第一歩 ⑦

 ――コールド・オブ・ナーの本部に自分を連れて行ってくれた男(自分は〝彼〟と呼んでいる(本人は〝友達〟と呼んでほしいらしい))から自分は一度個人的に話さないか、という誘いを受けた。

 コールド・オブ・ナーの人間と記憶フロッピーディスクの売人、という、肩書きを一度側においた一個人としての遊びの誘いだった。彼の方が年上だろうけど年齢も近いし自分は一度も家に帰っていなかったからすぐさまその誘いに乗った。


 我々は小さなカフェの端っこのボックス席に座って、互いに飲み物を頼んでそれが来てから本格的に話をし始めた。彼は前に会った時よりも表情が柔らかく見えたし、ああこっちの方が本当の素の状態なのだろうな、と思った。コールド・オブ・ナーの戦闘服を身に纏っていないというのも関係しているのかもしれない。

 カジュアルな年相応の服装を彼はしていて、それと比べると自分の方が危ない奴に見えるだろうなと思った(真っ黒なパーカーに真っ黒なズボン、ベージュの帽子は夜という景色に紛れやすい)。自分は、少しの期間で彼と物凄く親密な関係性にとまではいかなくとも、仲が良くなっていた。まずは彼の方から話し始めた。


「otibaもさ、大変だったよね、ボスに手を組もうじゃ無いかだなんて急に言われてさ……まぁそういう人だってもしかしたらotibaだって分かってたかもしれないけど……ああいう人なんだよ、あの人は。裏も表も無い。だからこそ時折弱ったような表情を見せたりするんだけどね」


「そうなんだ。自分としては芯が通っている人間だなって思ったよ。自分だって否定されなかったし」


「そうなんだ。otibaすごく女性的だもんね」


「見た目はね。中身はまぁ……まぁまぁ、って感じだけど」


「いいんだよ、それで。別にさ。でもなんでそんなに女性的なんだろう? 僕が男らしいっていうのもあるけど、でもotibaは誰かと比べなくとも中性的だよね」


「分からない。ベビーフェイスだとはよく言われるね。でも思うんだ。悪者ってみんな悪い意味で大人びてるでしょ? でも正義のヒーローみたいな奴は案外幼い顔をしていたりする。そう言われると嬉しいね、案外。正義のヒーローは幼い顔をしているみたいなそんな法則があるように感じられるけど、どうなんだろう?」


 その言葉に彼はクスクスと微笑を浮かべるところを見せた。まぁね、と呟いて。その後一呼吸おいてから言った。


「僕たちコールド・オブ・ナーが何をしようとしているか知ってる?」


「いいや」


「興味無い?」


「そういうわけじゃないけど。まぁでもただ、ボスが〝世界を動かす人間の保護が……〟って言っていたのは覚えてる。でも逆に言えばそれしか覚えて無いとも言えるけど」


「そうなんだ、まぁ別にいいよ。ボスはね、表ではそう言ってるんだろうけど、本当は自分が自分の元いるべき世界に戻るために世界を動かす人間を保護という名目で捕まえて、そして世界を動かす人間のエネルギーを掠め取ってからそのエネルギーで虚空実験を成功させたいんだろうなって僕は思ってる。事実かどうかは分からない。けどそんな予兆は感じてる。」


 自分はまだ温かいカフェオレの入ってるコップを唇に当てながら、考えた。それは自分が少し前――それはボスと邂逅した直後に家に帰る事を選択せず、電車に乗ってどこにたどり着けば満足なのかも分からずにただ佇むことを望んでいた時の事だった――自分は別に、記憶フロッピーディスクを体内に入れ込み、記憶旅行の副作用の睡眠を求めたわけでもなく、別に自分の身体は睡眠を求めてもいなかったから、記憶フロッピーディスクは直近ではただ蓮花にだけ注入したとしても自分の身体に入れることはなかった。


 でもその時の自分は、電車の中で、ただ一点だけを見つめていた途中で、眠ってしまったんだ。


「元いるべき世界、って言ったけれど、それってなんのことだったりする? 言える範囲で良いから教えてほしい」


「これは僕の純粋な推論でしかないんだけど聞いてくれるかな?」


 もちろん、と胸の中で思いながら頷いた。


「まず、虚空実験は異次元に繋がるポータルを作り出す実験だっていうことは前会った時に話したと思うんだ。それでね、その作り出されたポータルはどこに僕たちを連れて行ってくれるのかと言うと、それは分からない。けれどボスはその〝どこか〟に戻ろうとしているように見えるし、だってそうでしょう? ただ普通にこれだけその〝虚空実験〟に固執している理由が他に見当たらないんだ。ぶっちゃけあの人は戦闘を好き好んでしている人じゃない。本当は平和主義者なんだよ。普通に生きていれば人を殺す事なんてしなくていい時代なのに、それをしている。まぁ第一、自ら手を染めるときっていうのは本当に欲しいものが手に入りそうな時だけなんだよ。少なくとも僕はそういう事実を知っている。それは紛れもない事実なんだ」


「じゃあさ、ボスが戻るべき世界って何処なんだろう?」


「……さぁね。でも……〝此処では無いどこか〟それだけだよ。あの人はotibaと同じ匂いがする。息苦しそうにしている。陸で生きる生物なのに水槽の中に放り出されたみたいに息苦しそうに生きている。ごめんね、これが悪口に聞こえたら」


「別にいいよ、事実だもん」


 ここから先、互いに会話らしい会話は無かった。カフェを自分達は三、四十分ほどで出て、それから少しだけ歩いた。歩きながら互いの女性に対する趣向を言い合ったりして、その頃には会話らしい会話が戻ってきていた。自分の笑顔が可愛らしいとも彼は言ってくれた。もっと笑った方が良いよ、とも言ってくれた。だがそれは申し訳ないけど、断っておくよ――その言葉は胸の中だけにしまっておいた。



 ――自分達はそんな〝一個人〟としての関わり合いを一度だけに留めておくことはなかった。彼は何度も自分を誘ってくれたし、その誘いに対して自分はその都度〝いいね〟という言葉を投げかけていた。


 自分の温もりがびっちりと染みついている、まるで包括的な内情のマクロな巣穴のような場所から自分を引っ張り出してくれる釣り糸と彼はなった。BARに誘われたらそこに自分は出向いて彼と会い、面白味のない飲み物を飲みながら、詰まるところ、自分にとっては退屈感の感じることはない新鮮味が全てを埋め尽くす時間を過ごした。

 互いの性に対する趣向の話をしたし、それは前に会った時にしていた〝女性に対する趣向〟の話にも通ずる部分があったから、とても現実を自分達の手元から遠ざけることが出来るような、そんな楽しい会話をすることが出来た。


 ――それが何回目に会った時なのかは覚えていないけれど(一週間の間に何度も、時間を開けてでも一日に二度も三度も会った時もあったから覚えている部分が少ない)、自分は彼とBARでの再会を果たしてその去り際に彼にこんな事を言った。


 ――〝もう日常に戻らないといけない気がするよ。それが気のせいならいいんだけど、そうじゃない事は他を見るより明らかなんだ。自分を待っている人がいる。多分、待っていると言って良いと思う〟


 ――そう言った事に対して、どう思ってほしかったのかは今の自分には到底分かりっこないが、彼は胸元から無いに等しい言葉をなんとかき集める様子を見せながら――その様子はまるでかき集めた言葉達を一つの構造部に仕立て上げるプロセスを敢行中の芸術家のように思えた――完成した構造物を、粘土細工を親に手渡す子供の様な仕草で彼は言った。


 『――そっか、ならしょうがないね。別に会えなくなる訳じゃないし、いつでも会えるよ。一、〝友人〟としても、そうじゃない存在としてもね。待っている人間がいるなんて羨ましい限りだよ。僕に待っているものとすれば、任務か死、それだけだから』


 そうだね、そう呟いた事が今でも正しいのかは分からない。


 自分は〝そこ〟にいるべき存在がただそこに等しく存在しているのと同じ様に、〝ここ〟にいるべきだからと、自らの住処に帰る事にした。


 ――存在すべき場所にいるのが結局落ち着くのだと思えた瞬間を迎えたのは、自分が家を飛び出し(もう昔の事として自分の身体言語が捉えているからか、朧気で抽象的な表現しかできない)、それが必然であるかのように日常の雑音から逃げ出してホテルに駆け込んだその時以来であった。

 自分は自分の家に帰ったとき、懐かしさすら感じていた。日常がそこに続いていて――一ヶ月弱ほど前の日常のその〝続き〟が地べたに転がっている気がしたし、それはまさしく事実だと言えることでもあった。何ら変わりない情景のように思えた。


 けれど、それが自分の〝勘違い〟であり、次の瞬間には、頭の中で描いていた現実と違っているという事実を自分は投げつけられた。

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