第8話 教室の女王様
雨宮は、高咲凜花が苦手だ。
性格は典型的な女王様気取り、気に入った人には良い顔だが、嫌いな人はとことん見下す。
クラスでは目立たない雨宮も例外ではなく、カリーナに付きまとうキモい男だと考えていた。
「なぁ、迷惑だからカリーナに話しかけないでくれる? お前のせいでこの子のイメージが落ちたらどうするの? ね、分かる?」
一度も話したことがない相手を「お前」呼ばわりで、舐め腐った口調。
苦手な相手を前に、雨宮は口を開くことができなかった。
なにかを言って、その一言が高咲の逆鱗に触れてしまったら、これから先の学校生活がさらに最悪なものになってしまう可能性があるからだ。
この教室には、雨宮の味方はいない。
彼女がどんな残酷な一言であろうと、命じればクラスメイト全員が敵に回る。
イジメを受けることになるのだ。
それほどの力と地位が高咲にはあり、従わなければ今度はその矛先が自分に向けられる危険性があるため従うしかないのだ。
「ご、ごめん……」
「だったら早くどっかに行けっつーの。くだらないオタク趣味でしかコミュニケーションとれねぇ奴はこれだから困るんだよ。協調性に欠けてて空気も読めねーし、マジで消えろ的な?」
「ハハハ! 言えてるわ凛ちゃん!」
「高咲さん容赦なさすぎっしょ! かわいそー!」
弁当を手に取って立ち上がった雨宮を、高咲と取り巻きらは寄って集って笑いものにする。
それでも雨宮は我慢した、これはまだマシな方だと必死に言い聞かせた。
高咲が本気を出せば、この程度では済まされない。
(笑われて当然の奴が、笑われて終わるだけ。それでいい……)
「カリーナは
高咲の刺々しい言葉を受けた雨宮は机から離れようとしたが、ずっと隣で静かにしていたカリーナに腕を掴まれ引き止められる。
「くだらない……本当にくだらないよね」
感情がこれっぽっちも籠もっていない、どこまでも冷たい声でカリーナは言い放った。
高咲は、雨宮のいじりに肯定してくれたと思い、さらに追い討ちをかけようとしたが。
「凛花ちゃんの空気の読めなさ、動物みたいに相容れない人を寄って集って攻撃するところ。くだらなさすぎて見ているだけでも恥ずかしいから、もう辞めたら?」
だが、カリーナが味方をしたのは高咲ではなく雨宮の方だった。
予想していた展開ではなかったのか、高咲は呆気にとられる。
「なっ……」
「てか孝明くんに声をかけたの私の方だし、私が誰と仲良くしてようと凜花ちゃんに関係なくない?」
カリーナは余裕のある表情を崩さないまま、正論を突きつけた。
しかし、そんな正論は階級主義の高咲には響かない。
「大アリに決まってるっしょ。だって、あのカリーナがぼっちと飯とかありえないじゃん? どう考えても私たちと一緒に食べた方がメリットがあるだろ?」
「どうして?」
カリーナは本当に理解できないのか、頭をかしげた。
「だって、私達ってイケてるから。つまらないゲームの話しなんかしねーし、かっこいい友達も知り合いもたくさんいる。将来のことを考えるなら、こっち側に付き合うのが妥当じゃん?」
「あのさ、それが凜花ちゃんのやり方なら否定しないよ。他人から認められたい承認欲求、全然アリだと思うよ。凜花ちゃんがそうしたいなら勝手にすればいい、だけど自分の価値観を他の人に押し付けるのは論外。凜花ちゃんは片っ端から人気者を周りに置いておきたい、私は孝明くんとお喋りがしたい。それで済む話しなのに、当人の意見に耳を傾けないでいちいち突っかかってくるの、はっきり言ってウザいよ」
冷徹な魔女のような視線を向けられ、高咲は後ずさりした。
カリーナの口から初めて「ウザい」と告げられ、それは高咲の化けの皮を剥がすのに十分すぎる威力だった。
「……調子に乗って上からもの言ってんじゃねぞカリーナ。誰のおかげで今までイジメられずに高校生活を送れてると思ってんだよ? んな顔じゃなかったら、ただの底辺陰キャの根暗のくせに! いつもつまらなさそうな顔でつまらなさそうな返事をして!」
「だって凜花ちゃんのお話、ぜーんぶつまらないもん」
「このっ!」
「あ、凛ちゃんストップ! 抑えて抑えて!」
「そうそう、こんな子の言うことなんか聞かなくたって全然いいんだよ!」
明らかに手を出そとした高咲だったが、取り巻きらが制止した。
いつもの媚びた喋りかたで宥めている。
永瀬カリーナ、正直で命知らず過ぎて、傍で見ていた雨宮は冷や汗をかいていた。
あの高咲をここまで怒らせておきながら、これから身に降りかかるかもしれない不幸をまるで恐れる様子がない。
「ちっ、シラけたわ。いくぞ、お前ら……」
宥められたことで少し落ち着いたのか、高咲はまだ何かを言いたげな表情をしながらもカリーナに背中を向けた。
諦めてくれたらしい、よかったと一件落着のはずが。
「待って、一点だけ訂正してくれないと気がすまないんだけど」
カリーナは高咲を呼び止めてしまった。
雨宮は涙目になりそうになり、その近くで静かにジュースを飲んでいた熊谷が口笛を吹く。
いつの間にか熊谷が観戦していたのだ。
「ああ? なんだよ?」
「ゲームはくだらなくなんかない。人を楽しませたり、寂しくさせたり、努力させたり……巡り合わせたりする人類史上最高のツールなんだよ」
巡り合わせ、という言葉で雨宮はハッと息をのむ。
もしもオフ会がなければ永遠にドラゴンヘッドの正体がカリーナだと知ることができなかった。
もしも『アルカディアファンタジー』を遊んでいなかったら、ドラゴンヘッドと巡り合うことはなく暗い部屋で一人過ごし続けていたかもしれない。
「だから私は、これからも孝明くんといっぱいゲームのお話をするから。したい、だけど彼がそれを嫌がってるなら、しない。孝明くんはどうなの?」
「あっえっ……ええと、したいです」
急に話しを振られて戸惑う雨宮だったが、正直に答えてみせた。
自分は永瀬カリーナと、いっぱいゲームの話がしたい。
相棒だから。
「だから、さっき言ったことを訂正してよ。凜花ちゃん」
カリーナの確固たる意志を感じ取れる、迫力のある言葉だった。
それを向けられた高咲は、果たして訂正してくれるのか、見守っていると。
「ちっ、しょーもな……」
訂正したり反論はせず、教室の外へと出ていってしまった。
一部始終を見ていたクラスメイトたちは呆然としていたが、近くでジュースを飲み干していた熊谷は「ブラボー」と言いながら拍手する。
それにつられて、教室のそこら中から拍手が巻き起こった。
カリーナの勇気ある行動に、誰もが胸打たれたのだ。
雨宮もそうだった。
なにも言い返せず、静観していた自分をカリーナは庇ってくれたのだ。
「まったく、頭が堅いからね凜花ちゃんは。ごめんね孝明くん、私のせいで……」
「いや、そんなことない。むしろカリーナが言ってくれたから、こうやって俺は助かっているんだけど……」
と、まるで成りたてのカップルのように二人がイチャイチャし始めたので拍手は止み、いつものガヤガヤとした教室に戻る。
雨宮はクラスメイトたちの切り替えの早さに驚きながら、自分の席に座った。
そして、その隣を誰にも渡さまいと急いで座るカリーナ。
ふわりと女子のいい匂いがして、改めて雨宮はこの状況に緊張してしまう。
自分があの永瀬カリーナと一緒にご飯を食べることが、あまりにも現実味がなかったからだ。
だが、ここはゲームではなく現実の世界。
現実における人生とは常にハードモードで、どのように進んで、どのように終わるのか誰にも分からない。
これも含めて、雨宮孝明の人生は予期しない方向へと動き始めたのだ。
そんな二人を、下唇を噛み締めながら疎ましく見つめる東條がいた。
(なんで……なんでこんなことに……)
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