第二章 希望の石

第5話 トリアージ

 データセンターから戻って来た田中君は、昨夜から徹夜で寝不足な上、向こうで号泣して疲れ切っているはずなのに、データ復旧プログラムを完成させると言って、端末にへばり付いていた。しかし、さすがに夜番からの連勤が十五時間では、続けさせるわけにはいかない。まだまだ戦いは長くなるので、ここで体力を消耗して倒れたら、直せるシステムも直せなくなるから帰って寝ろと説得し、なんとか引き揚げさせた。

 代わりに、経理システムで使っている統合会計ERPパッケージのエキスパート資格を持っている大河内さんが出勤して来たので、経理システムの復旧手順を検討してもらうことにした。


 我々リーダーは、今後の復旧計画の検討をするために飯田部長に呼ばれて、大会議室に入っている。

「いつウイルスが仕掛けられたかわからないので、どこまで遡れば安全か判断ができません。基本的にシステムはゼロから再構築するしかないと判断します」

 吉岡主任の言葉に、他のチームリーダーは顔をしかめた。

「最近取ったバックアップはそうかもしれないけど、さすがにサービスインした時の初期導入イメージは安全なんじゃないか?」

「あまり考えたくはありませんが、初期構築メンバーに紛れていた誰かが秘密の出入口バックドアを仕込んでいた可能性も、ゼロとは言えません」

「そこまで疑うか?」

「いや、それだと、開発したプログラムのソースを、全部見直さないといけなくなるんじゃないか?」

 一斉に戸惑う発言が広がる。それはそうだ。何千本もあるソースプログラムを全部見直しなんて、現実的に不可能だ。


「吉岡さんの心配もわかるけど、さすがにそこまで心配するのはやりすぎだろう。ここ一年以内に稼働したばかりのシステムは、オブジェクトが感染しているおそれがあるから初期導入イメージは使わないとしても、それ以前に導入しているイメージは使おう。それと、ここ一年以内に開発したシステムは、二人でソースコードをチェックするペアレビューをやってるから、バックドアをソースに仕込んでいる可能性は限りなく低いと思う」

 難波課長が現実的な仲裁案を出すと、酒井課長もうなずいた。こういうリスクは、どこまで心配するのが正解なのか、匙加減が全然わからない。

「まっさらのシステムを再構築したとして、データはどうやって戻そうか?」


「あのー、難波さん。とりあえず被害を防ぐところまでは、緊急だから自分たちでやりましたけど、これからどうやって復旧するかとか、犯人がどこから攻撃してきて、どう対処すべきかとか、そういったことは外部の専門家の助言をもらった方がいいんじゃないすかね?」

 開発グループの安寺課長がオズオズとした声で発言した。

「自分ら、そこまでセキュリティの専門じゃないですし、下手に中途半端なことして、さっき誰かが言ってたみたいに、またぶり返したりしたら困るし」

 ちらっと、セキュリティセンターの吉岡主任の顔を見る。一応、社内ではセキュリティの専門ということになっているし、メンツを潰すわけにもいかないという配慮だろう。

 吉岡主任は、厳しい表情のまま答えた。

「警察庁のオンライン窓口には、すでにサイバー事案に関する通報を提出済みです。外部のセキュリティ専門家にも、緊急で支援いただけないか問い合わせをしています」

「そうなんですね」

 安寺課長は、ほっとした表情になった。

 吉岡主任の発言を受けて、難波課長が話を続ける。

「外部の専門家には至急入ってもらうけど、どのシステムを優先的に復旧させるかという判断とか、具体的にどうやってデータを戻すかという方法は、自分たちで考えないといけないからな。まずは、そこから検討していこう」

「了解」


 対象となっているシステムと、それが止まることの影響をホワイトボードに書き出していき、緊急性が高く、すぐに復旧させる必要があるものと、代替手段があって時間稼ぎできるものを色分けしていく。

 バックアップを戻してデータを抜くための隔離環境も、無限に用意できるわけではない。だから、優先順位を付けて、先に手を付けるシステムと後回しにするシステムを決めないといけないのだ。

 そうして検討した結果を飯田部長に説明し、部長から経営幹部に説明して、対処する優先順位が決定した時には、午後三時になっていた。

 その間、難波課長と酒井課長の元には、広報や営業を始め、社内各部からひっきりなしに電話が掛かってきて、一瞬も休む暇はなさそうだった。


「経理システムと、受発注が最優先か。どっちもうちのグループだな」

 ホワイトボードに貼り出された優先順位リストを見ながら、大河内さんが口をへの字にする。大河内さんは、ERPパッケージのエキスパートなだけなく、いにしえからIT業界で開発の仕事をしてきた歴戦のつわもので、オペレーショングループどころか、IT部全体の重鎮だ。年齢は、もうすぐ定年だと言っていたから、私のお父さんの方が近いかもしれない。それが、何の因果か私のチームメンバーになっている。

 もしかすると、ピヨピヨひよこリーダーの私のお目付け役なのかもしれない。

「環境は優先してもらえても、手が足りないですかね?」

「ふむ。ERPの新規インストールはなんとかなっても、セットアップは熟練した人があと何人かいないと、時間がかかるばっかりだな。隔離環境に戻してデータを抜く方は、仕訳データや伝票の一括ダウンロード機能があるから、なんとかなると思うけど」

「そうだとすると、他のグループから手を借りるというより、協力会社さんからERPに詳しい人を雇った方がいいですか?」

 あれ、でも、協力会社に発注したくても、受発注システム止めちゃってるぞ? どうすればいいんだろう?

 会社の仕事って、システムが無いとなんにもできないじゃない。


「昔からの知り合いがやってる会社で、ERPに強い技術者を集めている所があるから、ちょっと声を掛けてみるよ。契約も、仮発注合意書LOIさえ出せば、なんとかしてくれるし」

「ありがとうございます!」

 やっぱり、こういう修羅場で役に立つのは、大河内さんみたいなサムライなんだな。

「受発注システムの方は、カスタム開発だからデータベースから直接抜くか。こっちはツールを開発することになるけど、事前に準備しとこうか?」

「あ、いえ、そっちは田中君がもう手を付けていて……」

 大河内さんは、ニヤッとした。

「ひとみちゃんか。うちの会社に来て最初に手がけたシステムだから、ことほかお気に入りだしな」

 五年前、田中君がソフトハウスから転職して来て最初にアサインされたのが、始まったばかりの受発注システムの開発案件だった。転職したてで、能力があることをアピールしようと焦ったのか、猛烈に働き過ぎて途中でダウンしてしまった。しかし一ヶ月ほど休養しただけで復帰し、サービスインまで開発の主力としてグイグイ周りを引っ張って行った姿は、鮮明に覚えている。

 それ以来、受発注システムの保守は、ずっと彼女が担当していた。

 データセンターで、抜線しながら号泣していた彼女は、きっと我が子を手にかけている気持ちだったに違いない。

「ひとみちゃんがやるってんなら、受発注は手を出しちゃダメだな。あっちは任せた」

「済みません」


「ちょっと、ちょっと。なに勝手に他人ひとのシステムの話してんの?」

 ホワイトボードを見ている私たちの後に、すっきりした顔の田中君が立っていた。




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