第3話 前哨戦
飯田部長の指示で方針が決まると、大会議室では、社内各部の責任者がリモートで参加する連絡会議が始まった。書籍・雑誌出版部、メディア部、デジタルコンテンツ部から、営業、経理、人事、総務と、全社の統括責任者が召集され、この事態の状況と対応策を説明し、承認を得ることになる。
我々
個別のシステムの電源遮断手順は、きちんと手順書になっていて通常でも使われているから、そのまま実行すればいい。けれど、イントラのシステム全体を一気に落とすとなると話が別だ。通常の手順でそれぞれが勝手にシステムを落としてしまうと、連携先の他のシステムがエラーを起こして、一層面倒なことになってしまう可能性がある。なので、各システムごとの手順書を見ながら、相互に連携するシステム同士の調整が必須になる。
ようやく、システム全体での稼働停止手順が確立した頃に、大会議室から飯田部長がやってきた。
「臨時取締役会の承認が得られた。電源遮断手順はできたか?」
「はい。できています。リモート端末の準備もオーケーです」
オペレーショングループリーダーの難波課長が答える。
「では、電源遮断を開始してくれ」
「よーし。手順書A-1から開始だ」
印刷した手順書を確認し、ホワイトボードに状況を逐一書き出しながらシステムの電源を落としていった。全データのバックアップを取っている時間は無いので、必要最低限のバックアップだけを取り、次々に灯が消えていくサーバーたち。
全てのシステムが停止した頃には、朝八時を過ぎていた。
「とりあえず、第一段はできたと。次は、システムの再構築手順だけど、どうするのが一番いいかな?」
椅子を前後逆にして座り、背もたれに胸をよりかからせている田中君は、両手の上にあごを乗せてうーんと唸った。
「いつランサムウェアが仕込まれていたかわからないと、うかつにバックアップからシステムを戻せないですよね。戻したところにタネが入ってたら、また乗っ取られちゃうし。一番安全なのは、
「それは、とんでもない手間がかかるし、そもそもできるかなあ」
「ですよねー。
理想はその通りだけど、現実にできるだけの体力が私たちにあるか。さらに、バックアップに入っているデータを、どこか安全な所で抜いて来て、それも移行しなければいけない。経理システムや受発注システムを、いつまで止めたまんまにしておけるんだろう?
「最新のデータを取り出すために、どこか隔離されたサーバーに一旦バックアップを戻して、そこからデータをダウンロードしないとですね」
「完全に外部から遮断して、データだけ抜けるかな?」
まるで、暴走している原子力発電所の中に突入して、大事な機材だけ持ってくるみたいなミッション。うちらで、本当にそんなことできるのかな?
田中君は、両手の上にあごを乗せたまま、ニコッと微笑んだ。
「受発注システムの方は、開発に入ってたし設計もわかってるから、事前にツールを用意しておいて、ウイルスが起動する前に一気にダウンロードするのはできると思う」
「そうだね」
「経理システムの方は、ERP屋さんが出てくれば、なんとかしてくれるでしょ」
田中君がニコニコしていると、なんだかこちらまで頬が緩んでくる。なんとも不思議な魔法使いのような子だ。
「うちのシステムにサイバーアタックかけて来るクソみたいな連中に、大事な本を出すのを邪魔されてるのは我慢ならないから、すぐにデータ復旧プログラムの設計を始めますね」
「あ、そろそろ他のメンバーが起きてくるから、田中君は引き継いで、もう家に帰って」
昨日の夜番からだから、そろそろ十二時間勤務になってしまう。
「はいはい。他の人が起きてくるまで、プログラムの準備だけ始めてますね」
田中君は、背もたれに前向きで寄りかかったまま、端末を叩き始めた。
十分ほど、無言でカチカチとキーボードを打つ音だけが響いていたが、やがて端末からピロンと澄んだベルの音がした。メールの新着音だ。
全社員向けに、障害でイントラのサーバーが全部止まっていることを知らせるメールがさっき飛んでいるから、それを見た誰かが、確認メールを送って来たのかもしれない。
タッチパッドをタップしてメールを開いた田中君は、フワッという変な声を上げた。
「どしたの?」
「なんか、経理システムが起動してるんですけど?!」
「え?」
田中君の横に顔を寄せて画面をのぞき込むと、システムから自動送信されて来たメールが開いている。さっき、せっかく苦労して電源を落とした経理システムが、「正常に起動しました」というメッセージを送って来ていた。
「何これ? どういうこと?」
田中君は、リモートコンソールを開いてログインした。すると、さっき自宅で見た禍々しい黒地に赤黄文字のメッセージが開いている。まるで、不死身の魔王のようにそいつは蘇っていた。
「嘘でしょー? さっき確実に息の根を止めたし、
「ホラー映画のバケモンか、こいつは」
すぐに立ち上がり、IT部のフロアにいる全員に聞こえるように、大声で呼びかけた。
「難波課長! 落とした経理システムサーバーが再起動しています!」
「なんだと?
下から、田中君が負けじと叫んだ。
「エビデンス見てますけど、ちゃんと小文字のマイナスエッチになってます! 十分後に
「他のサーバーはどうだ?」
難波課長に言われるまでもなく、他のオペレーションチームも一斉に端末を叩いていたが、部屋中にどよめきが広がった。
「資金決済システムも再起動してます」
「製造管理システムもです」
「共用ファイルサーバーも上がってます」
「なんてこった。こいつらゾンビか?」
フロアの隅にいたネットワークチームの酒井課長が、端末から目を離さずに叫んだ。
「ルーターから、WOLのパケットが飛んでるぞ。いつの間にこんなもん仕込んでたんだ?」
「WOLって何?」
こそっと田中君に聞くと、同じくこそっと答えてくれた。
「ウェイクアップ・オン・ラン。ネットワークカードが特定の通信を受信すると、サーバー本体の電源が入る仕組み。ここのサーバーは、基本的に全部オフにしてあるはずなのに」
「あ、あれか」
昔、自宅のパソコンで設定してたことがある。こたつでノートパソコン本体の電源を入れると、本棚に置いてあるハードディスクが自動で起動して接続できるようにしてあった。
「また、サーバーからガンガン外向けの通信が飛び始めてる。ルーター含めて、早く電源を落とさないとマズいな」
酒井さんが、唸るような低い声でつぶやいた。
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