エピローグ

ありがとう、また逢いましょう

 自分は、自分自身すら知らない自分自身の領域に埋没していた失われていた記憶(過去がない、と蓮花に言って蓮花が酷く混乱していた事は昨日のように覚えているよ)を思い出すことが出来て、その事をどのようにして蓮花に伝えようかと悩んだ。


 自分自身ですら把握できていない記憶の領域が未だに存在していたし、それはまるで魂の抜けている人間に魂が入ってきたみたいな、そんな感覚であると言うことが出来た。そういう意味では記憶を失っていて――過去がなかった自分はというのはそのままの意味で〝魂のない存在〟だったのかもしれないし、記憶というのがどれほどまでに自分自身を支え、そして〝どのの世界からきて、自分自身を殺してしまいたくなる位に最悪な世界を、どのような方向に導こうとしている存在であるのか〟の証明でもあり確証になっていてくれていたことなのだろうかと思った。


 自分自身が思い出した記憶というのは、本当に驚くようなものばかりだった。その記憶が確かならば(その記憶がもし信じられない存在であるならば、自分はもうどのようなものも信じる事ができないのだけれど……)。


 ――自分は自分が九つになるまでいた世界で〝普通〟の人間として生きていた(その世界はこの世界と比べたとき、希望に満ちあふれている世界だと言えた)。本当に普通の人間として生きていた。毎日花壇に植えられてある花に水をやり、自然と調和した文明の中で自分自身の学びたいことを学んで生きていた。そっちの世界でも音楽は聴いていたし、仲良くしてくれる女の子もいた(その女の子とのキスが自分が初めてした異性とのキスであると思う)。


 何不自由なく暮らしていた事は確かだった。勿論、小さな不満はあったが、それは音楽と自然が自分の味方となって自分を助けてくれたから自分は横暴な人間になることもなかったし矮小な気持ちを抱えた低俗な人間になることもなかった。あっちの世界では、そのような人間は少なかった。皆自分の役割をしっかりと理解していたし、どのような人間も〝生まれてくる意味〟くらいはしっかりと自認していたように思える(子供ながらに、そう思った事を覚えている)。


 文明が発展し便利な機械や人工物が増えて急激に発展し、成熟しきった文明の時代に自分が生まれたことは確かだが、けれども自分が元いた世界の住人達は自然との共存をずっと忘れることはなかったし、消費に明け暮れることなく建設的なことをして生きていた。決して自分の人生を誤魔化す事を〝安定を求める生き方〟と言ったり、現代人を骨抜きにする急拵えの〝平和思想〟や〝科学力〟などを信仰したりはしなかった(そういう意味では、自分はまだ十歳に満たない段階で〝人類というのは、殺人と共に経てきた歴史がある〟という事を理解していて、決して短絡的で急拵えのアトラクション感が否めない〝平和思想〟などに惑わされることはなかった。決して、綺麗事を言うような人間ではなかった)。


 けれどそんな生活も終わりをある日突然終わりを迎えた。それは、自分が元いた世界では虚空実験の成功により完成していた〝ポータル〟が、自分が元いた世界からは観測されていた〝もう一つの世界(それは、自分が十歳からいるまさしくこの世界)〟の研究者達が、虚空実験を繰り返し行っていて、ポータルの完成が間近である、という情報が入ってきたからだった。


 自分が元いた世界の研究者達は困った――それは主に、人間の質が社会の質であり、社会の質が世界(人類)の質であると分かっていたからこそ困った出来事でもあった。この世界の人類は〝何もかもを間違えていた〟端的にいうと〝この世界の人類は、自滅の方向に向かっている共同体〟であるということだった。この世界の人間には、科学力はあったが道徳心が欠如していた。お金ならあったが人を思いやる気持ちがなかった。共同体としての繁殖(繁栄)には成功していたが、産み落とされた子どもの行く末を願う大人達は余りにも少なかったし、仮に世界でたった一人の愛する人ができようとも、その存在はマウンティングに使われていた。


 なによりもこの世界はマウンティングの温床だった。劣等感の温床だった。――そんな世界の人間達が自分たちの世界のみならず他の世界と繋がろだなんて言語道断であると自分が元いた世界の研究者達は考えた。


 そして、研究者達が導き出した答えというのが〝希望を持った人間を絶望が充満している世界に送り込むこと〟であった。そして、その〝希望を持った人間〟というのがotiba、そう、自分自身だった。


 闇や闇と同化している人間というのは遮光カーテンの隙間から入り込む光りの様に、希望という光りを与えれば、勝手に自滅していくものであるという事を研究者を含めた自分が元いた世界の人々たちは知っていたから――仮にそれが斜陽であったとしても、ね。

 そうして自分は、正しい文明の正しい人間達が作り出した青白い光りを放つポータルに身を投じた。


 ――結果としては最悪だった、そう研究者達は言っているだろうな、と自分は思った。希望を持った人間として送り込まれた自分という人間は、結果的にこの世界の絶望そのものに飲み込まれてしまった。あっち側の人間すら〝こっちにくればこっち側の人間になってしまう――〟その事実が自分が元いた世界の人間達からしたら絶望なのか希望なのかは分からないが、少なくとも、自分は自分のこれまでの人生がなんだったのだろうとこれから考える所だよ。


 蓮花にもこの事は伝えなくちゃならない。自分は元々〝あっち〟側の人間だったけれど、彼女は元から〝こっち〟側の人間だから……今の自分――気が動転している自分――が唯一この世界に来て良かったと思えるところは蓮花という最愛の人間に出会えた、ただそれだけだよ。


 それ以外には、なんにもないんだ。

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