打ち沈んだ雰囲気 ②

 その日は突然やってきた。


 決行日が明日であるという知らせを受けた自分の心情はとても穏やかだった。それは嘘だ。穏やかなんて存在していない。ただ、騒然に捲し立てられている気分を全身で感じて、疲弊をしないように自分を外敵から身を守るようにベットの中で一人ただ俯きを続けるだけだ。頭の中はさっき自分の元へ届いた〝決行日が決まった〟という知らせの事で一杯だった。コールド・オブ・ナーのいつも自分に連絡をくれる〝彼〟は自分にこう言った。


 『決行日は明日に決まったよ。やっとだね。まさか僕も明日になるとは思わなかったよ。今僕たちは準備で忙しいんだ。otibaは明日早めに来てくれれば大丈夫だよ。まさか政府がこんな早くに〝希望〟を奪取しにくるとは思わなかったし、それはotibaもだと思う。どうなるか分からないけど、僕たちはやっていくしかない。じゃあ、また明日ね』


 ――受けた知らせは頭の中で何度も反芻され、溢れ返った頭の中の考えは涙として零れる事はなかったけれど、自分をやけに嫌な気持ちにさせた。頭の中がうるさかった。特に深く考え事をしたわけじゃないけど思慮を深層まで突き動かしたわけじゃないけれど、自分の頭の中はうるさかったし、無駄な考えというのが肉体に付くのが分かった。

 深く息を吸ってそれを吐いた。頭の中の我が子を、赤ちゃんを眠りにつかせた。我が子が眠りにつくことはなかった。ただ、無意味で偏屈としてるダンスを永延踊り続け、それを自分に向かって誇示している様だった。それでもなんとか我が子(赤ちゃん)を眠りにつかせると、自分はベットの上で眠った。本物の眠りだった。



 ――決行日当日、本物の睡眠から目覚めると、自分はまず一番に水を口に含んだ。含んだ水が温かみを帯びてくるまで口の中に含んだ。それから飲み込むと顔を洗い、服を着替えて(珍しいことに睡眠に引き込まれる前、いつも着ている日常の服に居心地の悪さを覚えて、着替えていた)。それから自分は大きくカーテンを開いた。外灯や街の灯りはベットの上で眠っている蓮花を捉えていたし、自分達の未来すら捉えているように感じた。心配なんて何も無かった。ただ、自分が予定している通りに事が進んでそれが終われば、自分は自分の〝運命〟だったり〝責任〟から逃れることが出来るし、そうなれば……自分が輪廻の元に行くことも、世界を動かす人間のサポートをすることも、一切の必要を無くす。ただ普通の人間に戻るだけだ、自分はそう思った。


 頭の中のうるささは寝る前に一度沈んだ気がしたが、また再度頭の中がうるさくなった。自分は、いるはずのない〝我が子〟がベットで眠っている様子というのが蓮花と、窓際でそんな蓮花を見ている自分との間に見えた。それはハッキリと見えた。二人だった。頭の中のうるささが自分を苛んでいた昨日には一人だったのに。


 昨日の自分は、たった一人だけの我が子を眠らせた。けれどハッキリと二人の子どもが見えたのだ。自分は心を落ち着かせると、少し早い気がしたけど家を出ることにした。自分は玄関に向かい、靴を履こうとした時だった――突然、蓮花が自分の服の肩辺りを優しくつまんだ。自分はすぐさま振り返ると、蓮花は眠たそうな表情で二回首を横に振った。 自分はその首振りの真意が分からなかった。自分は靴を履くのをやめて蓮花の方を向いた。


 蓮花はもう一度、二回首を横に振った。そうじゃない、そう言っているようにも感じた。


「どうしたの、寝てたらよかったのに。ただ出かけてくるだけだから」


「嘘ついてるのは分かってるよ。貴方嘘が下手だから。全部自分に正直だから、嘘もつけないのを私は知ってる」


「嘘じゃないって、ただ、出かけてくるだけだから。用事なら後でいい?」


「駄目、貴方本当にどこにいこうとしているの? 私にはそれが分からない」


 自分は言葉を探したが、上手くいかなかったから何を言うことも出来なかった。蓮花からしたらきっと自分は困惑の表情を浮かべているだろうなと思った。


「もうどこにも行かないでよ。何処にも行かなくたって私がいるじゃない」


 蓮花は、後一歩均一を崩したら全てが崩れ去ってしまう心の様な表情でそう言った。


「仕事でしょ? 私に内緒の」


「…………そうだよ」


 自分はそう言うしかなかった。


「もう私は嫌なのよ。貴方が私の元から離れるのがね。それは私個人で完結する問題じゃないし、それに今回は貴方だって無関係じゃない。ねぇ、お願い、私と一緒にいよう? 私と一緒に今から寝よう?」


 自分が気づいた時には蓮花は泣いていた。自分は蓮花を一度抱擁した。


 このままじゃ本部に行って作戦を遂行することが出来ないんじゃないかと思った。でも、やるしかなかった。でも、蓮花のそんな表情に、自分は酷く困惑した。蓮花が泣き止むと、自分は蓮花にキスをした。それは酷く苦く、けれど充足を自分にもたらすキスだった。自分達は一度目を合わせると、今度は蓮花の方から自分に口づけをした。今度は甘さが感じられた。何故だろう。


「分かったよ。分かった、貴方のこと信じてるから、帰ってきてね。いなくなったりしないでね」


「もちろん。多分帰ってくるよ。…………絶対ね。絶対はないから、どうとも言えないけど」


「うん、絶対ね」


 それじゃあ、行くよ――そう言い、靴を履いて自分は家を後にしようとした瞬間だった。

 蓮花が突然自分を呼び止めた。自分は蓮花の方を振り返った。なんだろうと思った。


「……ううん、ごめんね。何でもない」


「いいたい事があるなら言えばいいよ、言いたい事は全て言ってほしい」


「いや、いい。帰ってきたらね」


「そっか、分かった」


 帰ってくる事がもし出来たらその時は聞かせてほしい、自分はそう心の中で呟くと、家を後にした。

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