第5話 ハートマーク
遡ること2ヶ月前、クラス替えしたばかりの頃である。
ゲーム大好きなコミュ障の雨宮は、1週間ほぼ全男子から敵対視されるという嫌な思い出を持っていた。
校内全男子の付き合いたいNo.1女子、永瀬カリーナの前の席を獲得したからである。
イジメはなかったものの、雨宮に土下座したり多額の金で席替えを求める男子が、後を絶たなかったらしい。
ちなみに雨宮がそれを承諾しようと担任が許さなかったので、すぐに事態は収まったとのことだ。
雨宮はそれほど期待していなかった。
陰キャの自分が、カリーナと接点を持つなんて夢のまた夢。
彼女に告白して玉砕していくイケメン達を何十人も見てきたので尚更、自分にチャンスがあるとは思えない。
「カリーナ! 君のことが好きだ! 俺と付き合ってくれ!」
「ごめん、無理です」
「カリーナちゃん、僕は君に恋をしている! 結婚を前提に、この僕と……!」
「重いからパス、曲聴いてるから静かにして」
「カリーナたん、ワイと……!」
「誰……?」
それだけではない、カリーナは何を考えているのか分からない人で有名だ。
休み時間中は一人で過ごすことが多いし、基本無口。
友人に話しかけられても受け答えは適当で、一言で済ませることが多い。
端的に素っ気ないのだ。
「君たちと話すぐらいなら音楽を聴かせて」みたいなドライな態度で会話を切って、愛用のヘッドホンで曲を聴きながら、一人の世界に浸るのだ。
友人たちは慣れた様子でカリーナの態度を受け入れていたが、彼女のことをあまり知らない雨宮からすると「冷たっ!?」という印象だった。
つまり、自分のような取るに足らない存在が話しかけても相手にされない可能性が高い。
無視でもされたら、心が硝子並みに脆い雨宮は高校卒業まで引きずっていくことになるのがオチだ。
モブに徹していくしかないのだ。
カリーナの前の席に座っている顔も描かれないモブ。
「あっ……」
入る委員会を決めるための用紙とにらめっこしていた雨宮は、足元に転がってきたシャーペンに気づき、身を屈めた。少しだけホコリが付いてしまったのでハンカチでシャーペンの表面を拭いてあげてから、持ち主を探す。
とんとん。
後ろから優しく叩かれているのを感じて振り返ると、普段から無表情ばかりいるカリーナが雨宮に対して、申し訳なさそうな顔で手を合わせていた。
「それ私のシャーペン。拾ってくれてありがとね」
「あ、いえ、ど、どういたしまして……」
穏やかに笑いかけてきたカリーナに雨宮は照れながらシャーペンを手渡しで返す。
指が少しだけ触れたのを感じてビクっと手が震えてしまったが、カリーナの方は当たり前だが無反応である。
雨宮と違って、この程度で意識しないのは、なんというか彼女らしい。
「ね、君。名前なんだっけ……?」
「あ、お、俺? 雨宮だけど……」
「下は?」
「た、孝明と、申します……」
照れすぎて舌が回らないことに、雨宮はさらに恥ずかしさを覚えたが。
「雨宮くんね、覚えとくよ」
覚えとくと、カリーナは言った。
それが最初の、雨宮が彼女と交わした会話だった。
遠くの席で睨みつけてくる東條に気づいて雨宮は返事をしなかったが、この席で本当に良かったと、何よりも思えた瞬間だった。
だけど、それっきり一度も会話をしていない。
シャーペンを拾ったからと言って、友達になれるわけではない。
雨宮は前の席で寝たフリをして、カリーナは後ろの席で窓の外を眺めながら曲を聴く。
お互い、決して交わることのない静かな高校生活を送る、ただの他人同士。
それっきりだと、雨宮は思っていた。
「いやー、あの時のモンスターすっごく大きくてビックリしちゃったけど、レインさ……じゃなく雨宮くんが助太刀してくれていなかったら食べられちゃうところだったよ」
「あ……うん、そだね」
「レベ上げはいつもの迷宮を周回しているけど、たまーに隠れモンスターが発生するから止めてほしいよね。得られる経験値少ないのに無駄に強くて。周回のモチベが削がれちゃうから、早く運営に改善されないかなー」
「俺も、そう思います……」
「そういえば、こないだ私があげたアクセサリーまだ装備してる? オークションに出すと高値で落札されるって最近話題になってるらしいよ」
「そ、そうなんだ。でもドラゴンヘッド……じゃなくカリーナさんから、せっかく頂いた物だし、そのまま装備しておきますよ……」
めっちゃお喋りな子なんだが。
後ろの席でいつも静かに過ごしていたのに、今まで見たことがないぐらいマシンガントークをしている。
「ふふ、嬉しいこと言うね。まさかクラスメイトの雨宮くんが、あのレインさんだったなんて。世界って広くみえて、実際はもっと狭いかもしれないね」
「そうかな、俺も……まさかカリーナさんがドラゴンヘッドさんだなんて、思ってもいなかったですよ……」
白い歯をみせて笑う中年おっさんアバターのドラゴンヘッドの姿が脳裏によぎる。
今でもこの状況になったことが信じられず、雨宮は疑心暗鬼だった。
「ね、雨宮くん。私のことは”さん”付けしなくていいよ? 気軽にカリーナって呼んで」
「えっ……でも失礼じゃない? だって友達でもないのに……」
雨宮がそう言うと、カリーナはマグカップを置いてムスッとした表情を浮かべた。
「失礼だね君、相棒なのに他人行儀とは。私の知るレインさんなら『カリーナか、いい名だ。喜んで、そう呼ばせてもらおう!』って言ってくれるのにな」
「ゲームの俺って、そんな積極的なキャラだっけ?」
「あと雨宮くん時々、敬語になっているけど、それも無し。私たち、これでも同い年のクラスメイト。遠慮することは、何にもないよ?」
「う、うん……分かった」
カリーナは不満そうに頬をぷくっと膨らませた。
その可愛らしい仕草に、雨宮は12.7mmの弾丸を受けたような衝撃を感じたが、顔に出さないように耐えながら頷いてみせる。
「そ、う、い、え、ば、孝明くんさ」
ジトーと見つめられる。
まるで妹の杏奈のように、鋭い眼光でだ。
というかナチュラルに下の名前で呼ばれたことに、雨宮は吹き出しそうになる。
「こないだ、
相談に乗ってやったのだから報告しろということか。
ゲーム内で報告済みのはずだが、もっと詳しく話せという意味なのかもしれない。
雨宮は喉を鳴らしながら、声がボソボソしないように一部始終を語る。
幼馴染の東條との関係、自分の気持ち、そして告白が失敗したことも全部。
「ふーん、あの東條さんとね。勿体ないことする人だね、孝明くんを振るだなんて、私なら絶対に断らないのになー」
「え、それって……」
「ふふ、なんでもないよ」
意味深な発言をするせいで、雨宮は耳元が熱くなるのを感じた。
コミュ障陰キャの自分には永遠に有り得ないと諦めていたシュチュエーションを満喫している。
近くの席に座っている他の客も同じことを思っているのか「なんでお前のような奴が」みたいな視線を向けてくる。
「孝明くんは慰められたいの?」
カリーナが唐突に聞いてきた。
「ま、まあ。あの日ことを考えると、気持ち悪くなってゾワゾワしてくるんだ。トラウマってやつかな、そう簡単に立ち直れる気がしなくてさ。大切なピースが欠けたような喪失感が、胸に穴がポッカリ空いたような感覚がさ、ずっと……」
「孝明は頑張ったよ、よしよし」
手を伸ばして、頭を撫でてくるカリーナ。
店内で、周りの客が見ているのに、どこまでもマイペースな人だ。
雨宮は恥ずかしそうに頬を赤らめるが、こんな可愛い子に触れられて嫌な男子はいないので、素直に受け入れる。
気のせいか、あの日の恐怖心が和らいできたような気がした。
「ごめん……」
「こらっ、こういう時は”ありがとう”だよ。謝られるために慰めているんじゃないよ?」
「あ、ありがとう。カリーナ」
「ふふ、どういたしまして」
今まで一度しか短い会話をしたことがない相手なのに、まるで恋人同士のデートだ。
彼女はそのつもりがないのかもしれないが、意識せずにはいられない雨宮だった。
その後、またもやゲームの話題で盛り上がって、気づけば夕方になっていた。
会計をすませて店を出ると、ずっと座っていたので伸びをするカリーナ。
可愛い、天使だ。
「それじゃ、このまま解散でいいのかな」
「そうだね。もっとお話したかったけど、今まで通りゲームでチャットできるし、これからは学校でお喋りができるしねっ」
彼女はウィンクをして、嬉しそうに言った。
そうか、お互いの正体を知ることができて、もう他人じゃないもんな。
まだ曖昧な関係かもしれないが、できるなら現実でも彼女と親しい関係になりたいと雨宮は思った。
「あ、そうだ。せっかくだし、連絡先を交換しようよ。ほら、携帯出して」
カリーナの言う通り携帯を取り出すと、待ってましたと言わんばかりに手から抜き取られ、諸々登録を済ませられる。
返された携帯に入っているあらゆるメッセージアプリに彼女の連絡先が載っていた。
『相棒カリーナ』と。
「これから、よろしくね孝明くん。困ったことがあれば、相棒の私がいつでも慰めてあげるから。ゲーム内でも、現実でもね」
最後の部分を強調され、あらぬことを思い浮かべてしまう雨宮だったが、最後までカリーナの知る自分になれなかったことを思い出し、一旦咳払いする。
「誰に言っていると思っているんだ? 俺はお前の相棒であり、専属の魔法使いレイン! お前の方こそ、助けが必要ならいつでも呼び出してくれ。どんなことがあろうと、必ず駆けつけてやる!」
全身で表現する癖のせいで、ポーズまでしてしまった雨宮。
道を行ったり来たりしている通行人がカリーナの可愛さに注目していたのだが、雨宮のあまりの情けない姿と恥ずかしい台詞に、笑いだす人が続出する。
だけどカリーナは笑っていなかった。
目を大きく見開いて、頬を紅潮させていたのだ。
「またね、相棒っ」
そう言ってカリーナは上機嫌にスキップしながら駅に向かって行ってしまった。
雨宮は小さく手を振り、聞こえるか聞こえないかぐらいの声で「また」と返事する。
携帯の連絡先リストのトップに表示されている彼女の名前を目にして、すべてが現実であると確証を持つことができた雨宮は、久々に笑顔を浮かべながら帰路につくのだった。
駅のホームで電車を待つカリーナは連絡先に『孝明くん』と表示された画面を物足りなさそうに見つめ、少し考えたあとに最後の部分にハートマークを付け足す。
満足して携帯をしまうと、バッグから愛用のヘッドホンを取り出して装着。いつものお気に入りの曲を聴きながら、電車に乗り込むのだった。
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