第一歩 ④

 自分が男に連れられて彼らの――彼は自分達の住処に着くまでの道中で自分の名前を語らず〝友達〟と呼んでください、と言った。

 自分はそれを拒もうとはしなかったし、内心では彼は〝彼〟以外の何者でもないと自分は感じたから、呼ぶときだけ自分は〝友達――時々〝トモ君〟〟と呼ぶことにした。自分達は着くまでに色々な事を話した。それは〝架空の記憶を植え付けられている民衆〟の話であったり〝虚空実験〟という、この世界と別の世界をまたぐ〝入り口(彼は〝ポータル〟と呼んでいた)〟を作り出す実験の事だとかを教えてくれた。


 そしてそのような話をしている内に、自分は彼だけじゃなくコールド・オブ・ナーという組織そのものへ対する認識が変わったような気がした。けれどそれはただの彼の好意的な演技に過ぎないのかもしれないという思案が頭の片隅では進行していて、あれもこれも全てまぁ全て行ってみれば分かるだろう、という所に自分の気持ちが落ち着いたところで彼らの住処――拠点へと着いた。


 ――彼らの拠点は寂れたホテルの最上階のフロアを占領する形で存在していた。


 自分は、寂れ、小洒落てもいない薄汚いホテルの雑居感に多少引いたが、本当にこの世界で色々と工作をしたり上手く立ち回ったりするならばこのような薄汚くてしょうがない場所の方がやっぱり良いのだな、と思いながら、ホテルの中にそのまま入ると、フロントのお姉さんが少し驚いた様で自分を見てくる。


「客です。久しぶりの。一般客を通さないで頂けると嬉しい」


 裏社会科見学に来てしまったのかもしれない、自分は少しばかりの気持ちの焦りを体感し、汗が背中を垂れていくのが分かった。


 フロントの女性が、左様で御座いますか、と言うと、自分の背中のどこか遠くの方でガチャ、と扉が施錠されるような音が聞こえた。それは重く、そして自分の心を硬く施錠させるような息苦しさがあった。 このホテルはコールド・オブ・ナーが管理しているようだった。一般客も多少は入れるのかもしれないが、こんな寂れて中心地から外れた場所にあるホテルなんて誰もこないだろう。自分は彼に連れられてエレベーターで最上階のフロアへと上がった。


 ゆったりと、だが着実に昇るエレベーターはまるで水脈を脈々と登る竜。欠落を帯びていそうなエレベーターは最上階へと辿り着いた。扉が開く、匂いがエレベーターに蔓延してくる。……もやっとした生々しく温かい、シケモクと精子の匂いが自分達の乗っているエレベーターへと入り込んできた。自分は思わず口元と鼻を手で押えてしまった。


「まぁ、そうですよね。僕だってたまにそうなります」


 慣れればいい、という様な問題じゃないと思った。


 化学薬品や思想や欲やその具現化となったような、精子やらが一辺に襲来する酷い有り様のような匂いが感じられた。

 罪も欲もエゴもドレスコードにはならないが、此処で生活をしている(であろう)人たちは、自らの人生の背後に存在する薄汚さや、欲や悪い意味での人間らしらに気づいているのだろうか。自分とは対極にいるのだろうか? 分からないが、一つ言えることがあるとするならば此処まで連れてきてくれた彼がこんなところでよく寝泊まり出来ているな、という感想だけだった。


 戦火を体現するかのような雰囲気が空間を取り巻き、部屋から廊下へと流れ込む欲の匂いに気持ち悪さを感じながら、自分は彼に連れて行かれるがままに奥へと進んだ。どこかの部屋から喘ぎ声が聞こえたりしてきた。


 彼は自分を〝ボス〟と呼ばれている男の部屋に連れて行ってくれた。それはホテルの普通に見える普通の一室で、圧迫感に似た不穏さが蔓延る空間の雰囲気さえ除けば良い組織が作れるだろうなと思った。彼は、二回そのボスの部屋のドアをノックし、中にいるだろう男の〝入ってこい〟という言葉に続くように自分達は入った。

 部屋の中は大きなダブルベットが一つと、ウイスキーで埋め尽くされた小さなテーブル一つだけで、自分達はベットの縁に座るように指示された。男は彼に「もういい、二人で話をさせてくれ」そう言うと、彼は指示された通りに退室した。


「ボスって呼んでくれや。それ以外の呼び名なんて俺は持っていない」


 ボスは葉巻を咥えていた。自分なんかよりも強靱な肉体をしていたし、その差と言ったは成人の男性と未成年の女子くらいの差があると言っても可笑しくなかったし、まるで武器をそのまま肉体に染み込ませたかのような強靱な身体は人を殺すのに十分な様に思えた。

 部屋には、まるで何も見えなくなるくらいに赤いルージュ塗り潰された絵のような花の匂いと、煙草、ドラッグ、ドラッグを使って空いた胃に、まるで答え合わせをするかの様に埋め合わせを施す為の食べ物が少しだけ。生鮮食品もそこにあった。


 自分は部屋を見渡している間に、ある一つの事実に気がついた。それはこの部屋に窓というものがないという事だった。そして(ただ、それだけではないけど)自分はこの組織が――少なくとも目の前にいるこの大男は〝慣れてはいけないものに慣れている人間〟なのだなという事が分かった。

 自分は、ベットの縁に座ると、ボスは、重い足枷の付いている足を動かすかの様な、そんな口調で言ってきた。


「この世界が可笑しい、まあ可笑しいだなんて抽象的な言葉を用いても伝わらねぇだろうから、ハッキリと言っておくけどよ――コールド・オブ・ナーっていう組織は〝政府〟の悪事を暴くっていう目的を持って人間達の集まりだと思って貰って良い。よく巷では〝戦闘狂の人間しかいない〟だなんて言われているが、まぁ貧弱で虚弱的な身体を持っているお前が入ることの出来ないくらい戦闘に対する能力が高い人間が多い事は確かだ。でも、うちの組織の哲学としては〝なるべく殺さない〟なんだよ。分かるか? 記憶フロッピーディスクの売人なんざ人殺しとそう変わらねぇ。だってそうだろう? 死んだ人間からしか採取出来ない記憶フロッピーディスクをお前は売人として生きる事が出来るくらいに持っている……なぁ? どれくらいお前は人を殺した?」


「いいえ、一人も」


「そうか。それは自分では手を下さないっていう事なのか。それとも言い訳して〝ただ殺し屋等々の犯罪者からその犯罪の証拠隠滅の為仕方なく記憶フロッピーディスクを受け取っている――はたまた買い取っている……〟と、言い訳をするのか? くだらねぇな。お前の人生。虚無だろう? 記憶フロッピーディスクを売るのなんて〝人間を売る〟のとそう変わりねぇ事だぞ、しかもお前はそれを平然とやってのける……なぁ、訊くが、〝お前の心は何処にある?〟」


 自分はずっと黙り込んでいた。


 自分の口から弾き出す事の出来る言葉というのが見当たらなかった。


「まぁいい、そんなガキ相手に説教紛いのことをしたい訳じゃねぇ。」


 ボスはそう言い、何か資料をベット脇から取り出してきて、それを自分に放り投げた。


「何が書いてるか分かるよな? 政府という強大な権力に手を貸しそうになったお前にはな」


「なんで知ってる?」


「俺も元政府側の人間なんだよ。だから、お前の事はよおく知っている。個人情報なんてあるようでないからなぁ? ……ほら。早く読め」


 自分は手元に放り出された雑多な資料を重い手つきで取ってから、その全てのページに目を通した。そこに書かれているどれもが自分が知っている事実とそうではない驚愕の事実の繰り返しで、この時に初めて、自分がどれほどまでに自分が思っているよりかは〝無知〟であるのかを、思い知った。自分は資料をボスに返した。


「別に大層な話をしたいわけじゃない。別にそう難しい事を言いたい訳でもねぇ。ただ、自分達がどれほどまでに脆弱な立場にいて、無知であるかを知らなきゃなんねぇってだけの話なんだよ。お前だってそうだろ、事実に基づいて出来ている思案なんてどれほどある? 無知なんだよ、俺達は。力を持ちすぎているんだよ、政府は。現時点では暴発をしていないからいいもののこれからどうなるのかは分からない。杞憂で終わってほしい、だなんて寝言でしかない。寝言は寝て言うものだ。そして、この世界において、睡眠とは違法なものとして扱われている。それはお前が一番分かるはずだ。――夢に、睡眠に逃げる事すら俺達は出来ないんだよ。仮にもし睡眠という自らを何処までで許容してくれるベールの中で夢というものを見たとしても――勿論夢の世界には、悩みも、体調不良も自殺の想念も、退屈も屁理屈も何もかも存在しない――だが、それでもいつかは俺達はこの世界に戻ってくるんだよ。何か、大切なものを探す様に」


 自分は深い溜息をついた。吐いた溜息が重苦しく、床を這い地を這って気象すら変えてしまいそうだ思った。自分はますます現実が何であるか分からなくなっていた。資料を読まなくとも、もう現実はお腹いっぱいだった。


「それがネガティブな話題かどうかはお前が決める事だ。それをポジティブな話題であると精査し、下腹部に無理矢理自らを納得させるが如く落とし込むかどうかもお前が決めることだ。ただ、〝その事実〟そのものに良いも悪いも……ない。それをどう捉えるかはお前次第だ。別にお前がどう思おうとも構わない、そのまま自殺の方向に行進を今ここから始めようとどうでも良い。でも俺もお前よりは長く生きている事も確かだから、これだけは言わせてほしい――〝自分の人生を消化試合にするな〟」


 自分は軽く頷きを見せた。それがボスからどの様に見え、どのように彼のイメージの中で自分自身が描かれているのかを知る事は出来ないが、ただボスの表情は何かある程度の着地点に着地を果たすことが出来た、と言わんばかりの表情がそこに存在していた。


「覚悟があるならいい。お前に一つ話をしよう」


「話?」


「政府の話だ。もう訊いたかもしれない。けど別に良い。俺からも話させてくれ。この世界はずっと暗礁に乗り上げてしまった様に、いつからか姿を変えてしまった。それまでの世界を俺達は知らないが、先人達は知っている。大きな事件があったんだ。その事件に関して記された本を読んだことがお前はあるか?」


「いいや、ないですね」


「そうか、ならいい。俺は読んだ。その事件というのは〝虚空実験〟に関しての事だ。……その表情を見る限り知っているな? なら話しが早くていい。説明するならば、異次元へのポータルを作り出そうと政府の連中達は計画していたんだ、でもそれにも〝膨大なエネルギー〟が必要であることには変わりが無い。この世界がなんなのか、それは俺にも分からないがただ一言えることがあるとするならばこの世界というものは人間の〝意識の集合体〟そのものと言えるということだ。この世界は、人間が持つ〝気持ち〟だったり、内在的なエネルギーが中心に存在していて、だからこそ、希望という名のエネルギーを失った人間は急速に廃人と化す。お前も生きていて思うだろう? 〝天国がどんな所で地獄がどんな所かは分からないが、少なくともこの世界は地獄である〟と。二十歳を超えれば価値があるとみなされる人間は殆ど居なくなるし、つまりそれは希望を失っているからなんだよ。理由としては、政府がエネルギーをかすめ取っているからなんだよ。単純なことさ、政府は先人達の世代、何百年も前なのか、それよりも最も最近のトピックなのかは年代までは記されていないから分かりやしないが、その頃から〝異次元〟と繋がる事に価値を見いだしていたんだ。それは紛れもない、今現在までも続いている。でも逆説的に言えば、先人達の世代の頃には失敗をしたって事でもあるんだよ。そうだろ? 今こうして〝この世界〟で俺達が生きる事を許されているのも、また不思議な話なんだよ。架空の記憶を植え付けたことだって、よっぽどの事が無い限り政府様と言えど現実的に難しい部分はあるだろうよ。でも、架空の記憶が俺達には植え付けられている。その事を一番最初に発見し、広め伝える事に専念していたジジイがいるが、そのジジイが一番最初に表現した――〝架空の記憶が植え付けられている〟という表現が今の今まで伝わってきているわけなんだが、でも俺からしたらその表現すらどうなのかなって疑問に思ってならない。教育なんて選択肢が無きゃ洗脳と実質的な大差はないが、でも究極の支配というものは〝選ばせる〟ことなんだよ。選択肢を用意し、その中から選ばせる。それが完全なる支配。悪い、話しが長くなった。何が言いたいのかと言うと、政府はこれからの時期、本気で虚空実験を現実的な試験段階にまで確実的に成長させてくるぞ。そうなると街に廃人もより増えるだろうよ。自然から乖離しすぎた生物に待っているものなんてただ一つ、自滅か破滅しかないのに、この遠くを見ることも許されない超高層ビルときたら……俺だって嫌になるよ」


 ボスは漏らした溜息をまた再度肺に戻るように召集令状をかけるかのような姿でどこか〝ここ〟ではない遠く、を見つめ、何か頭の中で体内が受け付けない嫌な喧騒の独り言と言い争っているような様相を続け、それがまるで周期的に起きる発作のような形で落ち着くと、自分のことを見つめながら一言呟いた。


「俺と手を組まないか。いいや、俺達と、だ。お前に拒否権はない。我々はお前が一人の女性と最近仲良くなり始め、同じ家に住み、セックスをし――それは大層にワガママなセックスだったそうな――お前が好き好んでいるのかは知らないがその同棲をしている女性が薬物依存者であること、記憶フロッピーディスクの売人としてのお前との関係性が一定期間存在したこと、全て我々は知っている。基本情報ならば何もかも知っている。だけれどただ一つ完全なる唯一なる疑問として、お前の後ろ盾の組織と個人組織問わない〝目的〟そのものが一切分からない。なぁ、いっそ教えてくれないか?」


 その言葉には、罠に似た、波に似た起伏が沢山存在している様に感じられた。どの波に沿おうとも自分の手足の自由が効かないような、そんな感覚に襲われた。


「言うわけないでしょう」


「だろうな」


 一口サイズの時間だけボスは、花と見つめ合った。葉巻が呼吸と同等の頻度であるのと同じ様に、一定のリズムで花との対話が始まって、それが終わると、また自分の方を向いて話した。


「俺達の組織の目的は〝世界を動かす人間〟を保護することだ。世界を動かす人間、その存在を知らないとは言わせないぞ? メディアにも取り上げられたが数ヶ月前にフードコートでの奇襲作戦があった。勿論俺達コールド・オブ・ナーがやったものだったがその意図というのは世界を動かす人間の保護それだけだった。なぁotiba、俺達と手を組もう。再度言うのは下品かも知れないが、それは間違い無い事実なんだ――お前には、拒否権なんざない――」

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