第七章

人類の落としもの

 美術館に大勢の人間で構成された一部隊が列を成して入っていくところが美術館の監視カメラに映る。白日をべちゃっと塗りたくったかのような真っ白い壁に、違和感なく施された絵画が壁に掛けられている。ショーケースの中に存在している芸術品の横を美術館には似つかない軍人が足並みを揃え進行を進めている。フラッシュライトとサイレンサーの付いたARアサルトライフルを抱えながら軍人は奥へ奥へと進み、広い空間の奥まで進んで安全が確保された事を知ると部隊隊長が声を上げた。


「よし! 各自細部のクリアリングを行え!」


 その声に促されるように、一部隊全ての軍人がソファーの下や窓際の隙間や、ショーケースにかけられている布によって視認性の失われたスペースに至るまで、クリアリングを行った。


 ARアサルトライフルに付いているフラッシュライトの明かりが無意味に美術品を照らした。静寂が保たれている夜の美術館には軍人がもたらす、コツコツ、という心骨の様な音が鳴り響いていた。反響は反芻の如く肥大化し、どんどんその音を大きくする。――男達は今、世界を動かす人間の潜在意識の世界に存在する美術館を襲撃していた。


 ――自分はヘルメットを外すと、逃げ場を失っていた蒸気が逃げていく感覚で美術館がある程度の冷たさを誇っている事が分かった。静寂を反芻に反芻を繰り返したが如く保っている美術館に鳴り響く足音以外に、耳に入る音など何も無かった。自分を含めた殆どの部隊の人間が足を止めながら留まっているとその静寂さがより一層強まった。自分達が世界を動かす人間の潜在意識の世界を踏み荒らしている感覚がより一層生々しく強まった。


 夜月の明かりが微かに窓のブラインドの隙間から入ってきている。初めて持つアサルトライフルはとても重かった。意味があるのだろうと思っていたが、その銃身の重みがそのまま説得力のある重みへと変わった。真っ白い空間だった。この空間に居続けると何故だか自分が汚れた存在なのではないかと思ってしまうくらい。自分は息を整えた。そしてそれが終わると再度ヘルメットを被り自らのテリトリーへと戻った。


 絵画が壁一面に均一的な距離感を保ちながら立ち並んでいる。それは、突然の事だった。一人の男が大きな声を出した。自分はその方向を見ると、先ほど自分達が入ってくるまで存在がなかったはずの場所に人間が存在していた。しかも、その〝人間〟は、形状は人間そのものだが確かに〝人間ではなかった――〟


 人間もどきがそこに存在していた。自分達を含めた装備を身に纏った奴らは〝人間もどき〟に近づいた。部隊の他の人間はアサルトライフルのフラッシュライトの明かりをその〝人間もどき〟に近づける。ハッキリと明かりに捉えられた人間もどきの表情は無表情であった。そして、自分はふと気がついてしまった。それが〝死んでいる人間〟であるということに。いいや、死んでいるのではなく〝魂が抜かれた存在〟であるということに。それが何故だかは分からない。けれど死んでいる、その感覚は確かにあった。 先ほどまで生きていたようだった。まるで誰か他の人間の〝抜け殻〟の様にも思えた。魂の抜けた人間の様にも思えた。そして、それは突然の事だったから自分は何かベールを被ることも目を逸らす事も出来なかったんだ。


 軍人の一人は、その人間もどきを自らが持っている銃で撃ち殺した。撃ち殺された人間もどきは、直立不動の姿から一転、床に青い血を吐き捨てながら静かに、だが鬱々と確かに悶えならが、死んだ。静寂の色がより一層濃くなっていくのが分かった……。銃を撃った男は滑稽に見えてしまうほどに取り乱していた。だがそれが自分にとってはどうも自然な取り乱しには思えなかった。なにか、憑依されてしまったかのような、そんな表情のように思えた。そして、気がついた時には、その撃ち殺された人間もどきと全く同じ生物が自分達を取り囲んでいた。総数としては十を遙かに超えていた。それはこの部隊に存在する人間から五人ほど足りない数だった。そして、部隊隊長は叫んだ。


「全員撃ち殺せ!」


 全ての人間もどきが撃ち殺される頃には床は一面青い血でいっぱいになっていた。


 乾いたアサルトライフルの音が胸に響いた。心を壊す最短の道であると感じた。一面が青い血で濡れた床を、引き延ばすかのように軍人はそこら中を歩き回った。この時の誰しも(少なくとも自分以外には)落ち着きが見られる人間は存在しなかった。自分は、もう死んでいるのにもかかわらずその死体に更に穴を開けようとした一人を止めた。そうすると男は床に腰を下ろしてしまった。


 呆気に取られているようだった。自分は十を超える人間もどきの殺戮には加担しなかった。ただ、それが行われているのをただ見ているしか無かった。部隊隊長の元に自分は行った。隊長はとても息苦しそうにしていた。自分は今自分が考えている事が正しいのか分からなかったが、少なくとも間違っている事はないのだろうなと思っている思案というのを一度隊長に話してみた。自分はヘルメットを両手で抱えながら言った。


「今僕達が殺したコイツらですけど、多分もう銃で撃ち抜く前に死んでいたと思う。死体を撃ち抜くのが良いだなんて思わないですけど、でもそこまで気落ちすることでもない。ただの魂が抜けた存在だと、クローンのような存在だと思うから。先を急がなきゃ。まだまだ階層は沢山ある。まだここは一階です。他の部隊の人たちがどうなっているのかなんて分からない、だからこそ早く階層を降りて世界を動かす人間を見つけて、〝希望〟を守り通す、政府の人間達に奪取される前に奪取する。それが何よりも一番大切なのでは? ……それに……自分が思うに、アレはただ世界を動かす人間が脱ぎ捨てた〝抜け殻〟ですよ。だからそうでしょう、体型を含む全てが世界を動かす人間に酷似している。でもだとしたら何故こんなに抜け殻が存在していたのか……それは自分にも分からないですけど、でも、今重要なのは先を急ぐことです」


「……分かってるよ。でも、見て見ろよ。お前の目には見えないのか? 落胆している、気持ちを落としているメンバーの姿がな。この先の階層を降りて行くに当たってこのメンバー達を連れていく事なんて無意味でしかない。少なくとも、お前は行くだろ?」


「勿論です」


「ああ、だろうな。というか、はなから部隊全員が階層を降りることなんて出来ない。人数制限があるからな。そうしないと、潜在意識の世界だと気づいていない世界を動かす人間が起きてしまうからな。まだ階層を降りることが出来る奴らを集めて一緒に降りよう、何人連れて行けるかなんて分からないがな」


 そう言うと、隊長は一人ひとりに声をかけ始めた。


 その中には嘔吐し始めていた人間もいた。自分はそんな姿を見ると吐き気を覚えそうになった。けれど、なんとかそんな気持ちを腹の中で飲み込んだ。地べたに座り込み、俯いているような表情を見せながら気分を模索している人間達は、皆自ら人間もどきに向かって引き金を引いた人間だった。


 自分はふと、人間もどきの死体に近づいて、夜月によって照らされていた洋服を見定めた。こんな洋服をしていただろうかと思った。というか、服など着ていただろうか? ……何もかもがあやふやに感じた。自分の記憶というものを完璧には信じ切る事が出来なかった。それは常日頃の自分と変わらない。


 自分は壁に掛けられている絵画の数々を見渡した。ああ、やっぱりそうだと思った。描かれている絵の様子が何から何まで全て変わってしまっていた。そして、見渡した絵全てが世界を動かす人間の裸体の絵となっていた。自分はさっき隊長に向かって呟いた言葉が本当なんじゃないかと思った。――本当に、人間もどきというのは世界を動かす人間の抜け殻なのだと。分からないけど、少なくとも考察の域はどれほど考えようとも出なかった。何もかもが現在進行形で進んでいるのだと思った。様々なうねりを繰り返し、大小の異なる波が幾つものフェーズを断続的に繰り返し、その繰り返しにパターン性はない。


「お前は本当にそれでいいのか?」


 部隊隊長がある一人の男にそう言葉をかけていた。自分はそれ以外の言葉は聞き取れなかった。その二人の会話から目線を外し、ただ、世界を動かす人間の裸体の絵を見つめながら時間が経つのを待っていた。そうして時間は十分ほど経った。


「さぁ、行こうか」


 そんな声に、自分は裸体の絵から目線を移すと目に飛び込んできたのは隊長を含めてたった四人の男だった。


「お前を入れて五人だよ。それしか残ってなかった。皆ここから立ち去ろうとはしないんだ。」


 自分はヘルメットを被った後、そうですか――そう心の中で呟きながら細かく頷いた。


 自分を含めて五人で下層に降りることになるとは思わなかった。まさかこの生臭くなってしまった空間に丁度十人残ることになるとは思わなかった。自分を含めた五人の中には現実に居た時から自分の事に親身になってくれた〝友達(そう呼んでくれと彼は言っていたが、自分はそう呼ぶことをしていない。〝彼〟と呼び続けている)〟も入っていた。


 けれど、会話なんてものを交わすことは無く、時折目を合わせたりはするが、それ以外には何もない。そのような状況ではないと互いにわかっていた。自分を含めて五人しか下層部に行けないということはしょうがないことだと思いながら、自分はその自分自身を含めた五人で美術館のエレベーターに、美術品の横を通りながら歩いた。べちょ、べちょという血を踏み倒す音ともおさらば出来ると思った(だがそれは確かなる間違いであるという事に、数分後の自分は気がつくことになる。靴の裏やズボンの下の方に付着した血は一生自分から離れることを知らなかった)。エレベーターに乗ると、エレベーターのドアの閉まり際に隊長が言った。


「お前らは運が良いよな」


 自分を含めてた四人の視線は隊長の方をすぐに捉えた。


「最下層に到着して、世界を動かす人間に対峙することが出来なければ俺達はここから出ることも出来ねぇよ。最下層にいるであろう世界を動かす人間に対峙し、まぁ対峙すれば大方クリア出来るんだが、でも何があるか分からないから絶対とは言い切れないが、対峙した後、世界を動かす人間の〝希望〟に触れる事が出来なきゃ、この潜在意識の世界から出ることが出来ない。だってそりゃあそうだろ、無断で人の、しかも世界を動かす人間の希望を求めて入り込んだある種〝部外者〟の立場なんだよ俺達は。だから、世界を動かす人間に許して貰えなきゃ戻る事なんて出来ない。このくらい大きな世界なら、当然のことだ」


「それはつまり?」


 自分は思わず張り詰めていた空気感の均衡を破ってしまった。


「こういう時は質問せずただただ聞いているものだよ、若者。でもいい、どうせこの空間には五人しかいないんだ。言ってやっても良いだろう」 


 隊長はこのエレベーターにたった一つしかない下層へのボタンを押しながら言う。


「それはつまり、あの美術館に残った連中は、もう一生現実の世界には戻ってこれない、という事だよ。多分、あいつらの成れの果てというのが人間もどきなんだろうな。残った奴は皆、人間もどきに銃をぶっ放した奴らだ。まぁ、そういうことさ。因果っていうものは怖いものなんだよ。仮にどんなに不気味な生命体を目にしても、それを殺したことは事実に変わりない。でも、それは人間が人間であるためには、必要なものなんだよ。これはある種の試練でもある振り分けなんだよ。だから俺は一人一人声を掛けている時にある一人に言ったんだ。お前は本当にそれでいいのか? ってな。俺らは試されているんだ。世界を動かす人間に。希望を持っている人間に。改めて言おう、お前らは本当に運が良い」


 エレベーターは静かに下降を始める。そう呟いた隊長の背中姿が、やけに冷たく感じられた。

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