第6話 拗ねるカリーナさん


 雨宮は朝から晩まで家でニヤニヤしていたことを妹に指摘された。

 苦笑いを直せとは言ったが「もっと気持ち悪くしろ」とは言っていないらしい。


 そのつもりはなかった雨宮だが、指摘されてショックを受けた。

 できるだけ自重しようと心がけたものの、先日のオフ会の出来事が頭をよぎり、どうしても唇が緩んでしまう。


(あれは夢じゃない、本当にカリーナさんなんだ)


 恋する乙女のようで、胸がドキドキして眠れなかった。

 東條にフラれたことで二度と立ち直れないと絶望していたのに、こんな穏やかな気持ちになれたのは紛れもなくカリーナのおかげだ。


「ごちそうさまでした」


「お兄ちゃん食べるの早っ!?」


「いやぁー、早く登校したいからさ。皿を洗い終えたらすぐ出るから、戸締まりよろしくな、杏奈」


 そう言いながら、雨宮は自分の分の食器を洗い終える。

 まだ鮭を半分も食べてない杏奈は、何かを察したのか、頬杖をついて笑う。


「そっかー、なるほどねー。あの根暗なお兄ちゃんに、ついに春が訪れたのかー」


 居間から出ようとした雨宮は足を止め、食卓でニヤけている杏奈に振り返る。

 なんて察しが良い妹なのか。


 東條の前では可愛らしい妹ムーブをしていたが、いつの間にか人の心を読むエスパーに成長していたとは。

 将来はメンタリストにでもなるのかと、浮かれた頭で考えながら、雨宮は一言告げた。


「行儀悪いから、テーブルに肘をつけるな」


「ハーイ、了解デース」


 適当に答える杏奈に笑いかけ、雨宮は玄関へ向かった。


 浮かれて日曜日に買った新品のスニーカーを履き、姿見でセットした髪を確認する。

 動画や雑誌で紹介されているやり方を見よう見まねでやってみただけなので、仕上がりは三流以下だ。


 でも、そのうち慣れるだろう。物事をできるだけポジティブに考えながら、玄関の扉を開けた。


「……?」


 外に出た瞬間、見覚えのある女の子の後ろ姿が目に入った。

 こちらに気づくなり慌てて逃げ出してまったが、雨宮がよく知る背中だった。


 東條千歌。

 当分来ないと言っていたのに、なぜ家の前にいたのか。

 もしかしてと思い、雨宮は郵便受けを確認する。


 光熱費、携帯代、そしてピンク色の手紙。

 東條が投函したのだろう。


『そろそろ反省したかしら?』


 一言だけ、そう書かれていた。


 仁王立ちで偉そうに見下してくる東條の姿が、簡単に想像できる。

 努力しなかった自分にも非はあるし、フラれて当然の男だ。


 だが、ここまで一方的に責められることに納得できず、雨宮は手紙を破いて自宅のゴミ箱に捨てた。


(ポイ捨てだけはするなよ、皆の衆)




 通学中に、雨宮は恒例のように頭を悩ませていた。

 学校が始まったことで、ようやく実感が湧いてきたのだ。


(学校でカリーナと、どう話せばいいんだ?)


 学校でのカリーナは無口でドライな性格で有名だが、陽キャっぽい話題をしているのを前の席で何度か盗み聞きしたことがある。


 某ブランドの新商品がどうとか、芸能人のスキャンダルがどうとか、アイドルグループの〇〇君がどうのこうの。

 どれも雨宮の疎い話題ばかりだ。


 テレビは契約しているアニメチャンネルしか観ておらず、地上波なんて論外である。


 カリーナと会話できたとしても、ゲームの話をするのは言語道断。

 ゲームが雨宮のような控えめな日本男児だけの趣味とは言わないが、一般的にはファンタジーRPGネトゲはオタクのものとされている。


 そういうジャンルが好きな陽キャも一定数いるだろうが、わざわざ話題に挙げる人は少ない。

 大ヒットタイトルでも、知り合い全員が遊んでいるとは限らないからだ。


 特定の人にしか分からない話題だと、ついていけない人が出てしまう。

 それなら最近のトレンドを話したほうが白けるリスクを避けられるし、共通の話題で盛り上がったほうが楽しい。


(彼女がそういう人間だと思われたらイメージが偏るだろうし、迷惑かけたくない)


 連絡先を交換したからといって、「ぼくたち大親友ですよ!」は早とちりだ。

 修学旅行で組んだグループと流れで仲良くなったのに、次の日には他人に戻るパターンもあり得る。


 油断すれば本末転倒。ここは慎重に行動しなければならない。

 自分だけ舞い上がって東條に告白した、あの日のようにならないためにも。




 先週、幼馴染にフラれたりフレンドがカリーナだったりと、普通に過ごせばありえない展開を経験してきた雨宮だが、教室は相変わらずだ。


 ホームルーム前にグループで集まって雑談したり勉強したり、いつもの日常が広がっている。


(……千歌)


 プリントを教卓に置く東條と一瞬目が合ってしまうが、お互い気まずそうにそらす。

 郵便受けの手紙に気づいていないふりをしておこう。


 気づいていたとしても、彼女にどう声をかければいいのか分からない。

 謝ったとしても今までの関係に戻れる気がしないし、いっそ他人として過ごしたほうが楽かもしれない。


 雨宮は憂鬱な気分で窓際の席に向かった。

 前方の熊谷はいなくて、後方にはヘッドホンで音楽を聴くカリーナがいる。


 顔を窓のほうに向いているので、こちらに気づいていないようだ。


「あ、おはよー」

「……」


 雨宮は挨拶してみたが、彼の声がボソボソしているから聞こえていないのか、カリーナは無反応のまま外の景色を眺め続けていた。


 近くでおしゃべりしていたカリーナの仲良しグループが、「なんであの陰キャがカリーナちゃんに挨拶してるの?」と明らかに侮蔑するような目で雨宮を見ていた。


 恥ずかしくなった雨宮は、何事もなかったように着席した。

 鞄に顔をうずめて、先ほどの行動を後悔する。


(やっぱり俺はダメだ。こんな底辺がクラスで大人気のカリーナに話しかけるなんて間違っていたんだ……底辺は底辺らしく湿った土に埋まって、いないふりしてた方がいいんだ)


 涙を浮かべて泣きそうになったとき、背中を指でつつかれる感覚がした。

 ゆっくり振り返ると、机から身を乗り出し、拗ねるように頬を膨らませたカリーナがいた。


「いたんだね、孝明くん。もしかして声かけてくれてた? ダメじゃない、肩叩いたりさすったりしてくれないと。私、こう見えて天然な一面があるから、気づかないことのほうが多いの。次は積極的に、遠慮なく声かけてよね。私もそうするからさ」


「……」


 普通に話しかけてきたことに、雨宮は硬直してしまった。

 彼だけじゃない。クラスメイト全員が黙り込み、教室が静寂に包まれた。


 それもそのはず。いつも塩対応で物静かな永瀬カリーナが、自分から誰かに話しかけたのだ。

 しかも饒舌で、普段より甘ったるく、友達のような口調で。


「返事は?」

「はい、カリーナさん」


 呆気に取られて返事をすると、カリーナは雨宮の額にデコピンを食らわせた。

 喋り方がお気に召さなかったらしい。


「敬語になってるよ、呼び捨てプリーズ」

「う、うん。カリーナ……?」

「ふふん、よくできました。そういえばさ、昨晩疲れたよねー。いっぱい汗かいちゃったよ」


 教室で繰り広げられる冴えない男と美少女の青春劇。

 そして何も知らない第三者からすると意味深に聞こえてしまうやり取りだ。


 静まり返っていた教室が、徐々に騒然とし始める。

 雨宮はその空気のせいで、素直に照れることもできなかった。


 クラスメイトからの視線が痛い。

 特に教室の反対側からヘビのよう に睨みつけてくる東條の目が、恐ろしかった。




「どしたの、皆?」


 ジュースを飲みながら戻ってきた熊谷が、教室の重々しい空気を察して疑問を口にする。

 だが、今はそれどころじゃないのか、答える者はいなかった。


 

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