第一歩 ③

 三日間のホテル暮らしが終わり、夏の間の異常な寒冷日というのもあっという間に過ぎ去った。

 通常の夏が戻ってきていた。とても蒸し暑いとまではいかないが熱帯夜の訪れを一身に感じる夜を過ごしたりもした。


 自分は人と会う約束をしていたから、それに向けてホテルを午前の九時前には出た。人出がいつもよりも多いように感じられた。巣穴からうじゃうじゃと出てくる虫のように懐かしい人出の多さだった。慢性的で緩慢な雰囲気が街を包み込もうとしていて気持ち悪さを感じそうになった。人と会う約束というのは輪廻に頼まれた〝コールド・オブ・ナーのメンバーの一人〟と会うという約束だった。輪廻に会いに行ったその日のうちに、その会ってほしいと言われた人物についての詳細な情報が自分の持っている媒体へと送られてきた。


 そいつは自分と近しい年齢の人間だったし――顔写真も送られてきたのだけれど――顔つきだけ見ればなんでこんな若い人間がコールド・オブ・ナーなんていう組織に入っているのか気になってしょうがなかった。

 ただ興味があれば入れるという類の話じゃないし、戦闘を辞さないような戦闘に対する軽い思考を持っている人間が多いと聞いていたから――人殺しの一つや二つは優に簡単なのだろう。自分はそんな事を思い出した時、ふと、まるで背後に回り込まれて下腹部にナイフを突きつけられているかのような妙な身のむずかゆさを覚えた。


 ――自分はフードコートへと向かって(一年の中で一番人出の多いこの時期のフードコートには人々が多く見受けられ、その多さから騒然な匂いが消えることはない)。半地下となっているフードコートの天井にほど近いガラスの部分から中を覗き込むと、普段じゃ有り得ないくらいの人々が各々のコミュニティーに属し、そして多少のささくれた空気感を保っていた。これほどまでの人間が普段どこに隠れているのだろうかと思った。と言っても、巣穴が恋人みたいな人たちだから、そうそう街で出会う事も無いのがスタンダードなのだが……。


 自分は自分が嫌な匂いが至る所にこびりついているフードコートへと足を踏み入れた。そして、すぐさま〝メンバーの男〟を探し出すと、自分はそのメンバーの男が座っている席に歩いていって男の目の前に座った。

 男はとても若かった。写真で見た時よりも年齢が低く思える容姿をしていた。男は自分に握手を求めてきた、自分はそれに迷いながらも拒否を示した。自分が他人に信頼をそう簡単に抱くことはない。頭の中の騒然さがホテルで暮らしているうちに取れたからか、現実がやけにうるさく感じられた。自分の嫌な匂いが感じられる。時々頭痛をも発生させる。

 自分はふと、周りで少し叫んでいたり、女の胸元に手をいれていたり、機嫌が悪いカップル達を見て思った、〝自分は頭の中の騒然から解放されて、けれども現実からの解放はされないのだな〟と……。低俗なものがなにもかも嫌いだった。


 若々しい新鮮な身体を兼ね備えている男は言った。


「otibaさん……で、いいんですよね? 僕はそう聞いています」


 可愛らしい少年のような笑みで男は――いいや〝男の子〟のような彼は言った。


 ええそうですよ、と自分は答えると、それはよかった、と男は自分に笑みを向けてきた。それは自分が抱えていた緊張を程なくして解いたし、自分の表情が段々と柔らかくなっていている事が自分でも分かった。


「単刀直入で申し訳ないんですが、otibaさんは〝どこの後ろ盾〟を以てここまでこれた方なのでしょう? ……いえいえ、これは別に個人的な興味などではなく、組織代表の人間として訊いてこい、って……組織の上の人に言われたのです。その表情、とても疑っている表情ですよね? ……まぁ、分かります。そりゃあ僕みたいな貧弱で頼りなさそうな人間……信頼されることもないですよね。僕、いつもそうなんですよ。初めて会った人間から頼りなさそうだって言われて、まぁ、初対面でこんな事をすぐさま言っちゃうっていうのも一つの悪い部分かもしれないですけどね」


 自分は黙っていた。


 どのように返そうか悩んでいたり自分の素性をどこまで隠しと通せるのかを考えていたりする訳ではなく、ただ単純に、後ろ盾がどこであろうかなんて更々話すつもりなんてものはなく、どこまで〝相手の情報〟を聞き出せるか、ただそれだけを考えていた。自分が輪廻という神様と繋がっていて、その輪廻から色々と指示を貰い動いている――未来の世界を動かす人間の保護をしているのも自分である、その様な様々な〝自分〟に起因する事柄を考えてみると、自分は自分の事を何一つ話せないな、と改めて思った。自分の沈黙は男が話し出すまで続いた。


「……僕のことを嫌いになっちゃいましたか?」


「いいや、そういう訳じゃない」


「そうですか、それは良かった。初対面でこれまたこんな事を言ってしまうのはあれかもしれないですが、言ってしまいますね。僕ね、貴方様のことをよおく知っている人間なんですよ。でもでもでも、一般レベルの人間が持つ情報程度なのですけどね。いつもはそうじゃないんですよ、調べ始めたら洗いざらい情報というものは見つかりますし、そう……〝個人情報〟なんてものはあるようでないんですよね。だって調べればいくらだってバレちゃいますから。でも……貴方に関しての情報は調べようとしてもほとんど出てこないんですよね。何故でしょう?」


「さぁ、何故でしょう?」


 反芻した起伏のない口調は、言葉の意味を浮上させたり沈めたりする。


「otibaさんが話さないことは予想をしていました。だって、調べようとすればするほどに分からなくなるんですもの。普通の人間じゃこうはならない」


 男は、自分の硬く動かない表情を撫でるかのような目つきでそう言った。


「僕がなにを言いたいか分かりますか? ……分かるでしょうね、貴方には。僕はね、otibaさん、貴方が属しておられる組織だとかグループなのかもしれないですけど、その所属している所はね〝我々が観測する事の出来ないグループ〟なのですよ。それは貴方にとっては好都合かもしれない。でもね、じきに我々のグループも〝そこ〟と同等のレベルにまで辿り着く予定があるんです。あくまで予定程度のものだと思いますが。……まだ下っ端ですから、それ以外はなにも僕には聞かされていません」


 色々と話を聞いている中で、輪廻たちの存在が〝我々には観測する事の出来ないグループだ〟と男は言ったのだ(勿論、それが輪廻だという事はわかっていないのかもしれないし、神様であるという事も分かっていないのかもしれないけれど、同等の部分までは〝辿り着く予定である〟と男は言った。それに関しては自分は凄く驚いた。もしかしたら、自分が使っているムーンライトのようなものを開発しているのかもしれない、とも思った。

 仮にもしそうなった時には〝世界を動かす人間〟の深層意識下に入ることが出来るというのとも同義だから、それは防がないといけないことでもある)。


「貴方達はどこまで知っているんだろう? 自分は別に普通ではないかもしれないけど、人間だし、多分貴方たちが分かっている自分のことも多分だけど記憶フロッピーディスクの売人をしているっていう程度の話だと思うし、そんな特別なことは……自分からは見つけられないと思うけど」


「ええ、そうかもしれないですね。だって、〝悪い情報だとしても良い情報だとしても、本当の情報というのは一切表に出てくることはない〟というのが、この世界の常識のようなものですしね。でも、記憶フロッピーディスクの売人という事自体が我々には引っかかるんですよ。記憶フロッピーディスクというのは死んだ人間からしか採取出来ない……となると、貴方が大量に持っているであろう記憶フロッピーディスクは、貴方が死んだ人間から沢山記憶フロッピーディスクを採取してきた、という事と同義なのでは……? さぁ、これをどう説明しますか?」


「別に、どうとでも説明出来るでしょう。自分が殺した訳じゃ無い。ただ、記憶フロッピーディスクを業者に専門で売る業者から買っているだけで、自分自身が手を下したわけじゃない。」


「なるほどねぇ……まぁ、それはいいです」


 男は言うと、ワイシャツに下は黒いズボン(スーツの格好を間借りしたみたいな服装)という服装をまじまじと自分に向かって見せつけるように胸を張って、ワイシャツの一番上のボタンを一つ開けた。暑そうに、けれども本筋はそこではないどこかにあるのだと自分は気づいていたし、それは正しかった。


「一つ言い忘れていました。我々は、コールド・オブ・ナーは、別に貴方に敵対をしている訳じゃないという事を言わせてください。しかもその逆。一緒に手を組みたいなと思い此処にやってきた所存なのですよ」


 自分は席を立とうとした。けれど男がそれを止めた。


「帰ろうとしないでください話だけでも訊いてください! 本気なんですよ。こっちは。」


 自分は、溜息をつきながら席に戻った。男が、ふぅ、助かった、帰られたら困りますよ……とでも内心呟いているだろうなということが容易に想像出来た。男のワイシャツが汗に濡れて筋肉質な身体が多少垣間見えた。こんな筋肉質な身体を持って(身体自体が小さい事は事実だけれど)何故〝貧弱で頼りなさそうな人間〟だなんて自分に言えたのだろうか。その事に怖さも感じてくるよ。


「……政府が何をしたのか、知りたくないですか?」


 自分は、一瞬息が止まった。知りたい、と、渇望の感情が止まらなくなった。


 止めどなく溢れるようなその感情は、自らの表情にも表れたのか――そして男はそんな表情を察知したのか、にやっ、っと表情を軟化させた。

 何を考えているのか分からなかった。少なくとも自分の良い方向に持って行ってくれるものであるなら何でも良いと思った。男は突然席を立って、自分に言ってきた。


「コールド・オブ・ナーの拠点に招待します。今からです。僕と一緒に行きませんか? きっとあなたが望んでいたり、面白いと思えるようなものが見ることができるはずです。何故、この世界は太陽が死んでいて、民衆は一定より過去の記憶を失っていて、架空の記憶が植え付けられているのか。知りたくありませんか? さぁ、どうでしょう?」

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