もう、いいんだ ④

 嵐が街を飲み込む姿を、ずっと自分は窓際に座り込みながら見つめていた。

 これじゃどこにも行けないとも思ったし、まぁ、蓮花がまだ昏睡に落ちているから何処に行くこともないけれど、とも同時に内心思った。

 緩慢に移りゆく風景に嫌な感情の大部分の処理を頼もうとしたけれど、それを台風は拒んだ。


 ――いいや、俺にだって運びたいものの選択肢くらい持たせてくれよ、と懇願された様だった。まるで外界から阻害された、切り離れたコンテナの様であると自分の住み着いているこの住処に対して思ったし、とても暇だという突如として押しつけられた余白に深層に眠らせておいた癇癪のようなもの再度浮き出ることを試みようとしているみたいに感じられたから、世界の所在地を変えている蓮花を横目に、蓮花のリュックサックを勝手に開けてそこから蓮花が買ってきたであろうパックに入っている卵を取り出すと、自分はそれを焼くためにコンロに火をつけて、すぐさまフライパンを使って焼いた。

 それを一口食べると、身体に水で流し込んだ。蓮花のリュックサックの中にはぬいぐるみが二つほど存在していた。自分とは本当に何からなにまで違うのだな、と思った。けれども、蓮花は自分の真正面に存在しているように思えたし、それが、良いのか悪いのかの判断がつくことは自分の中ではなかったけれど、少なくとも〝自分が持っていない部分をもっている人間〟であることは確かだった――だから、少なからず〝興味〟の様なものが湧いたりしたのだ(だがそれは、解剖学に自分の心を解剖された欠損を持った人間の好奇心に似ているものだと素直に感じるけど……)。


 嵐が世界を浄化していった。自分はそれを見ている事しか出来ずにいた。その浄化の中に〝自分〟が含まれていないことをささやかに願いながら、少しばかり目を瞑った……。十分間隔で目を開き、蓮花が起きているのかを確認した。そして、いつからか十分のその間隔は膨張し始め目を開くことに呼応しなくなっていった。


 ――自分が再度目を開けたとき、蓮花は起きていた。


 蓮花はとても苦しそうな表情をしていた。


「どうしたの、そんな苦しそうな表情をして」


「嫌な夢だった……嫌な世界だった。ねぇ、私にどんな世界を与えたの? 少なくとも、まともな世界であるとは到底思えなかったけど……。」


 いいや、まともな世界のはずだよ――そううやって自分は朧気な、言葉を切り刻んで小さな声で届ける目的があるような口調で言った。


 そう、だったらいいけど……そう蓮花は一言呟いてベットに身を沈み込ませた。

 蓮花が寝ているベットを見ると、どれほどまでに嫌な夢を見ていたのかが分かった。嫌な汗でベットが濡れていた。自分はベットの縁に腰を降ろす。蓮花を見下ろす。

 自分が蓮花に卵をとといて焼いて食べさせるまでの間、蓮花はずっとベットの上沈み込んでいた。それはベットが戻り場であると答えるように。まるで外部からもたらされる災害を一心に受け止める堤防の役割を、この部屋からすれば蓮花が全て請け負っているみたいに。それが仮に自然な運命なのだとしたら、諦めではなく受け入れただけだと、その表情は不確かながら答えていた。


 ただ食べる為だけに卵を焼いて固形物としての形成をし、ブロック形のとてもマズそうに思える栄養食の断片をお皿に乗せて――まぁ、栄養食というのは本来、そのように見えるものなのだけれど――ベット脇に小さな机を持ってきて、そこに栄養食と卵焼きを置くとそれを蓮花はゆっくりと食べ始めた。

 食べ始めると、落ち着きを取り戻したように思え、安堵した。その間我々は断片的に言葉を交わらせ、会話を作り上げた。それは会話未満にも思えるような些細な言葉達の連打だったけれど、蓮花がこの世界に、現実に着々と帰属をしている姿を見ていて、とても怖さに似た感情も同時に感じた。


 どれほど一過性の幸福を積み上げようとも、逃げられない、この世界からの一時的な逃亡は現実からの逃走を意味するように――少なからずその様な意味のようなものが、押しつけられ――考えが突如として逃避したその隙間に待っていたのだと嬉々と入り込んでくる〝余白〟は、癇癪を覚える一つのプロセスにしか過ぎないと――。

 自分が今まで覚えてきた感じてきた記憶してきたことを〝経験〟と呼ぶか〝後遺症〟と呼ぶか――その両方の根底に存在する色彩の様なものは、さほど変わらない気がする。


 〝――それが結果として良くなれば〝経験〟と言え、それが結果として悪くなれば(尾を引き続ければ)〝後遺症〟と呼べる――〟

 言葉にすると何気ないように感じたりもするが、それが現実で、それが人生の大部分を良くも悪くもしているスパイスのような役割を果たしている。


 諦めたんじゃない、受け入れただけ――そう答えている様な蓮花の表情は、未だにそうであると感嘆に似た言葉を保ち続けていた。

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