慢性的な避暑地 ⑩
ここ一ヶ月間は、自分の人生の中でも余りにも余白が少ない、自分にとっては忙しい時期になった。
ここ一ヶ月間の自分は、コールド・オブ・ナーの拠点に行ってこれまでコールド・オブ・ナーのメンバー(〝友達〟と呼んでいる彼は自分にとても親身になって瞬間瞬間に生まれてくる新しい情報の説明をしてくれたし、今の自分達が〝どのような状況〟に置かれていて、どのような行動指針を以て動いていこうとしているのか、一から十まで全て解説してくれた)。一日一日が一瞬にして溶けていくような日々を過ごしていた。そんな事が一ヶ月間続いたのだ(家に帰ってくると、抜け殻を産み落としてすぐに本物の睡眠に自分は逃げ込んだ)。
そんな生活をし始めて二週間ほど経った頃――それは自分が家の三つある内の一つの固定電話に張り付いていて記憶フロッピーディスクの売人としての生を全うしている時であった。三つある内の一つの固定電話が唸りを上げた。まどろみに近しい空間に少しくらい眠ってしまおうかと思っていた自分の緩んだ感覚はすぐに締め直された。
その電話はいつも自分にいち早く情報を伝達してくれる〝彼〟からだった。受話器を手に取り、それを耳に当てた自分に、彼は〝今すぐにでも来てほしい〟と言った。自分はすぐに〝わかった〟と返答をすると、そのまま何かしらの準備もなく家を飛び出してコールド・オブ・ナーの拠点に向かった。
拠点に着くと受付の女性と話し込んでいる〝彼〟を見つけた。彼は自分に気がつくとすぐに拠点として占拠している階層まで自分を連れて行ってくれた。自分は案内されるがままフロアの沢山ある内の一つの部屋、会議室に連れて行かれた。会議室にはコールド・オブ・ナーの幹部らしき男らが椅子に座って会合を始めていた。とても広い部屋だった。自分は彼に連れられて端っこの席に隣り掛けで座った。
自分達のように端っこに座っている人たちは何人かいたし、別に誰も自分なんかを気にしている訳無いと刹那に思えた。もしかしたら組織の中では自分の話題がちょくちょく出るのかもしれないとも思った。会議はまだ始まったばかりのようだった。会議の内容は〝政府が世界を動かす人間のマーキングを始めた〟という類いの話だった。政府が世界を動かす人間のマーキングを始めた――そんな話題が当たり前の如く出ていることに自分は内心驚きを隠せなかった。コールド・オブ・ナーが世界を動かす人間の保護を目的にしている組織であるという事はボスからも訊いたことがあるし、でもそれが本当であるとは完全に信じる事は出来なかった。それは今だってそうなのだ。懐疑的な感情は常に存在し続けている。
話が展開されていくにつれ、彼は自分に向かってコールド・オブ・ナーが何をしようとしているのか一つも余すことなく説明をした。結論から言うと、コールド・オブ・ナーがこれからしようとしている作戦は〝政府が世界を動かす人間に内在する〝希望〟を奪取してしまうより先に自分達が保護をしてしまう――〟というものだった。つまりそれは〝世界を動かす人間の内部(潜在意識の世界)〟に潜り込むということでもあった。自分はふと胸の中に、まるで舌の上に不安が転がってきたような、そんななんとも形容し難い感覚を口の中に覚えた。自分はこの時素直に思った、その作戦が上手くいけばいいけど、と。
決行日は後日、また追々連絡する、そんな文言を最後に、会議は終わった。自分達は一番最初に会議室を後にした。その後は彼と一緒にカフェに行った。飲み物を片手に持ちながらそこら辺を歩きながら自分達は色々と話をした。それはさっきの会議で話されたいた内容の反芻にほど近い内容の話だった。隣を歩いている彼が言った。
「まさかこんな事になるだなんて思わなかったよ。otibaはどう思う? 今回の作戦のこと。日時はまだ未定だけど、もしかしたら明日かもしれないし、もしかしたら数時間後かもしれない。ま、そんな事は無いだろうけどね、現実的には。」
「うん、まぁね。でも上手くいけばいいけどね……」
「不安?」
「少しだけ。そんなに人間の潜在意識の世界って単純でも簡単でもないし、なんせ他人の潜在意識の世界に潜り込むってことは〝相手の素直な部分〟が露呈している世界という事でもあるし、そこに自分達が異物として入り込んでいくわけだから、予想外の事が起こったってなんら可笑しくないよ」
「なんか他人の潜在意識の世界に入り込んだことがあるみたいな言い方だね」
「ないよ、一回も」
自分は微笑を浮かべながらそう答えた。
それが数ヶ月、あるいは一年以上前であると思うが、自分が初めて世界を動かす人間の潜在意識の世界に入り込んで対話を試みようとした時があった。その時に自分はもういてもたってもいられない位に現実と世界を動かす人間の潜在意識の世界の狭間に揉まれてしまっていたし、だからそんなに人間の潜在意識の世界は単純でもなければ簡単でもないと思った。けれどそんなこと彼には言えなかった。自分も前回の対話の時に〝いつもの場所ではないどこか〟に連れていかれてしまっていたし、その時に〝自分の潜在意識〟も世界を動かす人間の世界に混在してしまっていたから、自分はそんなに簡単に上手くはいけないだろうな、と本当に思った。
彼はこう言った。
「otibaと一緒に何か作戦に参加できるだなんて嬉しいよ、otibaはどう?」
「うん、自分もなんだかんだ楽しみだよ。世界を動かす人間の〝希望のエネルギー〟を、政府に取られないように本当に尽力しないと、また虚空実験の失敗が訪れるだろうからね」
そしてその日は、二人で街を一時間ほど歩きながら話した後、互いに互いのいるべき場所に帰った。彼の最後の言葉がずっと頭の中を歩き回っていて自分はそれに苛まれた。何故かというと、それは〝本当は自分は作戦には参加しない〟という事を打ち明ける事が出来なかったから。勿論、打ち明けるつもりなんて毛頭無いけれど……。自分は彼と仲良くなりすぎてしまった様に感じた。勿論、作戦には参加する。けれども〝その時が来るならば、自分はいつコールド・オブ・ナーの人間達を裏切る準備はできている〟から。自分は自分で自分を苛むのが得意だった。
――それから一週間ほどが過ぎた日、それは秋と冬が混在が始まっている季節の日。自分は今まで自分が溜め込んでいたコールド・オブ・ナーという組織が何をして、どのような方針を取っていこうとしているのかを全て洗いざらい話すために降音にいる輪廻の元に行った。
輪廻は自分を快く出迎えてくれた。自分はこれまでの一ヶ月間で自分が得た、全てのコールド・オブ・ナーや政府に関する情報を輪廻に洗いざらい話した。輪廻は何も言わなかった。何かを言う必要などないのだと言っているような表情にも思えたから、自分も何も言わなかった。静寂は五分ほどで解かれた。輪廻は自分に向かって言った。
「これからが本番だよ」
「勿論、分かってますよ。作戦の全てが上手くいくとは思えませんが」
「まぁね。そういうものだよ。なんせ舞台が人間の――それも特異な希望というエネルギーを持った人間の潜在意識の中だもの。何があったって可笑しくなし、まあ、コールド・オブ・ナーの人間達はそれが分かるはずもないだろうけどね」
「そうですね」
それはそうだろう、と思った。コールド・オブ・ナーの組織の人間達は知識はあったけれ〝経験〟はなかった。潜在意識の世界が〝どのような世界〟かを知らないのだ。そしてその潜在意識の世界が〝どんな世界になり得る〟という事実も知らないのだ。潜在意識の世界では、その潜在意識の世界の持ち主からしてみれば、自分達は〝異物〟として扱われることになるし、だから〝なにがあってもおかしくない〟――計画の根本にはそんな危険性が秘めている。
「otibaに一つアドバイスだ。……その前に、otibaはアドバイスなんて聞きたい?」
「いいですよ、聞かせてください」
自分がそう言うと、輪廻は真剣な表情で一言一言を丁寧にこさえるが如く、神妙な面持ちで語った。
「otibaは計画だけ知っていればいい。それで十分だ。それはつまり、今までのotibaの人生と一緒ってことだよ。無知が武器であった子供の頃みたいに、何も知らない、先が分からない、未来が確定されていないからこそ、自分らしくいればいい。ただ、それだけさ。後は運命に任せればいい」
自分はただただ頷いた。そこにそれが必要であると感じて、純粋な頷きを見せた。
決行日は未定。
だからこそいつ〝その時〟が来てもいいように準備を進める。
去り際の自分に、輪廻がこんな事を言ってきた。
「もう世界が終わりであるとか、こんな世界ならば死んだ方がマシだと思ってしまう事だとか、その気持ちというものは人間らしさがあって一概に良い悪いだなんて言える事柄じゃないけれど、少なくとも〝この世界を破滅に向かわせていっている〟人たちがいることは確かなんだ。それは、otibaだってよく分かっているはずだ。いいや、otibaの方が分かっているかもしれない。これはある種の〝未来との戦争〟なんだよ。数百年後にotibaは生きてはいない。けれど、その時代を生きる子供達は少なからず存在する。未来はいつも不安定だし不不確定なもの。けれど、終末論者である政府の人間達には希望を踏みにじられてはいけない。その為にotibaのこれまでの二年ちょっとがあったわけだからね。人間として大事な何かを失わないように、人間としての大切な尊厳を守り通すために、未来を掴み通す為に、〝世界を動かす人間に内在する〝希望〟を守ってくれないか?〟」
「勿論ですよ。人間はそんなものじゃないだろうと、試されている、そんな気がします」
「そうだよ、試されているし、試している。悪い事をするのは人間だけど、良いことをするのもまた人間だからね」
長くなってしまった、ごめんね。最後にこれだけは言わせてくれないか? 輪廻はそう言い、言った。
「終末論者の頭に濁点と鉛玉を打ち込んでくればいいさ。エコも濁ればエゴになり、徳も濁れば毒になるのだから」
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