人類の落としもの ④

 エレベーターは下降していって自分達を〝夜の森〟へと連れて行った。エレベーターの降下する音が周囲を取り囲み、それがどれほどまで降下していった事なのかは分かりやしないが、長らく降下を続けていたように感じられた。


 最下層に到着すると、そうして自分達はエレベーターを降りた。目の前には森が広がっていた。自分の空腹は新鮮な空気と額縁に入れてしまいたくなる目の前の風景によって和らいだ。自分達はエレベーターを降りて目の前の森へとゆっくりと歩いた。肌に当たる風が心地良かった。夜の森は静寂だった。自分達が今いる階層がどれほどまでに下なのかは見当もつかないが、自分の感覚的にはここが最下層であると感じた。


 ふと背後を振り返ると、自分達が乗ってきたはずのエレベーターは姿を見せなくっていた。まるで元からそこに何も無かったかのように。いいや、この夜の森の中には最初からエレベーターは無かったのだと気づいた。空を見上げると夜に寝そべっている月が見えた。とても綺麗だった。少なくとも、この森は今までの世界とは違う雰囲気を醸し出していた。静かで、安寧で、落ち着いていて、心が沈着する。そんな雰囲気を醸し出していた。


 自分達は目の前の夜の森の中へと入っていった。


 草を掻き分けながら前へと進む。どこかからカエルの鳴く声が聞こえる。自分達はただただ森の中へと突き進んだ。すると隊長は何か見つけたようだった。


「おい、見てみろ」


「あれは……」


「見た目的には研究所かもな。お前はどうしたい? 行きたいか?」


 自分はその言葉に戸惑った。


「…………行きたいですね」


「なぁ、お前はここにきた理由を覚えているか? 忘れているんじゃないか?」


「忘れてなんてないですよ。ただ、世界を動かす人間の希望を死守する、ただそれだけです。忘れてなんていない」


 自分は静かに森と同化させるような口調でそう言った。


「あそこに世界を動かす人間がいるとお前は思うか?」


「いるかいないかで言えば……いると思います。確証はありませんけど」


「そうか。俺はハッキリ言っているのかどうか分からない。こういう言い方は酷いかもしれないが、お前が何でこの任務に携わることになったのかも、俺は分からない」


 隊長のその言葉は何か背後に言いたい事を隠しているかのように聞こえた。その本当に言いたいと思っている事は、まるで今日から新しいお母さんとなる人間に子供が敵意を向けている様な表情を自分に向かって向けられているみたいだと感じた。自分はその〝子供〟からしたら敵そのもののようだった。


 自分はただ黙ってた。


「お前は、何者なんだ?」


「……何者って……なんですか? どのような意味で……」


 自分は不思議な感覚になった。お前は何者なんだ?


「そのままの意味だよ。お前は一体何者なんだ?」


 何者なんだろう。――自分の頭の中は隊長が言い放った言葉でいっぱいだった。


 頭の中は言い放たれた言葉の反芻でぐわんぐわんと揺れていた。頭の中を騒音が取り囲んだ。逆に、新しいお母さんを前にして敵意を向けている子供自身になってしまったような感覚になった。自分は、隊長が言い放った〝お前は何者なんだ?〟という言葉の被害者であり、加害者になった。自分も同じことを思った。――〝自分は何者なんだろう?〟と。


 そう考え始めると頭の中が混乱し始めた。けれどもう混乱はしないと決めていた。頭の中の騒然は生きている感覚そのものを失わせた。自分は地面に倒れ込んだ。意識が現実から遠のいていくのが分かった。混乱しないと決めていたのに――そう最後に思った時には、自分の意識はそこから途絶えてしまっていた。何も声も虫の鳴き声すら聞こえず。


 ――頭の中が突然静かになった。

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