ですよね。俺も、どうすればいいのか分からないので、教えられることは何一つありませんが……」
レインさんは、エモーションでキャラをサムズアップさせた。
「俺もドラゴンヘッドさんと現実で同じような状況に直面したら、フツーに断れないかもしれません。それくらい弱い人間です。でも時々、思うんです。自分に嘘をつくより、自分の感情に素直になれた方が、どれだけ楽なのかなーって」
黄金に照らされた空を、レインさんは見上げながら告げた。
彼が現実で、どのような顔をして、この言葉を口にしたのかは分からない。
だけど、彼の言葉が、今まで私が必要としていた”答え”だった。
(自分の感情に……素直になる……)
辛いのに自分に嘘をついてきた。
勇気を出して素直になろうなんて、思ったことがなかった。
「それじゃ、そろそろ落ちますね。お疲れ様です、ドラゴンヘッドさん」
「……!」
ログアウトしようとするレインさん。
こちら側も挨拶するのがマナーだけど、このまま別れてしまったら、きっと彼とはこれっきりになってしまう。
それが嫌だったのか、得意のタイピングでチャットを素早く打っていた。
「あの、もし迷惑じゃなかったら、俺とフレンドになってくれないッスか!」
「フレ? いいですよ」
「それと、明日もログインするので、その時は二人っきりで……どこかのダンジョンに潜ったりレベ上げしたり、お喋りをしたり……。他のギルメンには内緒ッスよ! ギルメンに知られでもしたらレインさん、きっと俺と同じ態度をとられるかもしれないし、どうスか……?」
そこまで仲良くない相手に我ながら気持ち悪いと思う。
でも、これが私の本音。レインさんとは、これからも仲良くなりたい。
一方のレインさんは、30秒間固まったまま喋らない。
引いたのかな?と心配になったけど。
「ドラゴンヘッドさんが、こんなに喋る人だとは思わなかったのでビックリしてしまいました。明日ですね……夜ならインできるので、よろしくお願いします」
レインさんはそう言ってくれた。
庇っただけじゃなく、フレンドになって一緒に遊んでくれたのだ。
嬉しさのあまりパソコンの前で飛び跳ねそうになりながら、チャットを打ち込む。
「今日はありがとうッス! また明日!」
別れを言って、すぐにログアウトする。
レインさんよりも先に落ちてしまった事に気付いて慌てるが、かといってすぐにログアウトするのは流石に意味が分からないので、私はそのままベッドに倒れ込んだ。
「レインさん……ありがとう」
声と喋り方にコンプレックスを持っていた私を、助けてくれた。
これからも一緒に遊びたいという私の素直な気持ちを、優しく受け止めてくれた。
勇気を出して、素直になって良かった。
初めて、そう思えたような気がした。
ベッドから起き上がり、部屋の扉の前にゆっくり近づく。
(このままじゃダメ……自分を変えなきゃ)
深呼吸をして、覚悟を決めて私は部屋から出た。
両親に、兄に謝ろう。そして、学校に行こう。
3年後。
孝明くんの言葉がショックで、部屋で寝込んでいた。
帰ってすぐ部屋に駆け込んだせいで両親に心配をかけさせてしまった。
部屋の外から母国語で「大丈夫?」と声をかけられたので、私は「大丈夫」と弱々しく返事をした。
全然、大丈夫じゃなかったけど、そう答えるしかなかった。
「孝明くん……」
家に帰った時ですら、孝明くんのことで頭がいっぱいだった。
胸の奥から湧いてきた悲しさが、喉元に上がってきて嗚咽をこぼしてしまう。
彼は何も悪くない、ゲームとリアルを一括りにして勝手に舞い上がっていた私が、全面的に悪いのだ。
”相棒”。
私にとって、かけがえのない関係。
だけど、孝明くんはそうじゃなかった。
それを知って、勝手にショックを受けて、彼の前から逃げ出してしまった。
重い女だと思われたかもしれない。
現実世界でも、同じ関係を強要しようとしたから。
私は、私が許せないい。
このまま消えたい、彼に謝りたい、関わらないほうがいい、これからも一緒にいたい、逢いたい。
数時間が経過したかもしれない。
私はベッドから起き上がって、PCの前に座り込んだ。
そしてアルカディア・ファンタジーをログインした。
何故、だか分からなかった。
毎日ログインしていた習慣が、体を勝手に動かしていたからなのか、目的なんてないのにドラゴンヘッドを操作していた。
ある場所に向かうため、転移機能なんて使わず、時間をかけて黙々と移動する。
そして、到着した。
夕日がよく見える、私のお気に入りのステージ。
レインさんと、私がフレンドになった場所。
特に何かを期待するわけではなく丘の頂を目指して、ゆっくりと登る。
その道中、楽しかった記憶が蘇ってきて涙を溢れそうになった。
孝明くんと仲直りしたい。
だけど、もう手遅れかもしれない。
いくら私が平気でも、孝明くんの方は私のことが嫌いに———
「やっぱ来た。ドラゴンヘッドさん、落ち込むと絶対ここに来るから、待った甲斐があったよ」
見覚えのある背中。
突然ログに流れてきたフレンドチャット。
レインさんが、そこにいた。
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