第四章

第一歩

 夏という季節感に酷く、そして混乱をきたしながら辟易を覚えている感覚の中で、複雑にからまる胸中は今も絶えず蓮花とのセックスを反芻している。


 ――自分は輪廻との会話を終わらせた後にすぐさまホテルを取った。それは自分の人生そのものに必要なものであり、それは必然とも呼べたけれど大方今の自分にはとても都合の良いものだった。

 蓮花との距離を取りたかった、そう言えば良いのかは分からないけれど……。自分は雨降りの月曜日を歩いていて、傘などは差してはいなかった。別にそれで良いのだと思った。気が済むまで歩き続ける中で雨脚は自分の心の内部を描き出しているかのように強くなっていった。


 まるで世界に存在する多勢な〝嫌気〟が沢山自分の元に突撃してくるかのような感覚に息苦しさが芽生える。すぐさまホテルに入る。もうこの頃には雨は街を濡らしきっていた。こんな天候は久しぶりだった。高級感のあるホテルだった。

 今の人類には少し勿体ないんじゃないかと思うほどに装飾されてる内装に〝非現実〟を覚えたし、それによって自分が日常に常々見てきている〝現実〟は本当に〝現実〟と呼んで良いほどに、悪寒を覚えるほどに心地の悪いものなのだなという事が分かった。

 今の自分は非現実が現実であり、現実は今ここに存在している。フロントでの受付を済まし、少し奥まった所にあるエレベーターに乗って自分が過ごす部屋まで移動する。三泊取った。蓮花には一言も言わずに来た。


 ――部屋にたどり着くと、すぐさま服を全て脱ぎ捨てた。淡い光が覆う部屋は、一人が過ごすのにはちょうどいい狭さだった。


 全裸になるとすぐさまベットに身を投げ出した。そして、自分はいくらか考え事をしていた時に、睡魔に襲われそうになりながらも、身体を起こした。そうしてみると気怠い身体の残像が〝そこ〟に未だに豊潤で絶妙な残り香と共に残っている様な気がした。部屋には小さな冷蔵庫と机と椅子、それにベット。大きなガラス窓があるだけでそれ以外は特にはなにも。ああ、あと浴室がある位だ。新しい匂いがした。自分ではない新品の匂いが。


 一息ついて、どうしようかと思った。自分が常々、生き急ぎ過ぎていることに気づかされた様な気がした。でもそれも仕方がないものだと言い訳してみる。〝余白が生まれてしまうと、そこに今まで見逃してきた感情の兵隊さんたちが一挙に自分の元に押し寄せてきて、余白が身体に、心に穴を開けてしまってそこに感情の兵隊さんたちが体内を食いちぎりに来てしまうからさ……〟と。


 余白に身を落とす事が怖かった。気づかなくても良い感情に気づきそうになる事も勿論あったし、反吐が出るほど自分の気持ち悪さを体感してしまいそうにもなるから。それが、怖かった。でも、色々と考えていく内に〝自分はなにもかも怖がってばかりだな〟という事に気がついた。……それに気づいた事が良いことなのかは分からない。だから、余白は嫌なんだよ。


 ――頭の中で音楽がずっとずっと鳴っているのが自分の人生の大部分を占めている事は確かだが、今はアンビエント系の音楽が肋骨と胸骨と、真空管を叩くような、そんな音が頭の中でひしめき合っている。

 それは、希望と憧憬を持った人間で溢れている成熟した未来都市の、ガーデンで紅茶を飲みながら聞こえてくる鳥の鳴き声の様に自然な音で、自らの肌を通って骨にまで浸透するその感覚が一身に受け取れる。自分はそんなアンビエント系の音楽を聴きながら情景に身を浸す事がとても好きだった。


 意識が自らの身体から乖離する、そして、身体という鎧を脱ぎ捨てる、そこに待っているものは……。そこまで、いいものではないという事だけは言っておきたい。もう戻ってこれなくなってしまうような感覚が身体を埋め尽くしてしまうからだ。そして、音楽は自分の人生の状況を心に映すまるで射影機の様なもので、調子の良い時には良い感覚をもたらし、調子の悪い時には悪い感覚をもたらす、そして、自分の脳内は今、とても騒然としていた。


 世界から一瞬、音が消えた様な気がしたのだ。そして徐々に戻ってくる世界の音……けれどそれは〝耳鳴り〟以外のなにものでもなく、自分はフラッシュバックした情景を洗い流そうと、すぐさ浴室へと駆け込んでしまった。


 ――気分が落ち着きを見せる頃には、浴槽に浸かって温まりきったはずの身体は冷えを感じ始めていた。 どれほど浴槽に浸かっていたのかは分からない。体感としては一時間を優に越えている位だろうか。何故こんな事になってしまったのかよく分からなかった。原因みたいなものがあるとするならば勿論蓮花のことだと思うし、でも、自分の人生の中にこのようなことは幾度となくあったから、今回もただ単純な〝不都合〟を身体が発症しただけなのかもしれないと思った。


 突然フラッシュバックしてきた情景が頭の中に騒然を生んだ。それはまるで、人混みの中に自分がただ一人周りから取り残されているような、自分をその人混みの中の〝異物〟であると感じてしまうようなそんな気持ちの悪い感覚で、人混みの中に存在している人間の中でただ自分一人だけが〝違和感〟を抱えている様な、そのような歪さも抱えた気持ちだった。騒然が嵐が去った後の様に静けさを自分に与えてくれて初めて気がついた事だったのだけれど、自分はこれまで――それはいつからなのかは分からないけど――混乱の芽みたいなものを兼ね備えていて、そして、それが徐々に、ゆっくりだけれど確実に肥大化していっていたのだと思った。


 そして、(大なり小なり存在はしていたけれど)頭の中の騒然さは肥大化していく中で混乱を僕に植え付け、そして、今さっきの大きな混乱を引き起こした、と……。


 体調不良を起こしそうなほどに浴槽に浸かっていた事実を体感するかの様に、身体は重みを抱えていて、自分はすぐさま湯船から出た。

 身体を拭いて――その時に自分の色白い身体を久しぶりにまじまじと見た。顔を見つめなければそれは女性の身体そのものの様だった。眠っているペニスの様相に、自分はとても興奮した――下着だけ着け、自分はそのままベットへと直行した。


 眠る直前、大きなガラス窓から外を眺めると、深夜帯の街が見えた、人々は眠りについているのか、元々数の少ない日中の時間帯から比べて更に人々が見えない様に思える。けれど、人々は飽和していると言って良いほどに存在している。自分はふと思った。人間は有り余るほど存在しているけれど、その中で〝正しい昔の記憶〟を持っている人間はどれほどいるのだろうか、と。


 そんな事を、朧気な頭で考えながら……その日は眠った。


 もうこの時には混乱や頭の内部の騒然さは完璧と言って良いほどに収まっていた。

 頭の中の騒然さが晴れると、現実がやけに静かに感じられた。

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