第20話 お姫様抱っこ……?


 事件から、1週間が経過した。

 東條が家に来たり、学校で話しかけたりすることがなくなった。


 自分の言ったことが正しかったのか、どうすればよかったのか、まだ未熟な雨宮には分からなかった。

 それでも進むしかなかった、新しい日常に。



 雨宮はアラームが鳴る前に目を覚まして、ベッドから起き上がる。

 登校までまだ2時間もあるので、朝の運動をするために学校のジャージに着替えた。


 妹の杏奈はまだ寝ているので起きないように静かに家を出て、近くにある公園へと向かう。

 かなり広い公園なので、朝から年配の人で賑わっていた。


 雨宮は熊谷から教えてもらったストレッチ方法で入念に体を柔らかくしてから、ジョギングを開始する。

 朝から運動をするようになってからまだ5日目しか経ってないので、年配の人たちに追い越されてしまうほど雨宮には体力がなかった。

 

「まだ若ぇんだから、頑張りなっ!」


「は……はいっ」


 後ろから追いついてきた筋肉質な老人に肩を叩かれ励まされ、雨宮は虚しくなる。

 案の定、公園の隅っこで、雨宮は持ってきたコンビニの袋に吐いてしまう。

 まだ何も食べていないので胃液しか出なかった。





「ただいまー、疲れたよ」


「あ、おかえり〜アンドお疲れさまですっ」


 帰宅するとパジャマ姿の杏奈がリビングでニュースを観ながら歯を磨いていた。

 登校まであと40分、当番なので雨宮は急いで二人分の朝食を作る。ちょっと焦げてしまったウィンナー、卵焼き、食パンを食卓に並べて杏奈と食事を始めた。


「毎朝、運動しに行くんでしょ? だったら、これから杏奈が朝ご飯を作るよ。大変そうだしさ」


「平気平気。こうでもしないと、またダラけそうだし、俺も最近ご飯を作るのにハマってきてさ。ネットで調べると色々なアレンジが出てきて、あれもこれも試したくなってくるんだよな〜」


「ふーん、そう」


「ん? どうした?」


 ニヤニヤする杏奈。

 意味がわからず、雨宮は咀嚼していた口の中身を飲み込んでから、尋ねる。


「やっぱお兄ちゃん変わったよね。自分磨きを始めるって言い出したときはビックリしたけど、順調そうで良かったなーって、思っただけ」


「え、そ、そうかな……」


 熊谷からアドバイスを得ながら、本格的に自分磨きを始めるようになったのが最近なので、そこまでの変化には期待していなかったが、客観的に見たら自分でも気付かないうちに変わっている部分があるのかもしれない。


「このままカッコよくなったら、カリーナさんと付き合えるかもね」


 何気なく言った杏奈に、雨宮は飲んでいたお茶を吹き出した。


「俺とカリーナが? ありえない、ありえない。俺と彼女は、ただのゲーム友達で付き合うなんて……」


「入部試験を受かるためだからって、お兄ちゃんの部屋で毎日ぴーぶいぴー?の特訓とか、普通しないから。あれはね……」


 悪戯っぽい笑みを浮かべて、杏奈は雨宮に耳打ちする。


「お兄ちゃんに脈ありだよ」





 学校の正門に着くまでの間、雨宮はボーッとしていた。

 杏奈の言った「脈あり」という言葉が頭から離れなかったからだ。


 雨宮の方は、周りにいる男子と同様にカリーナに好意を持っていたことがあるが、彼女の方が自分のことを好きになる?

 考えたことがなかった、いや考えられないの間違いか。


(杏奈のやつ、どうすればそういう発想になるのか……からかうにしても心臓に悪い)


 下駄箱で上履きに履き替えながら考えていると、突然誰かに肩をちょんちょんと突かれた。

 振り返ると、ぷにっと指が頬に当たる。


「おはよう孝明くん……ウトウト……」


 そこには、銀髪の美少女カリーナがいた。

 挨拶をされたので返そうとしたが、目を細めて疲れ切った様子の彼女を見て、雨宮は心配そうな顔をする。


「だ、大丈夫かカリーナ? 今にでも倒れそうなんだけど……」


「家に帰ったとき朝になるまでPVPの練習をしてたの……今日こそ勝って、ゲーム研究部に入部するために……ふふ……」


 徹夜して、一人で特訓していたのか。

 それで眠たそうにしているのか。勝つためとはいえ、そのせいで体を壊しては本末転倒だ。


「そうなんだ、でも。ほどほどにしないとダメ……だよ」


 前までの生活習慣を振り返ると人のことが言えない雨宮はたどたどしく注意する。

 カリーナはウトウトしながらも頷いてくれた。


「孝明くんが言うなら……仕方にゃい……」


 ダメだこれ、このままでは本当に倒れそうだ。

 どうやってこれで学校まで通学できたのか疑問に思いながらカリーナの傍まで近づくと、彼女は

 パッと両腕を広げた。


「……ん」


「何?」


 訳が分からず雨宮は尋ねると、カリーナは眠たそうに返した。


「このままじゃ廊下で眠っちゃうかもしれないから、教室まで運んでくれたら嬉しい……」


 頭が真っ白になった。

 まだ登校時間なので周りに大勢の生徒がいて、カリーナの存在に気付いて既に注目している者もチラホラいる。

 なのに、この子は運んでほしいと言っているのか? 恋人でもない相手に?


 いくら友達だからといって二人は異性だ。

 そんな簡単にスキンシップをしていいのか、それとも彼女の出身地では当たり前のことなのか?


「冗談だったり、しないよね?」


 杏奈と同じように自分をからかっているんじゃないかという可能性に賭けるが。


「ふふ、おかしいことを言うね孝明くん。私は本音でしか言わないよ?」


 そうだった、と結局追い詰められる雨宮。

 とくに断る理由が見当たらないしカリーナを置いていったら、本当に廊下で寝てしまいそうだ。


 周囲に向けられる視線を気にしながら、雨宮は腕をまだ広げているカリーナの身体に触れる。

 見た目通り、細くて華奢。自分なんかがお触りになっていいのかという罪悪感に苛まれながら、雨宮は軽々と彼女の身体を抱き上げた。


「ひゃっ……!」


 自分で運べと言っておきながら変な声を出すカリーナ。

 もう、引き返せそうにないので、彼女を持ち運びやすい態勢に抱き直してから、教室に向かって雨宮は発進した。


「大丈夫? 苦しくない?」


「むっ……平気だよ」


 雨宮が聞くと、カリーナは腑に落ちないような返事をした。

 まだ眠いのかもと思いながら、周り生徒からの痛い視線から逃れるため、雨宮は先を急いだ。


(恋人じゃないのに、これじゃ完全にカップルだろ……!)


(もっと恋人っぽく、お姫様抱っこで抱きかかえられたかったんだけどな……)


 雨宮は恥ずかしそうに、カリーナを”おんぶ”して廊下を早歩きしていた。

『怪我したカリーナさんを運んであげてる優しい雨宮くん』と一部の生徒から予期せぬ評価を受けるのだったが、もう一部からは殺意を向けられてしまう始末に。



 陰キャと呼ばれた少年、高嶺の花と呼ばれた少女。

 面白おかしいことをする二人を、缶ジュースを飲みながら微笑ましそうに見守る熊谷の姿があった。


(やっぱ、俺はお前のことが嫌いだよ雨宮……)


 かつての自分を見ているかのようで、熊谷は胸を痛めた。

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