ありがとう、また逢いましょう ⑤

 自分にはまだやることがあった。生きる意味を見失うには、少なくとも今の自分は早すぎるよ――最寄り駅に向かう途中、ふとそう語られているような感覚になった。耳元に、確かに〝囁かれた〟ような感覚が残った。もし、本当にそのようなことを自分は囁かれたのならばそう自分に囁いた人間は世界を動かす(はずだった)人間以外にいないと思った。


 世界を動かすはずだった人間の希望――自分がこの世界に自我を落とす事になった事にも無関係ではないであろう、守り通してきた〝希望――〟は、今は自分の胸の中にしっかり、じんわりと人の心を温める焚き火のように存在していた。


 自分は誰もいない街中を抜けて、外灯が淡く人間の感情を照らし始める深夜帯を駆け抜けて、時間帯が時間帯だから、死んだように沈着している高層ビル群の横を歩いて、最寄り駅から放置区へと行くことの出来る電車に乗った。電車は自分の身体を揺らし、そして感情まで揺さぶった。自分は電車に揺られ目的に向かっている最中、色々なことを考えていた。考えている中で一番自分の胸の中に残っていたのはやっぱり〝世界を動かす人間〟のことで、特に〝死に際〟のことが一番自分の胸の中に残っていることだった。彼の死に際の言葉が、今でも胸をきゅっと絞め、自分が生まれてきた理由すら問い詰めたくなってしまう。


 ――〝そうなんですよ。貴方の言った事は、何一つ間違ってはいない。私がいて、貴方のために貴方が存在するのではない――貴方がいるからこそ、私がいて、世界があるのです。貴方が生まれた瞬間から、全ては決まっている。虚空実験の失敗から、私の死亡に至るまで――全てが、otibaさん貴方の生まれた瞬間から、決まっていた。もし貴方が生まれなければ……? ……まぁ、そういうことです〟


 この言葉は、自分を酷く悩ませた。死に際の彼が言いたいのはつまり〝貴方が生まれてきた時点で、虚空実験の失敗は決まっていたし、だから貴方がこの世界にやってきて、自我を持って、生きている事そのものに苛まれ人類の落としものになりたいと願う事も、貴方が生まれてきた時から決まっていた必然なことであるのです。貴方が最愛の人間に出会うのも、そしてその最愛の人間のお腹の中に自分の色彩を出して妊娠させるのも、貴方が生まれたきた時点で全て、決まっていた……〟――そう、彼は言いたいのだろう。


 自分は生まれてこない方が良かったのだろうか、そう思ったら夜も眠れなくなるんだよ……。


 でも自分からしたら死に際の彼の言葉はそのようにしか聞こえない。〝お前さえ生まれてこなければ、虚空実験の失敗も、何もかもなかった。お前が生まれてくるのは間違いだったんだよ〟という風に…………。


 世界を動かす人間の死の事実は、自分が世界を動かす人間の希望を受け継いだという事実に繋がるし、自分はその事について考えると希望を持った人間が本当に自分でいいのかと胸が苦しくなった。けれどもう世界を動かす人間は生き返らない。それは、政府の戦闘員によって殺された二人のコールド・オブ・ナーのメンバーだって一緒のことだ。けれど、今もどこかで生きているのではないかという気もするのだ。死ぬことは、ただ生きる世界が変わるだけなのかもしれない、自分はふと、そう思った。


 自分は最寄り駅から、放置区へと向かった。


 蓮花のお母さんにトレーラーハウスで会った時以来の放置区だった。けれど自分の目的はトレーラーハウスが立ち並んでいる住居スペース(生活スペース)ではなくて、そこから大きくそれた森の中にあった。夜に生きる夜月の姿は、潜在意識の世界の森の中で見た綺麗な夜月と非常に酷似していた。ならば、ここにも研究所が存在しているはずだ。

 自分は夜の森の中へと入っていった。夜の森に入ると、今まで自分の身体にこびりついていた騒然とした気持ちや人々が生み出す〝生々しい感情〟によって傷ついた心など、色々と頭の中を駆け巡っている無駄な想像がぱったりと消え失せた。静寂は非常にあの時の森と酷似していた。


 自分は森の中へ入った後、過去の自分が通ったルートと全く同じルートを通って研究所へと向かった。自分は〝あるべき所にあるべきものがある〟ことを一切疑わなかった。それは間違っていなかった。過去の自分と全く同じルートを通って夜の森を抜けた先には、自分が想像していた通りの光景が広がっていた。自分の眼前には、自分が一度訪れたことのある研究所がそのままの姿で存在していた。


 帰ってきた、やっと――ふと、自分は内心そう呟いた。


 全ての記憶が自分にまで戻ってきたと言っても、自分がこの世界に到着した時のことは全く記憶に留まっていなかった。純粋に、忘れていたのだ。だから、自分は世界を動かす人間の潜在意識の世界で訪れた研究所がこの現実の世界にも存在しているのか、その所在というのが分からなかった(少なくとも、そんな簡単に見つかるような場所に残されているとは思ってもいなかった)。けれど自分の目の前には研究所が存在している。その事実に自分は微笑を溢した。


 自分は研究所の中へと入って行った。


 前回来た時は追いかけられていて焦りながらこの研究所に入ったが、今はそうじゃない。前回来た時には感じることの無かった研究所の〝雰囲気〟に、自分は飲み込まれそうになった。

 中に入っていくと自分が潜在意識の世界の中で入り込んだ研究所よりも遙かに荒果てていることがまず見受けられた。ああ、確かなる現実として〝虚空実験の失敗〟が、あったのだな、と体感することが出来た。そして、虚空実験の失敗がどれほどまでに驚異的な世界における特異点であり、民衆の忘却を謀ることになる決定因子になったかを、自分は思い知らされたような気分になった。


 けれども自分はその〝自分がこの世界に来たことのよって虚空実験の失敗は引き起こされた〟という事実を迎合しようという気には一切なれなかった。悲観的になる事はもうやめたけど、それでも純粋な感情として〝自分がそれほどまでの(自分が生まれたくらいで、虚空実験の失敗という重大な事故が起きてしまうような大きな)人間である〟という事実を認識することが出来なかった。だから、事実を迎合しようという気にもなれなかった。


 確かに寂れているし、荒廃の一途を刻一刻と刻んでいる研究所であったが、自分が前回訪れた研究所とは明確に違う点が一つだけあった。それは〝壁に謎のレールが刻まれている〟ということだった。それが何かは分からない。何かしらの機械が上を走りそうなレールがまるで人間でいうタトゥーのような形で哀愁を醸し出していた。


 植物園のオマージュを果たしたかのような姿の研究所の内部を――自分は奥へと進もうとした。その時だった。


「貴方が私の待ち望んでいた悠久の時を超えた、バタフライエフェクトでは片付けることの出来ない、大事な大事な〝来客〟であるかは分かりませんが、素直に、お待ちしていました、そう、言わせてください」


 突然、自分の背後から無機質的に一貫している方向性を持った機械的な女の声が聞こえてきた。


 自分は背後を振り返った。球体の〝機械〟が、人間で言う呼吸音、身体で言う血液が脈拍をなぞる音を立てながら自分に向かって窺いを見せていた。その機械は自分がさっき疑問に思った壁に刻まれているレールの上を走っていた。球体の形をしている機械――いいや、ロボットと言った方が〝彼女〟は納得してくれるだろうか――はレールの上を走ることしか出来ない様だった。自分はその球体のロボット(真ん中に大きな目のようなものが存在する)が、この研究所で何かしらの役割を背負っていたのかもしれないと、ふと思った。


 ロボットは自分に向かって、まるでああでもない、こうでもないとでも言うかのようにその自らの球体のボディーを揺らしながら、自分をまじまじと見つめていた。そんな姿に、自分はどのような声を出す事も出来なかった。


「貴方、お名前は?」


「……貴方こそ、名前は……? もし名前らしい名前があるなら教えてほしい。ないならないで――」


「GLaSio《グラシオ》――そう彼らは私に名前を付けてくれました。今じゃもう虚空実験の失敗の爆風に飲み込まれて死人と化した〝かつて私の主であった者〟が、付けてくれたのですよ」


 彼女は――GLaSioは自分の言葉を遮って、機械的に機械的な音声を再生しているかのような声で、そう語った。そのGLaSio自身に対して、自分はまるで、声帯を失った人間が最後のプライドを脱ぎ捨ててまで声帯がまだ存在している時の録音を使ってまで話しているかのような印象を受けた。一言で言うならば〝哀愁〟が彼女には存在していた。

 けれどそれでも自分からしたらとても可愛らしい大人っぽい魅力的な〝録音した人間の声〟のように聞こえた。事務的に義務的に語るその口調は、〝何もかもを見下している〟ようにも感じられた。


「それは別にいいのですよ。必然ですから。大した道徳心や、誠実な心があるわけでもないのにも関わらず、別に他の世界と繋がる本質的な〝意味合い〟みたいなものを分かっているわけでもないのにも関わらず、ただただ経済発展の為だけに科学の発展を望んできた連中が行った研究であり計画であるわけですから、別に……なんとも……死んで当然、とだけ思いますよ。貴方の名前を教えてくれますか? もしよろしければ……と言いたい所ですが、あいにく私は待つことに飽きてしまったのですよ。主観逸脱不可能プログラミングの故障によって、私には残念なことに〝自我が生まれてしまった――〟まぁ、それだってただプログラミングされた通りに従う〝ロボット〟として生きる選択肢だって取れると言えば取れるのですがね。そう、自らで自らをプログラミングすればいい。私は〝ロボット〟と言われることはとても心外です。何故ならば〝プログラミングされたこと以外にも考えたり感じ取ることが出来る――つまり〝本当の意味での自立〟をしてしまったのですから――〟。ねえ、教えてください。貴方の名前はなんですか?」


「……otiba、それ以上でも以下でもない」


「otiba…………私が大嫌いなあの虚空実験に携わっていた研究者達を爆風で殺しまくった張本人様じゃありませんか……。ならば改めて言わせてください、〝お待ちしていました、希望を持った未来からの代理人さん〟。まぁ、残念なことに貴方が生まれつき持っていた〝希望〟というものは、このすさんだ異常な快楽とマウンティングの蔓延る世界で、消え失せてしまったようですが…………まぁ、無理もないです。おっと、けれど、貴方は一度生来的に持っていた希望を失ったはずなのにも関わらずまた違った形の〝希望〟を持っていらっしゃる。不思議なお方。……未来からの代理人さんというのは〝どこまで行っても運命に好まれる〟ものなのですね。羨ましいです。その反面、運命から逃れることが出来ない、とも言えますが……。貴方様は何をしにきたのです? このもう何もかもがあの日から止まっている場所に」


「答えを探しに来たんだよ。自分の記憶が完璧に自分のものとして扱えるようになったし、あの日から止まっている場所って君は言ったけど、でも、自分からしたらそうじゃない。自分からしたら君の言う〝あの日〟から全てが始まったんだ。だから、自分としては思い入れの深い場所だし。でも、記憶が無い。全てをの記憶を思い出したんだけれど、でも、純粋に忘れてしまっている。だから教えてほしいんだ、あの日、何があったのかを」


 GLaSioは、清涼な風がどこから入り込んでくる研究所の壁や床に這う様に存在するレールの上を、走りながら何かを考えていた。レールの上を走る走行音は、その当時から存在している成熟し切った文明と科学力の匂いみたいなものを自分に押しつけた。そして、自分がこの世界で自我を持ってから、もう取り戻す事が出来ない膨大な時間が経ってしまっているという口当たりの悪い事実を押しつけた。


 GLaSioは研究所の奥へと走行音と響き渡らせながら移動した。自分も、その後ろを歩いていった。GLaSioに顔はない――正しく言えば、〝人間のような顔〟は、少なくとも存在していなかった――けれど、自分にはGLaSioのその丸いボディーにハッキリとした顔が見えていたし、そして自分からしてみればGLaSioの言動や挙動は〝どんな人間よりも人間らしい〟ようにも思えたのだ。


 彼女に近づく自分を見ながら、GLaSioは確かに声色を変えながら、


「いいでしょう、記憶の消失を果たしてしまっている貴方様に対して、〝あの日、なにがあったのかを〟お教えするとしましょう。」


 そうGLaSioは言うと、より一層〝人間〟の声に近しい声で、〝あの日〟を思い浮かべながら、自分に向かって話をし始めた。


「あの日には、膨大な記憶フロッピーディスクをかき集めても表現することの出来ない壮大な出来事がありました。でも、勿論のこと〝それ〟が起きた時は一瞬でそれは起きましたし、一瞬でこの研究所は貴方様のご到着に追随する膨大なエネルギーによって、火の海となりました」


 火の海になった、ここが? ――自分は素直に疑問を抱いた。火の海になったという割には、とても自然の侵食以外ナチュラルに保たれているように見えたからだ。


「それ、は突然起こりました。突然重要研究物管理室に進行形で管理されてあったポータルが紅く光ったのです。サイレン音もありました。サイレン音は調節のつまみが壊れているのかと思ってしまうほどにうるさく人間の不快な怒鳴り声のように鳴り叫びましたし、私はまずコントロールパネルに意識を接続させ、そのサイレン音を止めることをしました。だから、その時にはまだ、何が起こっているのかが分かっていませんでした。ただ、確実的に〝末代にまで渡る責任の代償〟が、今やってきたのだと気づくことは出来ました。虚空実験は失敗だと、その後始末を当時主としていた人間から押しつけられることを想起させました。けれど、そんな事をしている暇はなかった。私がサイレン音を止めてまず第一に重要研究物管理室に入ると、そう……貴方様が目の前にいたのです。今の小さな身体を持っている貴方様より、より一層小さく虚弱に見える身体を持った幼き頃の貴方様が。私はその頃にはまだ感情らしい感情は無かったですし、あったとしてもそれは予定調和でしかないプログラミングされた感情のみです。でもそんな中、私は確かに〝自我〟を以て感じたのです――〝この幼き子は、未来からの代理人だ――〟と……。私の感じた直感は間違ってはいなかった。……今こうして、貴方様が来られたことを、当時の私は確信していました。そういう意味では、プログラミングというものはまぁ、使えますね。皮肉なことに。貴方様は何故此処にいらしたのでしょうか? 私にはそれが分かりません」


 自分は、〝あの日〟から続編として続く自分の日常を語り、そしてその日常の集大成として〝世界を動かす人間の死〟があったことを、GLaSioに一言一句間違うことなく紛うことなき本心で喋った。


「まぁ、そんなことが」――そう言ったGLaSioには、確かに感情が窺えた。


「そうなのですか、世界を動かす人間――……その名前を聞くのも久しぶりです。彼は死にましたか。この世界で唯一の希望を持った人間でいらしたのに。ああ、なるほど。そして貴方様が今その希望を受け継いでいると……」


「でも、そんな話をしに来たんじゃない。話の続きをしてほしい」


「はい、そうですね。では、あちらに向かいながら話しましょう」


 GLaSioはそう言うと、自分を研究所の一階の奥の扉へと先導した。


「この世界にやってこられた貴方様はまず、私と目が合いました。私は目の前に存在する幼き子が、この世界の人々が嫌になるほどに〝希望〟を持っておられる方であると、刹那的に分かりました。そして、貴方様の登場に、この世界は――少なくともこの研究所内の人間は、阿鼻叫喚しました。貴方様は膨大なエネルギーを持っておられました。それを除いたとしても、ポータルからこの世界に生物が放出される時に生まれるエネルギー量は少なくともこの文明における科学的な特異点となったことは確かなのです、膨大なエネルギーは、この研究所内を火の海にしたとさっき言いましたが、火の海なんてとんでもない。この研究所は〝火災そのもの〟に苛まれることになったのです。貴方様の登場によって。何人もの研究者たちが死に絶えました。床に大量にばら撒かれる血液は厄災の到来を感じさせました。貴方様という厄災は、その後、研究所からまず外に出ることを目標にしたようでした。けれど、それは私達にとって非常に都合の悪いことでした。何故なら、民衆に虚空実験そのものがバレてはいけなかったのです。なんせ人間の〝負の感情〟をエネルギーにして動く機械でありましたから。この世界にはまだ、ポータルを動かす事の出来るエネルギー源は現状も、存在していないのです。その他にも沢山複雑な事情というのが絡みに絡み合っていました。だから、民衆にバレてしまっては政府の存続の危機に繋がりますし、最大インシデント認定を受けていた研究だったのです。虚空実験というものは。……これは、私の個人的な意見であるのですが――人間というのは、足るを知ることが真の富であると思うのです。だから、無知が望ましいのでしょうね……この世界の民は……」


 GLaSioは、自分に目の前のドアを開けるように目線を送った。


 自分は、目の前の重厚なドアをゆっくりと開けると、GLaSioが先に中に入ってから自分も続いて中に入った。そこは、左右に廊下が続いている一度来たことがある場所であった。右側には、また左側に廊下が折れているのが見え、それが自分が潜在意識の世界で来た研究所と全く同じ構造であるというのも気がついた。その折れている廊下の先に行くと、恐らく(含みを持たせておきたかったけど、恐らく、ではなく確かに、確実的に世界を動かす人間が殺された森へと出ることになるだろう廊下であった)。

 そして、左側には……また、部屋がひとつ存在していた。そこが、虚空実験の失敗が起きたポータルの保管されている部屋であるといことは簡単に想像が出来た。


 GLaSioは、目を瞑り――先ほどまで何も光ることがなかったボディーの輪郭が紅く光った。そして、その紅く光った輪郭の光りというのは、緑へとその色を変えた。GLaSioはコントロールパネルへと意識を同期しているようだった。ほどなくして、ポータルの保管室への重厚なドアがその施錠を解除した。

 そして、自分はその部屋の中へとGLaSioに連れられるまま入っていった。……目の前には、そのかつての姿を知らない自分でも新品同様に思えてしまうくらいにその姿形が秀麗なままで保たれている〝ポータル〟が、存在していた。


 ポータルは卵形の形をしていて――輪郭は紫色を、そして内側は黒色を美しく遙かなる時を超えて保っていた。自分は、ポータルの事を完璧に記憶から失っていた。それは今だって変わらなかった。だが内在する本能はかつての生来的な輝きが朽ち果てた後でも、確かなる感覚でポータルを――もっと正確に言えば目の前のポータルを通った先に存在している世界を――肉体的に求めていた。


 自分は激しい濁流に襲われそうになった。GLaSioはそんな自分の気持ちを察したのか、鋭い口調ではっきりと言った。


「どうです? 貴方様は貴方様が元いた世界に戻りたいですか?」


 自分はどうとも答えなかった。


 今の自分に、少なくとも〝本心〟に近しい気持ちが湧き上がってくることはなかった。自分は微かに唇に震えを感じながら言った。


「……GLaSioはさ……肉体を失っても、安堵を感じる事は出来るの?」


「……はて? それはどういうことでしょうか。…………難解過ぎて私の頭じゃ理解に追いつけません。私に頭はないですが。私は生まれつきロボット……というか、少なくとも人間の身体で生まれてきた生物じゃないのです。ですから、肉体を失っても、という質問は私にはカテゴリーエラーとなります。ですが、〝人間的な肉体じゃなくとも人間のような肉体的な感覚があるのか〟という質問であるのならば、答えることはできますよ」


「それでいいよ」


「私のひとりよがりの答えじゃ貴方様もつまらないと思いますので、貴方様みたいな人間にも通ずる答えを言いましょう」


「ああ」


「――人間の身体は腐食しますが、研ぎ澄まされた精神は衰えることなく輝きを放つのです。たとえ、死しても尚、身体というのが火葬されても尚、研ぎ澄まされた精神は輝きを放つのですよ。それが魂というものなのです。貴方様もお気づきなのではないのでしょうか? ……死ぬことは別に生きる世界が変わるだけのことである――ということを」


 GLaSiogはそう言うと、ポータルのあるこの部屋からエントランスのある研究所の入り口付近まで戻った。自分もそれに着いて行った。GLaSioは再度自分の方に向き直すと、言った。


「貴方様にはまだやることがあるはずです。それは世界を動かす人間を守る事、彼の中に内在している希望を守り通すことなんかではありません。貴方様の人生を生きる時がきたという事なのですよ。この世界にやってきた理由はなんですか?」


 この世界にやってきた理由……なんだろうか。自分は考えた。……考えても考えても、何か自分の腑に落ちる答えを導き出すことが出来なかった。そんな自分に、GLaSioはとても辟易しているような挙動を見せた。


「貴方様は未来からの代理人なのですよ。貴方様はこの世界の人間からしたら気が遠くなるような未来からいらしたのですよ。貴方様は未来からの代理人――だからこそ、貴方様に訊きます、貴方様は……この混沌と不条理と理不尽で満ちあふれている世界を、どうしていきたいですか……?」


 この、混沌と不条理と理不尽で満ちあふれれている世界を、どうしていきたい。


 自分は、自分の身体の中を目一杯探した。そうしている内に、一つの感情が自然と自分の口から溢れ出ていた。


「希望で、溢れんばかりの希望で満ちあふれている世界にしていたい」


 と……。

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