第25話 レベルアップ


「千歌か……なんでもないよ」


 そう言って帰ろうとした雨宮を、東條はむっとした顔で近づいて腕を掴んだ。

 雨宮は驚いて振り返る。

 やはり不機嫌な幼馴染の顔がそこにあった。


「さっき一緒にカリーナさんと居たよね? あの子のことが大切なんでしょ、なのに何で悲しそうな顔をしているのよ?」


「それは……」


 カリーナを傷付けてしまった、なんて言えない。

 散々、東條に注意したことを自分でやってしまったのだ。


「そういう千歌はなんで駅前にいるんだよ? 俺たちを監視していたのか?」


 質問を答えたくなくて、雨宮は話しをそらす。

 東條がどこにいようが彼女の勝手で、最寄り駅なのだから通りかかっても不思議じゃない。

 気にしていないのに、気にしているフリをしてしまった。


「……」


 東條は仏頂面のまま腕を組み、なにかを察したかのように顎に手を当てた。

 数秒間の沈黙の末、彼女は掴んだ雨宮の腕を引っ張る。


「来なさい」


「えっ、ど、どこに?」


 それを拒もうとする雨宮だが、東條に力負けをしてしまい連れて行かれてしまう。

 心做しか、昔の幼馴染同士に戻ったような感じがした。






「あらー孝明くんじゃない! 久しぶりじゃない!」


 連れて行かれた場所は、東條の自宅だった。

 玄関を上がると、エプロン姿の東條の母が驚いた様子でこちらを見ていた。


「お、お邪魔します、おばさん」


 雨宮は丁寧に頭を下げた。

 数カ月ぶりに家に上がるし、もう遅い時間帯なので気まずい。


「もうっ、千歌ちゃんったら。孝明くんが来るなら前もって連絡してよっ。未来のお婿さんに気の利かないお義母さんだと思われたらどうするのよっ!」


「ちょっとお母さん! そういうの今いいから! バカなんじゃないのっ?」


 温厚な性格の東條母は、歓迎するように雨宮の肩に手を置いた。

 そして、事前に連絡を入れなかった娘に対して頬を膨らませる。


 というか、東條母は知らないのか?二人で喧嘩したことを。


(千歌の性格上……顔に出したり、私生活に影響を及ぼしたりしないよな……)


 時々、感情を剥き出しにする東條だが、それ以上に立ち回るのが上手い。

 頭がいい、自慢の幼馴染だった。


「ママ、私たち部屋にいるから邪魔しないでよね。大切な話しをするの」


「まぁ! 幼馴染が二人っきりで……パパは残業で深夜まで帰れないみたいだから、楽し……」


「もう! ママは黙っていてよ!」


 デリカシーのない母に嫌気を差した東條は、雨宮を連れてさっさと二階へと上がる。


 穏やかな母に、厳しい娘。性格の反する親子だが、これでも仲が良いことを雨宮は知っていた。





 東條千歌の部屋。

 堅物で真面目なのに部屋だけは一丁前に女子らしい。


 いい匂いがするし、ベッドが高級ホテルのように整理されていて、隅々まで掃除が行き届いている。


 連れ込まれては勉強をさせられたり、映画を観せられたり、雨宮にとっても色々と思い出のある部屋だ。


「……こんな所に連れてきて、なんのつもり?」


 悪気はないが、無意識に言葉が鋭くなる雨宮。

 そうなることさえ予想していたのか、東條はとくに反応をせずにベッドに座って考えこんでいた。

 なんというか、彼女らしい。


(てっきり、初めてカリーナを家に上がらせたあの日のことを……根に持っていると思っていたけど、怒っているようには見えないし……)


 怒っていないが、東條との間で生まれる静寂は、居心地が悪い。

 顎に手をあて、足を組んで考え込む東條を、正座して待つこと5分後。


 それでも、彼女はなにも言わない。

 あまり怒らない雨宮でさえ、わけの分からないことに付き合わせられたことで怪訝そうな表情を浮かべ、東條を見上げた。


 何故かこちら側から切り出すのを待つかのよう姿勢をしていた。

 早くしろと言わんばかりの圧を向けている。


(いや、連れてきたの千歌の方だろうが……)


 ますます意味が分からない。

 自分じゃなくカリーナを選んだことへの当てつけなのか、それとも―――



 違う。

 東條は待っているのだ。

 落ち込んでいた理由を、カリーナと喧嘩した理由を。

 雨宮の方から相談するのを、待っているのだ。


 (もしかして……千歌)


 あんな事があった後でも、同情してくれているのか?

 だから、わざわざ家にまで連れてきて、相談の場を設けてくれた?


 だけど、東條は口を固く閉じたまま待ち続けていた。

 奮起させるとはいえ、傷付けるような言葉を雨宮に浴びせてしまった。

 だから、自分には雨宮を助ける権利がないと思って、黙っているのだ。


(ダサいな……俺……)


 喧嘩した幼馴染にさえ心配させしまうぐらい駅前で落ち込んでいた自分が恥ずかしくなり、雨宮はすぅと息を飲み込んで、大きく吐き出す。


「千歌、俺……どうすればいいのかな?」







 カリーナを傷つけてしまった。

 助けてくれようとしていたのに、突き放すような言葉を口にしてしまったからだ。


 雨宮は、落ち着かない様子で後頭部を何度も掻きながら、先程のやりとりを東條に相談した。

 耳を傾けていた彼女は、呆れたように溜息を吐く。


「ゲームに関してはこれっぽっちも興味がないし、魅力的に思ったことが一度もないわ。それしきのことで関係が悪化するのも、正直くだらないと思うわ」


 相変わらずの毒舌。

 だけど東條の口調には悪意を感じられなかった。


「ただ、それは私の主観。孝明の趣味を否定したあの日から、少しだけ冷静になって考えてみたの。人の感情と感性は千差万別、自分にとって理解できなくても、その人にとってはかけがえのないかもしれない。私が勉強するのは高得点を獲得するため、だから好き。一方、高得点を獲得しても勉強が好きじゃない人がいる」


「それは、理解できるけど」


「できてないからカリーナさんを傷付けてしまったんでしょ。私みたいに……」


 雨宮はパッと顔を上げて東條を見た。

 まるで自分を戒めるような発言だったからだ。


「孝明が思っている以上に、カリーナの中での”相棒”はかけがえのない、大きなものだったのよ」


(……っ!)




『俺、レインさんと出会えて良かったッス。マジでそう思ってるッス』


『……へ? 急に何?』


『いやー、レインさんとフレンドにならなかったら、今までの俺ってどうしてたのかなーって思って』


『そんな大げさに言わなくても……確かに俺も、ドラゴンヘッドさんとギルドで知り合っていなかったら、まあ……それなりにこのゲームを楽しめなかったかも』


『でしょでしょ! レインさんにとっての俺はかけがえのない相棒ッスからね! 俺がいないと、毎日が楽しくないってほどに!』


『そこまで思っていないからっ! 勝手に決めんなよ!?』


『へへ、照れなくてもいいって』


『照れてないしっ。まったく……どうせなら、そういう台詞はドラゴンヘッドさんのようなオッサンじゃなくて、女の子とか言われたかったなー』


『同感。ま、俺の方はレインさんと会えなかったら、きっと最初の数週間でログインを辞めてたかもッスよ。ここまでお互いに遠慮なく会話ができるフレンドを、レインさん以外に見つけられる気がしないし……相棒になれて嬉しいし、毎日が楽しいッス』


『……お、おう』


『そんなレインさんに提案。―――今度、二人だけでオフ会をしてみないスか?』





 ドラゴンヘッドは気の良い奴だ。

 彼以上のフレンドはいない、あちら側もそう思っているのか、ほぼ毎日『レインさんと相棒で良かった』と言ってくれる。


(なのに俺は……軽い気持ちでドラゴンヘッドさんと遊んでいた)


 ギルドリーダーからボイスチャットを付けるように強要され、雨宮ことレインが庇ったことでドラゴンヘッドと仲良くなった。


 ずいぶん後から雨宮は知ることになったが、ドラゴンヘッドの中身は当時中学生だった頃のカリーナで、声にコンプレックスを持っていたからという理由で生声を聞かせたくなかったのだ。



 あの時、庇ったカリーナがどういった心境だったのか雨宮には分からない。

 しかし、自分が彼女の立場だったら、嫌な思いから庇ってくれた人を尊敬していただろう。


 近づきたい、仲良くなりたい。

 好きだ、そういう感情を抱いていたかもしれない。


(なのに……彼女との相棒という関係を軽視していた。いつか途切れるかもしれない関係だって思っていた)


「カリーナさんは言いたいことを言える素直な子よ。けど、普通の人とは違って、ああいった子ほど抱え込むと潰れやすいの。そうならないよう、抱え込んでいるものを残らず吐き出させる。それが、私の思う解決法……」


「……」


「どんな想いでも受け止める、それが相棒っていうものなんでしょ……?」


 カリーナの言う”相棒”はゲーム内だけの話しではない。

 現実でも、そういう関係でありたいと思っているのだ。

 だから雨宮の言葉で傷ついた、だから雨宮は彼女を傷付けてしまった。


 現実では、お互いの想いを十分に理解し合えていなかった。

 受け止めきれずにいた。



「千歌の言う通り、俺は根暗な陰キャですぐ逃げ出してしまうようなグズだ。手の届く距離にいるカリーナを……泣いていた彼女を追いかけることすら出来ないクソ野郎だ。逃げて逃げて、受け止めようとはしなかった」


 涙を流して、震える声で言う雨宮を、情けない、泣くな、いつもならそう注意していた東條は、ただ静かに見守っていた。


「彼女のためだと思っていたことも、彼女に相応しくない男だからと距離を置いていたのも、全部、俺の為の都合のいい言い訳だったんだよ……! 近づくのが怖いから、逃げて逃げて……逃げてばかりだった……だから―――」


 それでも真っ直ぐな目で見てくれる東條に、雨宮は涙を袖で拭って、視線を合わせる。


(今から、自分のすることが正しいことじゃないかもしれない。この場で生まれた一時的な信念かもしれない……でも、それでいいんだ。キッカケがどんなことでも……)


 雨宮は息を大きく吸ってから、はっきりと告げた。


「俺はもう、逃げない」


 道の先で待ち受ける『想い』を受け止められるよう、真っ直ぐ歩んでいきたい。


 ―――俺はお前の相棒であり、専属の魔法使いレイン! お前の方こそ、助けが必要ならいつでも呼び出してくれ! どんなことがあろうと、必ず駆けつけてやる!


 かつてオフ会でした宣言を、有言実行したい。



 迷いのない眼差しを向けられた東條は、一瞬だけ悲しそうにしながらも嬉しそうに唇を綻ばせた。

 彼女の知っている雨宮孝明がもう、そこにはいないからだ。


「そっか、二人の関係は認めてないけど。ま、幼馴染として助け舟ぐらい出してあげないとね」


「……ありがとう千歌」


「なによ、別に無償で相談に乗ったつもりはないから。今度、パフェを奢りなさいよ、高いやつ……」


 東條の照れくさそうな言い方に、雨宮は笑う。

 彼女と大きな喧嘩をしてしまったが、だからといって彼女を嫌いになったつもりはない。

 今まで、自分にしてくれた事に感謝をしている。


「それじゃ、俺もう行くよ」


 雨宮はそう言って部屋を出ようとする。


「……待ちなさい」


 東條に呼び止められてしまう。

 振り返ると、腕と足を組んでベッドに座っている幼馴染の姿があった。


 薄く口角を上げる彼女の表情には、微かな切なさを感じる。


 こうやって彼女の部屋に上がるのも、ベッドに座る彼女の姿を見るのも、これで最後になるかもしれない。


 せめて、最後ぐらいは耳を傾けよう。




「―――成長したわね」

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