慢性的な避暑地 ⑤

 私は風俗店の建物の中に入った。建物の中はとても人間の匂いが染みついている場所で、人間の生臭さのような悪臭に似た匂いが立ち込んでいたし、けれどもお母さんが働いているお店ということもあったから、私は半ば興味みたいなものもあったし、迷わずに足を踏み入れた。


 受付と見られる所には一切受付の人間らしき人間はいなかったから、すんなりと奥へと進むことが出来た。私は椅子に腰掛けて順番待ちをしている男の脇を通って更衣室へと入った。自分の下半身に少しだけ力が入ったのが分かった。とても緊張していたのだ。更衣室には沢山の風俗嬢と見られる女達が色々と雑談をしていたり、着替えていたり、少なくとも私のことを気にも留めているような人間は一人も存在しなかった。まるで自分がある種の〝フツウ〟側の人間なのではないのかとふと思った。勿論風俗嬢の女の子達馬鹿にしているわけではない、軽蔑の感情を誰か他者に押しつけて〝ねぇねぇ、私ってフツウの女の子でしょう?〟と言いたいわけでもないのだけれど……ただ、自分の性別を売り物にしている人間というものがどこか、自分は嫌いだった。


 下着姿になっている女の横を通ってトイレに入った。お店の中に入ってからやっとこのトイレの中で一呼吸つくことが出来た。瞼を瞑ろうとも、瞼の裏には下着姿の女の子達の姿がじっと染みついていた。お母さんもこんなところで働いているのだと思うと、すぐにでもあの人を嫌いになることが出来た。自分は簡単に想像することが出来た。お母さんの身体に見知らぬ男の生殖器が入ったり出たりしているところを。容易に嫌いになることが出来た。でもそれは私のお母さんだけじゃないのだとも思った。さっき自分が通ってきた更衣室にいたあの女の子達も、知らない男のペニスを抱えた痕が下半身に残っている。私にはどうしても自分の性別を売るという考えが理解できませんでした。


 私はこの自分が今いるトイレの中でどれだけの精子を受け止めた女の子がこのトイレを使っていたのだろうか? という自分の感覚を逆撫でられた様な、気持ち悪さを覚える思案が突如として登場してしまって、急激な疲弊感と吐き気を覚えた。お腹の中で感じることが出来る消火しきれない感情は、まるでテーブルマナーも知らずにテーブルを使って異性とダンスしている泥棒猫をどうすることも出来ない位置で、ずっと見続けることを強要されているようだった。 自分の下半身は何故か、生臭さを抱える空間で、疼きを覚え始めていた。けれどそれはotibaが自分の中から欠落した時からそうだったけど、でも今回の疼きは違うテイストを帯びていた。私はすぐさまトイレを出て、店も出ようとした。けれど一人の男に私は声を掛けられた。突然のことに驚いた。自分はその場に足を止めた。男は私の後ろ姿を見ながら言った。


「ねぇお嬢ちゃん、うちの女の子たちじゃないでしょう? 風俗に興味があるのかい?」


 私は、そうです、とも、そうじゃないんです、とも――どちらとも言うことが出来なかった。 けれど私は首を横に振った。けれどそれは〝いいえ〟ではなく〝分からない〟であることは私しか分からない。自分が何を求めているのかが分からなかった。けれど下半身の疼きは遙かなる沸点を超え、明らかに彼の色彩を催促している。催促が頭の中でうるさい声で騒ぎ立ててくる。男はもう一度言う。


「どっちなの、うちで働いてもいいよ? お嬢ちゃんくらい可愛い子なら、沢山男性が相手をしてくれるよ」



 ***



 それは自分が家の中で寝っ転がりながら意識を〝天井〟へと向けている時だった。


 自分の狭い安堵出来る見地に一つの想定外の音が鳴り響いた。それは家の扉が開く音だった。誰が帰ってきたのだろうと思った。あぁ……蓮花以外、無いか。自分は身体を起こし、瞬間、一ヶ月以上顔を見ることもなかった蓮花を自分は捉えることが出来た。自分が帰ってきていることを蓮花も気づいたようだった。我々は互いに視線を合わせた。それはとても長い自分達なりの抱擁だった。


「帰ってきたんだ、急にいなくなって」


「まぁね」


 その〝まぁね〟には何も不満なんて込めてない。自分の方こそ不満を向けられる側だと思った。蓮花の表情を見る限り、少なくとも〝不満〟に似た表情は見受けられなかった。もう自分のことなんて諦めているのかもしれないと思った。それ以上は何も考えたくなくて自分は蓮花の表情だけを見つめていた。蓮花はベットに乗ってきて、自分に本物の抱擁をしてみせた。温かい肉体を感じる事が出来た。それはとても自分の心を温めた。自分達はキスをした。自分の方からキスをした。自分は蓮花の身体の至る所にキスをしてみせた。彼女はそれに対して微笑を浮かべていた。


 そして上半身の服を脱いだ自分達は、主に蓮花の方からだったけれど、ベットに潜り込みながらこれまでの一ヶ月の間、何をしていたのかを互いに話し合った。蓮花はもしかして自分のことなんてもう見捨ててしまったのかも知れないという想いは正直言って存在していたから、けれどそんなことはない、と蓮花は自分に言ってくれた。


「貴方は一ヶ月以上、主に何をしていたの?」


「仕事、かな……」


 それ以上は言えなかった。そんな事よりも蓮花の幼稚な乳房が背中に当たり続けていて、その事にしか意識が向かなかった。蓮花に胸部を撫でられながら、自分は眠った。壁をみつめながら眠った。そんな自分の身体を、蓮花はずっと撫で続けていた。


 そして、睡魔が自分を襲ったんだ。


 でもそれが本物の睡眠ではなく偽物の睡眠であることは今回だけは例外で、自分は再度、本物の睡眠に襲われたんだ。現実からの乖離を果たしたんだ。自分の意識は蓮花の妖艶な手遣いから飛び去った。

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