もう、いいんだ ⑤

 互いに水を飲んで、遠くに存在する理想を眺めながら、少しばかり常日頃から張っている気を緩めた。


「ねぇ、otibaってさ、なんでそんなに義務にこだわっているかのように、〝義務〟を大切にし続けるの? まぁ、義務を大切にしている自覚はないのかもしれないけど、でも、趣味みたいなものがあるようにも思えないし、性や生に対する執着のようなものも感じられない……だから? だから生きるだけでポコポコ生まれてくる義務に対して求心的なの? 少なくとも、私にはそう見えるけど……求心的にね」


「別に求心的ではないよ、でも、一度〝意識の外側〟に出るともう何もかもがどうでも良いように感じてしまうっていうのはそうだし、もういいんだ……何もかもって、思っている部分もあるね。自分が作り上げた世界の中で生きていたいんだ。だからか、現実から切り離されてしまっている様にも感じるんだ。過去から切り離されたようにね。だから、ただただ断片的に〝この場、今この瞬間〟に存在し続けてしまっていて、過去から切り離されてしまっている様に感じる、どういうことか分かる? ……辛いんだよ。自分が戻るべき場所がなくなってしまった様に感じるし、少なくとも自分に関した話だったらそれは〝事実〟だから。だから言い訳みたいな事を言えることもない。義務だってそうだよ、生きてれば必ず着いてくるものがある。まあだから〝義務〟なんだけどね。生きるだけで疲れてくるよ……本当に、なんの為の世界だろうね。神様がいたとしても、ただ待ってるだけの神様っていうのも仕事を放棄している様に思えたりもするし、でも、それがそういうことじゃないという事はよく分かってるんだ。分かりすぎて、既存の社会とかイデオロギーに属した仕組みや構造物が嫌になるくらいね。端的に言うと〝自由意志〟なんだよ、それも完全なるね。それはある種無責任な事だって聞こえるかもしれないけど、そうなんだよ。完璧なる正義も悪も無い、ただ〝正義寄りと悪寄り〟が存在するだけなんだよ……。二元論がこの世界を支配しているけど、じきに二元論も無くなるように感じるるんだ。まぁ、それだって感覚的に感じるってだけの話だけど、どんどん世界が良くなる〝予感〟のようなものがこの手で、感じ取れるんだよ。だからなにごとにも良いも悪いもないのかもしれない」


 そっか、と、蓮花は溜息混じりに一言。


「でもさ、仕事とか、必然的なこと全て含めて〝義務〟だと思っているけど、それだって少なからず意味みたいなものはあるはずじゃないの? なんの為の世界だろうねって言うけど、世界だって私達だってただ破滅するためだけに生まれてきたわけじゃないんじゃないの? そう感じるけど」


「そうだね。そうなんだよ、本当はこんな醜態晒すために生まれてきた人間なんてさほどいないんだよ。でもね、世界が歪で――社会がとんでもなく自然や本質からかけ離れた存在であることを認識出来ている人間は少ないね。蓮花だって分かるでしょ、街を歩いてみればその場しのぎの様な生き方をずっと続けている人間ばっかだっていうことをさ。だからそういう現状を見ると〝なんの為の世界だろうね〟って本気で思うんだよ……。」


「ごめなさい、再度訊くようだけど……じゃあ、otibaからした〝義務〟ってなんなの? そこが気になる。嫌だったら言わなくても良いけど……」


「いや、いいよ。義務、ねぇ……素直に言うとするなら〝生きている風に感じられる魔法のスパイス〟かな。義務をこなしていれば生きている様に感じられる、本当の意味での義務すら果たせているように感じる――ただ、それだけじゃないのかな。」


 そうなんだ、教えてくれてありがとう――そんな蓮花の言葉を最後に、会話は一度終わりを迎えた。それから、自分達は同じベットに身を降ろし、同じ布団を身に纏う様に享受した。

 とても温かかった。じんわりとした温かみを全身に感じられた。溜息も生温かく、感情にすらなりきれなかった未熟な感情が重たく生温かい溜息と共に外に出て行くのが感じられた。


 蓮花のリュックサックからぬいぐるみが二つ取り出されてベットの上が、自分と、ぬいぐるみと、蓮花に占領されていった。そして、蓮花は眠りについたし、自分もそれに続くように眠りについたと思う。時刻は分からないけど、途中、目が覚める事があった。その時に自分は蓮花の隣で蓮花に背を向けながらオナニーをしてから、もう一度眠りについた……。とても生温かい精子が出た。とても気持ち良かった。自分の事足りている部分を受け止めてくれる事足りていない部分を持っている人間が側に居るのに、自分のペニスはティッシュにくるまれることを好んだし、その匂いは蓮花や自分も含めたこの部屋の空間全てに染み渡った。そして分かる。多分、蓮花はもしかして起きていたのかもしれないし、自分のその右手の手つきを背中越しに見ていたのかもしれない、と。


 射精の残骸がやけに生々しい様相を醸し出していた。

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